2020年04月05日

20200405 まいにち中国語

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 NHKラジオで地味に中国語を勉強している。実にこの数ヶ月ほど、中国の人たちを身近に感じたことはない。中国や韓国や北朝鮮は日本の隣国なのに、私はその言葉を全く知らず、地球の反対側の言葉をいくつか知っているのをなんとかしたいと前々から思っていた。4月になったのを良い機会と思って、書店でNHKの中国語テキストを探してみたが、どこも品切れ。訊くと、なぜか中国語のテキストだけがよく売れて品切れが続いているとのこと。やはり同じ思いの人が多いようだ。ネットで注文したテキストが先日届いた。NHKラジオの聞き逃しサービスと日曜日の再放送で後追いし、来週には生放送に追いつけそうだ。中国語・・・2017年に旅をしたが、そもそもローマ字表記と中国語の発音は全く異なるのだ。それを知らずにローマ字読みしていたので、私の片言は片言ですらなかった。英語のできる中国人がいなければ手取り足取りだったが、それでも彼らは優しかった。寛容、というか、大陸的におおらかだった。何もかもが、桁違いにでかくて多い。その彼らの使う言語だ。漢字を中国から借りてきて、それだけでは使えないからひらがなやカタカナを織り交ぜて、それでも足りない音には濁点や半濁点・・・混沌を極める日本語とは全く違う。もっと凄まじい秩序と混沌だ。濁音がない代わりに、なんとすさまじい種類の子音と変調・・・もちろん四声も・・・こんな言語、独学など無謀だ。私は他言語を学ぶとき、どうしても文法から入らなければ気が済まないのだが、中国語に関してはお手上げだ。諦めた。NHK中国語講座が、「あまり気にせず、とにかく一緒に発音しましょう」と言うので信じるしかない。13億の中国人民、世界人口の1/5が使う主要言語だ。日本人にも話者は多い。信じて地味に進むしかなさそうだ。

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20200405 緊急事態宣言を待たずとも

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 緊急事態宣言を待たずとも、この状況で花見宴会はあまりにも非常識である。しかし残念なことに、そして信じがたいことに、私は勇気を持って何度も止めたにも関わらず、バイト先の会社では、今日花見の宴会が催される。感染予防に関するしかつめらしい回覧文書を作成し、読んだ者に押印までさせておきながら、自分たちは桜の名所に陣取ってバーベキューをするのだ。ルールは俺たちが作る、守るのはお前らだ、と言いたげである。

 それを止めようとする者は、残念ながら他に誰もいない。日本の社会人のほとんどは会社員であろうから、先刻ご承知と思う。私が会社員であったのは大学卒業後のほんの3年間だけだったので、組織の中で生きるという経験がない。これは好き勝手に生きてきた者の世間知らずな戯言である。

 ほとんどの場合、カイシャというものはオトコが牛耳っており、従ってボスザル社会である。うちのような小さな会社でも内部にいくつかの派閥があって、それらが小競り合いしつつ、全体のピラミッドが成り立っている。組織の中での個人の評価というものは、その属する派閥の力学に大きく左右され、その上下関係の良好な転換によって上昇し、そうでない場合に失脚する。

 その派閥の重要な催しを成功させることは、自分の地位を高めることにつながる。だから、仮に明日の自分の命や大切な筈の家族が危険にさらされることがあっても、自分自身が自分の持ち場にウィルスを持ち込む危険性を認識しているにも関わらず、その場を離れることができない。逆に上首尾に切り抜けることで、より高い地位に控える可能性が手に入る。そのようにして人生は設計され、上昇を前提に家庭は築かれる。最も忌避されるのは、自分が「興醒めな男」と評価されることだ。せっかくの楽しい宴会を中止しようなどと言う勇気のある奴はいない。それどころか、そんなことを言う奴を排除する。ここをクビになったら生きる術がないので食い下がることはしなかったが、返す返すも残念である。

 これが日本という社会であり、日本人が群れて作る会社であり、日本人のいう「和の精神」である。だから不要不急の外出を控えよと言っても徹底されない。個人主義者である筈の識者が個人の自由を制限せよと、いくら訴えても踏み切れない。その切っ先の鈍さの積み重ねが緊急事態宣言を今日まで遅らせた。私は紛れもなく日本国籍を持つ日本人であり、日本社会の一員であり、日本という国を愛しているが、このような総体としてのニホンジンは心から嫌いだ。


 上のチラシ、特定の個人や団体を批判する意図はないし、よく知った仲なので、無駄な感情の行き違いを避けたいから修正したのだが、結局、自由人の集まりである筈の彼らでさえ、義理が通れば道理が引っ込む、言葉は通じない、という点では同じと言わざるを得ない。このようなときに、このようなかたちで露見するとは、全く残念である。

