2020年04月19日

20200419 Proensa: Paul Hillier

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 「引きこもりの美学」・・・実験的という観点から見れば、このアルバムは、もはや古楽というより現代音楽に近い。さすがECM、Manfred Eicherが仕掛けたんかPaul Hillierが持ち込んだんか書いてないけど、ものすごく良い。出典は、先にも出たGuillaume d’AquitaineやBernart de Ventadornなど、11-13世紀に活躍した吟遊詩人の曲ばかり。リュート、サルテリー、ハープ、ヴィエールという素朴な弦楽器の、なんと即興演奏がつけられている。この手の実験的な音楽は、まったく往々にしてつまらん駄作に落ちてしまうものだが、そこは楽曲の良さ、押しも押されもせぬHilliered Ensembleの指導者、ECMジャズの創設者、そしてStephen Stubbs, Andrew Lawrence-King, Erin Headley ‎という古楽の名演奏家たち・・・しかも一曲目が「本当のからっぽについて」という例のアキテーヌ公が書いた、男なんてものは取るに足りない存在だとつくづく思い知らされるような詩を、大真面目に朗々と朗読するところから始まる。ハープが飛び散る・・・闇が唸る・・・こういうことを名演奏家たちが堂々と大真面目にやってくれるところが懐深い。本来、音楽は作って演奏して楽しむもの。ヨーロッパでは10世紀頃から、教会での典礼用の聖歌集以外にも、音楽を書き留めたものや、それらを筆写した歌集のようなものが散見されはじめる。そこに共通の歌詞やメロディ、作曲者名が見出されるようになるが、これらの特徴は、定旋律定型文の聖歌とは違って、全く自由で、中には取るに足りないありふれた内容の歌詞が多く残されていることである。これは、ずっと昔からこのような民衆の歌が存在していて、それが文書に現れてきたものと見ることができる。現代の多くの演奏家は、これらの文献を研究して実際の演奏に具体化するのだが、ほとんど歌のメロディしか残されておらず。リズムもはっきりしないので、仕上がった音楽の大部分は想像の賜物である。しかしその旋律の動きに一定の法則が見られることから、そこに和声の存在、おそらく音遊びや偶発的に生じた効果などを弄んだものが定式化したと思われるものがあって、それは合唱だけでなく、器楽伴奏として著された時に魅力的な特徴を発揮する。また、その頃までは教会の権威が絶対的に強く、音楽は民衆が聞くためのものというより、信仰のため、神のために捧げるという性格が強かったが、典礼音楽としてのグレゴリオ聖歌も、聖務日課によって様々なバリエイションを要し、また布教にも民衆に寄り添う必要があって、その題材に民衆の歌やその旋法を取り入れた形跡がある。例えば聖母マリアの純潔性を歌いながら、それを現実の処女を賛美する内容にすり替えて楽しんだものが、逆に教会音楽の歌詞の中に散見されるなどである。このように13世紀頃までのヨーロッパ音楽は聖なるものへの指向性が強く、超現実的な響きを持ちながらも、その広がりや多様性を民衆の歌が支えるという、一見矛盾した性格を持っている。そして全体としてはシンプルで、神に対する生身の畏怖、異質なものに対する生身の恐怖、ありのままの混沌などが楽曲ににじみ出ているため、独特の感触を持って耳に響くのであろう。そこが、この次の時代に顕著になる、ヨーロッパ的な構成美を主眼とする音楽との大きな違いではなかろうかと思う。その後の合理主義的価値観が当たり前になってから作られた宗教音楽とは、出来がまるで違うのだ。一方の世俗音楽は、ほとんど記録が残されていないものの、中世の教会音楽を聞くとき、より下った時代のものを聞くよりも荘厳な感銘を受けるのは、おそらくそのためだろう。13世紀頃までは、いわゆる「大作曲家」として後世に名を轟かせるような人物は知られていない。作曲者の主体は、主に吟遊詩人であり、これらありふれた民衆の歌を口伝で集め、そこへニュースや珍しい話などさまざまに即興を取り入れて日銭を稼いでいたものと考えられる。彼らの歌は、南仏から北へ流行し、やがてドイツに入り、またイベリアへも渡り、西ヨーロッパ中に流行した。それを支えたのは当時勃興し始めていた騎士団であり、騎士団を支えたのは地方の王侯貴族であった。歌や詩や踊りは人間の根源的な喜びであったけれども、いや、だからこそ、それは時の宗教勢力や政治勢力に利用されて、民衆をコントロールしたり、自己の権力を誇示することに使われた。良い歌を歌い、詩をたしなみ、優雅に踊ることは、騎士道の嗜みの一つと捉えられ、それが王侯貴族の館での社交につながって文化として花開いた。そのような安定したヨーロッパ中世の絶頂期が、だいたい13世紀頃になる。この頃までの音楽を聴くとき、しかしそれはやがて複雑に変容して、豪勢な歌劇や舞踏などに代表される宮廷音楽に発展した。一方、教会音楽は13世紀頃までは単旋律だったが、やがて上のような世俗音楽の荒波をかぶって変容したり、あるいは取り締まられたりしながら入り混じり、複雑に変容し多声音楽へと発展していった。やがて宮廷音楽にメイン・ストリームが移り、作曲家や演奏家は宮廷に庇護されて教会の楽長も務めるという構造が出来上がった。その主流は、宮廷で上演される歌劇や催される舞踏会に用いられる音楽であった。歌や踊りはキリスト教の布教のための寸劇などから発展して、演劇文化としてヨーロッパの音楽の主要な要素となったことは自然である。しかしこのことが、クラシック音楽のすべての歌曲の発声法を支配し、器楽合奏の音感の序列にまで影響を与えてしまったことは否めない。その精神が、神への畏れから、宮廷への阿りに変化していくとともに、ヨーロッパのクラシック音楽は、どうにも鼻持ちならない「臭さ」を身に纏ってしまったような気がしてならない。それはおそらく、その中にいる人には気がつかない自分の体臭のようなもので、外の人間にはなかなか越えられない一線のように思われる。私の場合、その一線が、だいたい西暦1600年ごろにあるようなのだ。古楽のファンが必ずしもクラシック・ファンでないといわれているが、これが関係しているのではないかと思う。

