2020年06月28日
20200628 An American Prayer
https://www.youtube.com/watch?v=I86Qz5yEpME
Jim Morrison: An American Prayer, music by the Doors (LP, Elektra, 5E-502, 1978, US)
Awake
Awake
Ghost Song
Dawn's Highway / New Born Awakening
To Come Of Age
To Come Of Age
Black Polished Chrome / Latino Chrome
Angels And Sailors / Stoned Immaculate
The Poet's Dreams
The Movie
Curses, Invocations
World On Fire
American Night
Roadhouse Blues
Lament
The Hitchhiker
An American Prayer
An American Prayer
The End
Albinoni: Adagio
Jim Morrisonが亡くなった後、残されていた彼の詩の朗読の録音に、Doorsがバッキングをつけたもので、ちょうど私が高校を卒業する直前、大学受験にほぼ失敗するのが確実になった状況のもと、焦燥感と虚脱感の板挟みの中で一縷の心の支えになった作品である。アフレコ演奏なので合うはずがないのだが、それが全く奇跡のように、一緒に演奏しているかの様に合っている。もちろん、タイミングが寸分違わずという意味ではない。詩の精神性、彼の声によって具体化されたその世界に、それまで活動を共にしてきたメンバーたちの、彼に対する敬意が、 演奏として見事に合っているのである。その気持ちの集中こそが、この作品を素晴らしいものにしている。心なしか、彼らの演奏も、バック・バンドとして伴奏に徹している音よりも、クリアで生命を感じる。実は、私にとってDoorsで最も好きなアルバムがこれである。さて私はロック・ファンでありながらBluesもSoulもほとんど聞いてこなかった。つまりアメリカのポピュラー音楽の基礎の基礎、共通言語とさえ言える部分を経過していないのである。私はビートルズ世代でもない。ストーンズともちょっと時差がある。クリームは終わってた。ちょっとした空白期間に思春期を迎えたのである。次に現れたのはツェッペリンだった。そこからブリティッシュ・ロックへのめり込み、少ない小遣いのほとんどは、イギリスのプログレからドイツのそれへと、何人かの友人と共同で費やされることになった。そこから先はワールド・ミュージックであったので、実はアメリカのポピュラー音楽の基礎の基礎をいまだに習得していないのである。したがってストックも少ない。書くこともないんで、もうちょいしたら海を渡ることにしよう。
20200628 Rahsaan Patterson
https://www.youtube.com/watch?v=0fI-BY96IDg
Rahsaan Patterson (CD, MCA Records, MCD 115591997,1997, US)
Stop By 5:55
Spend The Night 4:52
Where You Are 5:09
So Fine 4:32
Stay Awhile 5:09
Come Over 4:49
Can't We Wait A Minute 4:49
Joy 2:52
My Sweetheart 3:56
One More Night 4:06
Don't Wanna Lose It 4:33
Tears Ago 5:02
Ain't No Way 4:10
Soul Free 5:23
1995年の阪神淡路大震災直後にのめり込んだものに、同じアフリカン・アメリカンの音楽でありながらRapとは対極にあるNew Classic Soulの機種で、今や押しも押されもせぬシンガー・ソングライターのデビュー・アルバム。文句なしに美しく、甘く切なく、センス抜群、上手い !! もう、ここまでやられると、カラダ全部差し出すから好きなようにして・・・て感じ、いらんやろけど・・・
20200628 Message From The Tribe
https://www.youtube.com/watch?v=TgATZhG1tQg
V.A.: Message From The Tribe (An Anthology Of Tribe Records, 1972-1976 (CD, comp., Box, Universal Sound/ Tribe, US CD 5, 1996, US)
–Phil Ranelin & Tribe Vibes From The Tribe 3:54
–Phil Ranelin & Tribe Sounds From The Village 4:54
–Doug Hammond Moves 4:31
–Tribe Beneficent 7:01
–David Durrah Space 2 0:39
–Tribe Farewell To The Welfare (1 & 2) 3:15
–Marcus Belgrave Space Odyssey 4:30
–Tribe What We Need 3:59
–The Mixed Bag La Margarita 5:17
–Wendell Harrison Tons And Tons Of B.S. 5:03
アメリカの一大ブラック・ミュージックの中心地Detroitの裏路地に咲いたSpritual Jazzの仇花、Tribe Recordsに残された音源のアンソロジーで、これを聞くと、いかに当時の音楽シーンに活気と多様性があったかを思い知らされる。BluesだとかJazzだとかR&BだとかSoulだとかFunkだとかSambaだとかジャンルなんて、単なる後付けの理屈にらすぎないことがよくわかる。それぞれの持ち味に名前なんてない。自由奔放で意外性に満ちていて、どうしようもなくかっこいい。それに尽きる。