 どうしてもやる、という人を思いとどまらせようと努力された形跡はある。しかし、親しい友人が、手を替え品を替え説得に努めても、頑として態度を変えない人もある。互いの理解が異なる場合、それをひとつひとつ説明しなければならない。一瞬でわかりあえる場合と違って、言葉を、その意味する範囲を確かめながら慎重に選ぶ必要がある。

 意味を厳密に定義しようとすればするほど、使われる言葉は難解になりやすい。「感染爆発」を「オーバー・シュート」と言い、「都市封鎖」を「ロック・ダウン」と言う。その言葉遣いに反発を覚える人も多い。「横文字を使うな」と・・・だがね、あんたの歌ってる歌もほとんど横文字じゃないか・・・でもそんなこと言ったらますます彼を追い詰めることになる。

 だからといって、平易な言葉に言い換えると、バカにされたと思って余計に態度を硬化させてしまう。同じ言葉でも互いのイメージするものが違えば、そこに曖昧さが生まれ、難解さを回避するために平明な言葉を使えば、意味の差異が生じる。「わけわからん」と言い捨てて勝手にふるまう。しかし「勝手と自由は違う」と言いかけた理屈を飲み込む。

 音楽の精神は基本的に反骨であることは理解する。周囲が自粛する中で、その同調圧力に屈して自粛したとみなされることは、反骨の精神に背く。そこに重きを置いている人に、今は自粛するのが妥当だから自粛するのだと理解してもらうこと、自分の表現の自由が、誰かに危害を与えることになるかもしれないと理解してもらうことは難しい。それには、自分がすでに感染しているかもしれないと仮定して、その立場に立って考える、すなわち自分からの直接的発信でなく、一段別の位置から考えることが要求されるからだ。

 それほど彼らの不安は強い。感受性が強いから尚更だ。すがるものはなにもない。自分がコブシを振り上げるしかない。おろしてしまうと自分が壊れそうになるのを、最も恐れている。そのことを理解する必要がある。しかし残念ながらその陰で、彼らの思わぬ事態が、情け容赦なく進行する。それを彼らにわからせる方法が、今のところ、ない。


 結局のところ、日本国という運命共同体は世界に一つしかない。そこに乗り合わせてしまった我々は、相反する考えを持った人々の総体がぼんやりと指し示す方向に向かって、ずるずると流されて行かざるを得ない。力つきるまでそれに抗い続け、少しでを舳先を上に向けることを目指すしかない。

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20200405 豆板醤を自分で

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 豆板醤を自分で作ろうと思う。豆板醤は、ソラマメを原料とするが、日本で作り方が紹介されているように、初夏に収穫できる新鮮な緑色のソラマメを使うのではない。「醬」は「味噌」という意味だから発酵食品である。生のソラマメで味噌を作ろうというのは、大豆の元は枝豆だから、枝豆で味噌を作ろうとするようなものである。そんなことをしたらほとんどの場合、生の豆は腐ってしまうだろう。

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 豆板醤の原料は、熟して乾燥したソラマメ、大豆でいうと、枝豆でなくきな粉にする大豆の状態である。ところが、ソラマメの乾燥したものは、日本ではほとんど流通していないので、これを栽培するところから始めなければならない。詳しくは書かないが、ソラマメの種の蒔き時は10月中旬頃である。これを蒔いて、初夏に食べたい欲望をぐっとこらえて、莢が黒くなるまで放置すれば、だいたい正しい原料が収穫できる。

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 そこからの製造方法は、本場中国でも実に多様であるが、一致しているのは、まずは「霉豆瓣」という、乾燥したソラマメ麹を作るところにある。まずこれを作って、それを各種調味料や酒や油で解いて豆板醤になる。中国でも、霉豆瓣の自宅製造は難しいので、市販されているものを使って豆板醤を作るようである。

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 豆板醤の製造方法について、日本語による良い解説をひとつ見つけた。大いに参考になった。

 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/87/9/87_9_629/_pdf/-char/en

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 市販の霉豆瓣を使って豆板醤を作る方法

 https://www.xiachufang.com/recipe/100527130/?fbclid=IwAR1DGoYMugBaK_5j1h0sP5kdmhwrEANQ059CgB6CENzj92inF010l8moLoM