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20200419 Cantigas de Santa Maria

Cantigas de Santa Maria, Des oge mais quer’ eu trobar, CSM 1

 「引きこもりの美学」・・・ピレネー以北に伝わった抒情詩人や吟遊詩人の音楽は、イベリア半島にも影響を及ぼした。特にカスティーリャ王アルフォンソ10世 (Alfonso X, 1221_1284) は、政治家としてはちょっと残念だったようだが知性を愛し、詩作や音楽に通じた。音楽における彼の功績は、「聖母マリアのカンティガ集(Cantigas de Santa Maria」という419曲からなる歌集を完成させたことにある。名前が示す通り聖母マリアを讃える歌が中心だが、古くからの民謡や俗謡など、当時知られていた古今東西の様々な楽曲の断片のほかに彼自身の作曲によるものも含まれていて、楽譜や挿絵とともに、現代に貴重な資料を残している。したがってこれを取り上げた現代の音楽家たちも多く、まさに演奏法が指定されていないからこそ許された多種多様な解釈が花開いて、古楽の楽しみ面目躍如の観がある。その醍醐味は、何と言ってもイベリア風の異国情緒であろう。当時、イスラム勢力からのキリスト教徒による奪還 (レコンキスタ) が進行中であり、二つの大きな文化が合流している。それは使われている弦楽器の響かせ方、打楽器のリズムなどに顕著に表れている。もちろん私の聴いたものはそのうちのごくごくひとかけらであるが、ここで取り上げたアルバムは、その中でもきわめて実験的でありながら、響きが繊細で美しく、全く他に類を見ない独創的なものだと思う。声・ハープ・ダルシマー・打楽器というシンプルな構成で、静かに、彫り深く、研ぎ澄まされた感覚の音世界が広がっている。これより100年くらい後になるが、バルセロナ近郊のモンセラート修道院に伝わる「赤い本」(Llibre Velmell de Monserrat) も、ほぼ同じ時代に広まっていた傾向の曲が集められている。また、ドイツのバイエルン近郊にある修道院から19世紀になって発見された「カルミナ・ブラーナ (Carmina Burana)」も、ほぼ同じ時期に書かれたものとされており、13世紀ごろまでの中世ヨーロッパ音楽を探索する上で、この三つは大きな道しるべとなるであろう。これらに関連するキーワードで探索していけば、キモチノヨイ音楽体験ができるに違いない。その代わり欲を出せばまた一財産くらい飛んでしまうであろうが・・・

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20200419 Thibaut de Champagne