・・・と言われてもなんのこっちゃわからおヤロから追加して書くと、全体としてはJazzではあるものの、4ビートではなく、ラテン的ソウルフルでファンキーな8ビート・スウィングで、即興が大半を占める。トロピカルでサイケデリックだが、ブラジルっぽくはなく、あくまでアメリカ黒人のくろさが濃厚に出ているところが良い。このCDとは別に、のちに8枚シリーズでこのレーベルのアンソロジーが出たくらいなので、隠れた魅力があるのだろう。とにかく良いです・・・やっぱりわからんかこれでは・・・
20200628 Was (Not Was)
https://www.youtube.com/watch?v=jlE8YzLRlcI
Orquestra Was:Forever's A Long, Long Time (Enhanced CD, Verve Forecast, 533 915-2, 1997, U
S)
Once Upon A Time In Detroit – 1:55
I Ain't Got Nothin' But Time – 8:27
Never Again (Will I Knock On Your Door) – 3:52
Excuse Me, Colonel, Could I Borrow Your Newspaper? – 4:56
Detroit In A Time Upon Once – 0:58
Forever's A Long, Long Time – 6:50
You've Been Having A Rough Night, Huh? – 4:49
Lost On The River – 13:04
A Big Poem About Hell – 2:48
I'm So Tired Of It All – 3:38
Sweet Pea Atkinson – vocals
Terence Blanchard – flugelhorn, trumpet
Sir Harry Bowens – vocals (background)
Lenny Castro – percussion
Merle Haggard – guitar, vocals
Herbie Hancock – Fender Rhodes, piano
Wayne Kramer – guitar
Harvey Mason, Sr. – drums
Donald Ray Mitchell – vocals (background)
Sheila E. – percussion
David Weiss (Not Was) – performer
Don Fagenson (Don Was) – bass, guitar, keyboards, saxophone
Kris Kristofferson – Performer (Enhanced Content)
アメリカという国は捉え所のないほど多様で複雑で、魅力に満ちている。その魅力は、ヨーロッパやアジアやアフリカのように、千年単位の歴史の積み重ねによるものではなく、数百年の間に起こった歴史の断絶を含む急激で人為的な変化と、それがもたらした矛盾である。したがって、長い歴史に裏付けられた文化を把握するようなやり方では捉えられないところがある。それを文化不毛とする見方もある。しかし、アメリカ、というよりは、アメリカ人の不思議さ、そもそもアメリカ人という人種すら存在しないのに、アメリカという文化、平たく言えばアメリカらしさは、厳然と存在する。そしてなにより、1960年生まれの私にとって、半生の前半は、日本人にとっての外国という言葉が指すものはすなわちアメリカであった。舶来、外国、輸入物とは、すなわちアメリカのものを指していた。ポピュラー音楽も、いや、ポピュラー音楽こそ、アメリカのものであったことに異論を挟む余地はない。しかし、例えばイギリスの音楽ならば、ダウランドの昔からビートルズもストーンズも、プログレもパンクも、どんなに違っていてもやっぱりイギリスの匂いがプンプンするのだ。ではアメリカではどうかと問われると、知れば知るほど答えが見つからなくなる。歴史的な匂いの欠如と、それによる軽さという別の匂い、その自由でバラバラなところがアメリカらしいと言えば言える。アメリカン・ドリームという幻想も昔はあった。それも確かにアメリカらしさの主要な要素だと思う。それを懐かしみ、そこへ回帰する精神性も、一つのアメリカらしさである。一方で、第二次世界大戦以降、西側陣営の名主として、世界中に戦力を拡大したことによる、実に様々な影響から生まれた文化運動もまた、アメリカらしさである。外に対して民主主義を標榜し、自由と民主主義の精神を謳っておきながら、国内の人種差別は解決されていないところもまた、アメリカらしさである。それがゆえに、たとえばポピュラー音楽でも、人種や地域やポリシーによって、互いにほとんど断絶した音楽が並存していたり、その隔絶が融合されたことによる新しい音楽が常に生み出されているのもアメリカらしい。つくづく、アメリカという国を不思議に思う。そんなアメリカの一つの不思議、別に取り立てて書くほどのことではないone of themなのだろうが、それでも不思議な作品である。曲は往年のフォーク・シンガーHank Williamsと、Detroitで1980年にデビューしたディスコ・バンドの創設者の一人であり、現在のBlue Note RecordsのCEOでもあるアメリカ音楽界の超大物Don Fagenson (Don Was)の曲がほぼ半々で、最後の一曲を除いて、20世紀末感あふれる、黄金時代を懐かしむような、深くて濃いノスタルジーに満ちた、絶望的な脱力感を秘めたHip Hopなムードあふれる演奏である。しかも、極めてジャジーな、要するにアメリカらしい不思議な音楽である。砂漠を枯れ葉色に染めながら沈んでいく夕陽にさめざめと泣く思いがする。
20200628 Gin And Juice
https://www.youtube.com/watch?v=OKGJOtRaqMg
Snoop Doggy Dogg: Doggystyle (CD, RE*, Death Row Records, CDL 50605, 1996, US)