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 さてここでは、今回試した霉豆瓣の試作について書こうと思う。豆板醤の元となる霉豆瓣の作り方の最も伝統的な方法は、ソラマメを何らかの方法で脱皮して、自然環境の常在菌のうち麹菌を付着させて豆麹にすることである。ソラマメは非常に硬い皮を持っているので、これを剥くのは大変な苦労である。水につけてふやかしてそのまま剥こうとしても、1kgも剥けば爪が剥がれるであろう。しかしそれを指南する資料もある。あるいはこれを炒って皮を浮かせて剥く。これは簡単であるが、炒ることの是非が問題になる。あるいは乾いたまま挽き割りにして、風に飛ばして皮を取り除く方法もある。ここでは安直に、炒って脱皮する方法を選んだ。

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 https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=霉豆瓣

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 麹付けには、脱皮したソラマメを浸水したものに、そのまま麹を付ける方法と、蒸してから付ける方法がある。また、原料を自然界に放置して常在菌を付ける方法と、あらかじめ用意した麹菌の種を植え付ける方法がある。前者は伝統的な方法だが、環境条件に大きく作用され、時間もかかるし、失敗する可能性が高くなる。場合によっては、有毒な黴を付けてしまうこともある。霉豆瓣の完成品の写真をよく見てみると、これに付いている麹は、私の手持ちの麹と変わりないように見えるので、ここでは、日本の味噌や醤油の仕込みに倣って、原料を蒸して、手持ちの麹菌をつけるやり方をとった。

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 原料は、設備の関係で、先ずは中国産の挽き割り豆と、鳥取産の黒ソラマメの二種類とした。前者は、炒っただけで味付けされていないもの、後者は熟して乾燥したものだが、小さいので皮を剥かずに使ってみた。いずれも一日浸水し、前者は皮を剥いた。これらを指先で潰れる程度に蒸して、手持ちの麹菌を植え付けた。24時間後には全体に繁殖して自己発熱を始めた。これを手入れして、早くも三日目には温度が下がりはじめたのでそこで出麹とした。後者は皮を剥かなかったので豆麹の良い形と良い香りを持っているが、前者は全体が崩れてドロドロになり、納豆臭が少しある。これは行き過ぎかもしれない。

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 指南書によると、出麹を天日に晒して乾燥させよとある。晴れ続きを利用して、とりあえずこれを干してみることにした。

 さて、昨シーズン栽培したソラマメが500gほどあるので、引き続いてこれを炒って皮を剥いて作業を後追いすることにする。さきほどの、剥いたソラマメが崩れてドロドロになったのは、水分が多すぎたからである。米糀を作るときも、浸水した後の水切りが不十分だとこうなる。指南書によると、水分を飛ばす工程は発酵後になっているが、ここでは米糀の製法に倣って、蒸す前に水切りしてみようと思う。その後の工程は、先ほどと同じである。

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 これは、おそらく最も手間のかかる、自然界に浮遊する常在菌をつけようとしたリポートである。

 https://www.xiachufang.com/recipe/103835718/?fbclid=IwAR1uhrVMmrx7l4euayPH8s5jDxnyJdJhyVkJleXa80HaM7TJuAOR0Dx2Vu4

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 一方、この動画は、同じく自然発酵によるものだが、実に驚くべき方法で作っている。季節はおそらく初夏であろう。自然環境も日本とは異なるし、使われている材料もよくわからないので、見た通りにやるわけにはいかない。しかし、脱皮の方法、納豆作りに似た発酵のさせ方など、大変面白い。

 https://v.youku.com/v_show/id_XNDQxNjk0NzU1Ng==.html

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 いずれにせよ、豆板醤は、乾燥したソラマメを運んでいる最中に雨に濡れ、それが発酵しはじめたのを保存しようとしたのがそもそもの始まりという。中国の先人のご苦労と勇気に心からの敬意を表します。