Thibaut de Champagne: Chançon ferai, que talenz m'en est pris

 「引きこもりの美学」・・・中世ヨーロッパのキリスト教会で用いられていた聖歌のほとんど大部分はグレゴリオ聖歌だが、その発祥の紆余曲折や議論については無視したうえで、きわめて乱暴で大雑把にいうと、それは単旋律で詩篇を朗詠し定型句をひたすら繰り返すだけの退屈なものであった。それが退屈であったからこそ、そこにいろいろな工夫が生まれ、異なる要素を取り込んで複雑化することは自然であった。異なる要素とは、地域による差異、民族や宗教、身分などによる差異が挙げられる。当時の多くの人々は文字が読めなかったので、彼らに教義を伝えるにあたって、それをわかりやすく面白おかしく語って聞かせ、やがて演じて見せたことが、のちのバレエやオペラにつながる。その過程で、様々な地域の庶民に広まっていた歌が取り入れられ、また洋の東西を越えて往来する吟遊詩人の影響も取り入れられた。なにごとも、混ざりはじめが面白いのである。熟成された味というものは、好き嫌いが分かれる。そういう意味で、13世紀頃までの古楽はとても面白い。当時はまだ現代用いられている五線譜は存在せず、音の抑揚を記しただけの様々な譜面が断片的に残る。これらのほとんどはリズムが明確でなく、メロディ・ハーモニー・テンポという考え方もない。使う楽器も指定されていないし、そもそもどの音域のものかもわからない。全てが厳密に指定された現代の楽譜音楽とは全く異なるアプローチが必要になる。どんな響きが飛び出してくるか驚かされることが多い。演奏家によるところも多いが、元々の楽曲の良さが今に伝わるものも非常に多い。という点で、きわめて宗教的であり才能の塊であったドイツのHildegard von Bingenと同時代に、フランス南西部大西洋側のイベリア半島に近いアキテーヌ地方 (ボルドーが中心) が大きな役割を演じる。その領主であったアキテーヌ公ギヨーム9世 (Guillaume d’Aquitaine, 1071-1126) は最初の抒情詩人として世俗音楽と当時の典礼劇の即興に影響を与えたと言われ、その孫娘のアリエノール (Aliénor d'Aquitaine, 1122-1204) は自ら芸術を愛し自らも吟遊詩人として活動した。この時代にベルナルト・デ・ヴェンタドルン(Bernart de Ventadorn (1130?-1200?) など中世を代表する作曲家が多く庇護されて世に出ている。この後、彼女は姻戚関係からフランス王妃、さらにイングランド王妃にまでなり、このときイングランドはフランスの半分を領有して、のちの百年戦争、薔薇戦争へとつながることになる。これによって吟遊詩人の芸術が北フランスに伝わり、当時勃興しつつあった騎士団すなわち武装勢力と結びついて、ルネサンス期の宮廷音楽に代表されるフランス音楽文化の基礎となる。ただ、そっち方面へ行くとだんだん「クラシック臭く」なるので私は関心がない。そうなるずっと前、アリエノールが亡くなる数年前にフランス北東部に生まれたシャンパーニュ伯ティボー4世、Thibaut de Champagne (1201-1253) も姻戚関係によって、アキテーヌ地方の南西、ピレネー山脈を隔てる形で隣接するナバラ王国のテオバルド1世となるが、彼自身も吟遊詩人であり、この時代にしては珍しくその作品が多く残されていて、旋律のつけられたものもある。この後、14世紀に入ると少しずつ音楽の性格が変わってくる。教会音楽から派生して、自由な施策と作曲が出始め、それが熟成しつつある安定期として、これらの土地や人物を追うのもまた一興と思われ・・・

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20200419 Hildegardt von Bingen

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 「引きこもりの美学」・・・6年分録り貯めた「NHK古楽の楽しみ」の音源から選んだ私のベスト古楽10選。放送でかかったものから選んだものなので、全ての古楽録音をベースにしたものではない。選んだものが名演なのかどうかというより、全くの独断と偏見で、時代順に並べることにする。

 先にも書いたが、私は「クラシックくさい」ものが嫌いである。そこで一気に1600年以前に飛んでしまったのだが、とはいえグレゴリオ聖歌はあまりにも宗教的すぎて、もう少し人間的な匂いのするものから・・・ということで Hildegardt von Bingen (1098-1179) の最も好きなテイク、演奏しているのはBingenの研究に一生を捧げていると言っても過言のない愛が熱く伝わってくるSequentia (1977- ) 古楽の好きな人には常道の選択なので、興味のある人は詳細データについてはインターネットに譲る。とにかくこの音空間の異様さ、この強烈な匂いと不毛と安らぎ・・・反復がもたらす精神的高揚・・・これですわ。Sequentiaさんすんません合唱より器楽合奏の方が好きなもんで・・・

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20200419 皆川龍夫先生逝去

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小泉文夫・中村とうよう・竹内勉・阿木譲・皆川達夫・・・違うんだ。何もかもが違いすぎる。掴み方が違う、というか、掴む手の大きさが、もともと全く違う。彼らにかかっては、自分の研究素材が、すでに手の中にあって、「ゆっくり料理したるから待っとれ」て感じだ。対象にかじりついて一個一個・・・なんて小さくないんだ。全然違う。ぶっちぎりのスピードに圧倒される。そんな次元の違う最後の人が亡くなってしまったね・・・

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