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20200405 クラシック臭さ

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 ようやく録り溜めてきたNHK-FM「古楽の楽しみ」の音源整理を終えた。私はクラシック音楽が苦手である。あの、なんともいえぬ「その世界の音感」が苦手なのだ。それを「クラシック臭さ」と勝手に呼んでいるのだが、それがなんなのか、あんなに「臭い」ものを好む人間が多いのは何故なのか、もともと学校教育からしてあの「臭さ」を撒き散らすのは何故なのか、まあそんなことに興味があったのである。私は1970年代はプログレッシブ・ロックをよく聞いていたのだが、そこからイギリスやヨーロッパのトラッドやフォークへ行くのはすぐだった。その音感はこよなく好きで、やがて中世のヨーロッパの音楽に行き着いた。それは分類上、「クラシック音楽」に属するのだが、情報を得ようとしても、巷には仰ぐべき師匠はいなかった。大抵、バッハ以前の音楽は聴くに値しないという評価だった。全く偶然、あるバンドの練習場所が西宮市の甲東園だったのだが、そこには日本がルネサンスに誇る「ダンスリー・ルネサンス合奏団」があったのだ。師匠はそこにいた。しかしまだ時代はそこまで来ていなかった。若かった私の興味の拡散は広くて激しく、その狭い世界には飽きてしまった。長い長い紆余曲折を経て、ようやく「古楽」というものが見直され、演奏家がたくさんいることに気がついた。全く知らぬ世界である。ラジオはまさに、知らぬ世界へ誘う専門家の貴重な授業であった。日本の音楽界にも、立派な研究者が何人もおられ、早く早く亡くなってしまった民族音楽研究家の小泉文夫大先生をはじめ、なんといってもクラシック界の大御所、皆川達夫大先生の意外な側面も別番組で知った。そのなかでバッハ研究の第一人者であった磯山雅大先生がお亡くなりになったのも知らなかった。その道を極めた人は、単なる専門知識の羅列だけでなく、なぜそこに注目して、なぜその演奏が良いのか、その価値を単刀直入に解いてくれる。もう、聞いていて面白くて面白くて仕方がない。クラシック音楽の歴史が、いかにしてあの「臭さ」が醸成されたか、そしてその「臭み」そのものがクラシック音楽の本質であって、その中に入り込めば、様々な微妙に異なる「臭み」を楽しむことができることもわかった。その「良さげ」なことは理解した。でもやっぱり苦手だということも確認できた。だから、やはり私は「古楽」に向くのである。「古楽の楽しみ」とはいいながら、番組内容のほとんどは「バロック音楽」である。本来「古楽」という言葉は、私の理解では中世からルネサンス前半、作曲家でいえば大バッハ以前のものを指していたはずなのだが、そんなものは年に数回しかかからない。従って大半の録音は破棄した。残されたものを聞き込み、作曲者や演奏家をキーワードに追い求めていって、さらに参考文献まで教えてくれるものだから、便利なインターネットで検索しまくった結果、私は一つの見解を得た。だいたい1600年頃を境にして、ヨーロッパのクラシック音楽は「臭く」なるので、聞くべきはそれ以前、流石にグレゴリオ聖歌では単調にすぎるので、12世紀のHildegard von Bingenあたりから始めて、13世紀の吟遊詩人その他、14世紀に入って行われる様々な技術的な変容・・・その辺りが最も面白い。一つ一つに敬意を払いすぎると、またぞろひと財産イッてしまいそうになるので、申し訳ないがほとんど我慢してmp3、それでもアルバムを通して極めて良い演奏と調べがついたもののうち、日本円に換算して送料込みで\2,000未満のものに泣く泣く限定してCDを購入してしまった。私はメンタルの弱い人間である。CDを処分しようとしているのに増やしてしまったのだ。しかし6年分の日本の古楽会の総力の結晶を聞き込んだ末に厳選したCDがこれだけに絞り込まれたのだから、まあ良しとせんかい。良いアンプで聞くと、耳の常識が吹っ飛ぶほど素晴らしい音世界が広がる。これこそまさに「引きこもりの美学」・・・このような時世、誰に気兼ねすることもなく、よくぞ首にしてくれました、幸せの日々を、どこ吹く桜・・・

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20200405 ようやくケツにCOVID

 ここ数日、バイト先でもようやくコロナ・ウィルスの話が出るようになった。夜のメンバー10人ほどと話したのだが、適切な理解をしていたのは、今年高校を卒業して東京へ行くことになった若者ただ一人だった。彼は就職先から自宅待機を命じられて戻ってきたのである。いつ着任できるかわからないので元のバイト先に戻ってきた。大半は、ただのインフルエンザに大騒ぎしすぎているという受け止め方で、売り場にマスクがないことは、ただ自分が客に叱責される迷惑だけととらえていた。なかにはコロナ・ウィルスなど存在しない、みんなSFの読みすぎじゃないのか、という人までいた。社員になると流石にもう少しまともな返事が返ってくるのだが、それでも数日後に花見バーベキューが企画されてるらしく、それには参加するのである。ロック・ダウンが起こると、食品スーパーは、病院の次にクラスターの発生しやすい現場になる。我々は医療従事者の次に感染の危険にさらされる。どのような対策が取られるべきかは、先達の例によって明らかだが、バイト先でそのような対策が取られるかどうかはわからない。十分な対策が取られない場合、私は休むよ、と宣言した。

20200403 所得減少世帯へ30万円給付案・・・のちに撤回 新型コロナウィルス (2020.04.20追記)

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