*originally released in 1993
1 Bathtub 1:50
2 G Funk Intro
Featuring – The Lady Of Rage 2:24
3 Gin And Juice
Vocals [Additional] – Dat Nigga Daz 3:31
4 W Balls
Featuring – Ricky Harris, The Queen Of Funk 0:36
5 Tha Shiznit 4:03
6 Interlude 1 0:37
7 Lodi Dodi
Vocals [Additional] – Nancy Fletcher 4:24
8 Murder Was The Case
Featuring – Dat Nigga Daz 3:38
9 Serial Killa
Featuring – RBX, Tha Dogg Pound, The D.O.C. 3:34
10 Who Am I (What's My Name)?
Featuring – Dr. Dre
Vocals – Jewel, Tony Green 4:42
11 For All My Niggaz & Bitches
Featuring – Tha Dogg Pound, The Lady Of Rage 4:07
12 Ain't No Fun (If The Homies Can't Have None)
Featuring – Kurupt, Nate Dogg, Warren G 4:07
13 Interlude 2 0:33
14 Doggy Dogg World
Featuring – Tha Dogg Pound, The Dramatics 5:05
15 Interlude 3 0:44
16 Gz And Hustlas
Backing Vocals – Nancy Fletcher 3:51
17 Interlude 4 0:56
18 Pump Pump
Featuring – Lil' Malik 3:41
Produced by Dr. Dre
アルバム・レビュのほうは、たしかアメリカの途中で、SalsaとJazzをやってRBあたりに言及したあたりで止まってたので続きを・・・たまたま持ってるアルバムのレビュなので認識不足など色々あるとは思うし、このジャンルを集中して聴いたのは阪神淡路大震災直後の数年間だけだったので、書くことが偏ってるしかなり古い。もう25年くらい古いので、書く意味なんてほとんどないに等しいのだが・・・やっぱりこの人のこの作品だけは触れておきたいと思う。もう随分と当時の震災によって崩れた街・世界・・・とりもなおさず我々の観念、固定された、絶対不動なる、生存の前提、過去と現在と未来という揺るぎない時間の流れ、なんの疑いもなく、空気のように当たり前にそこに存在していた、あるいは、存在していたと思い込んでいた全てが崩れ去った時の、あの、なんとも知れぬ喪失感と、数日間の極度の緊迫に押し上げられて高揚した精神が、どすんと落ちてきたときに見えた「無」と、気を取り直した時に現れた解放感・・・それがまったく脳裏にこびり付いて宿病のようになってしまった。その心の風景にしっくりと溶け込んでいくこのような音、もはやここには絶望とか反抗とか孤独とか、そんな生易しい感情の入る余地はない。彼の生い立ちや当時の状況、アメリカという国の持つ得体の知れない矛盾が、この音世界を生み出したことに違いはないが、私にとってはそんなことはどうでも良い。出された音が心に響く。この虚無感。絶え間ない破壊と不毛な荒廃、ただそれを見つめるだけの刹那的な感覚、切っ先を研ぎ澄ませておかなければ次の瞬間生きていられるかどうかさえわからない。感覚だけがモノをいう世界。考えることをやめた頭にずっと染み込んで鳴り響く、あまりにも殺伐すぎる音風景。彼のデビュー・アルバムはその普遍的現実を切り取って見せる。
20200627 自家製豆板醤本仕込
自家製豆板醤の仕込み。調べれば調べるほどわからなく、というか、豆板醤の種類が多すぎて、全く千差万別ほぼお手上げ状態。そもそも原料も気候も違うので、それぞれの気候風土と原料に合わせた製法を取ることができないでいる。ソラマメの発酵のさせ方が全く違うし、赤唐辛子の品種も状態も全く違う。日本の山椒の風味も豆板醤とは全く違う。なのに日本で手に入る、あるいは自分で栽培できる近親品種で代用すること自体、違うのだ。仕方がない。霉豆瓣を作るのにも、日本で醤油を仕込む際の発酵方法を使った。これからして違う。百も承知だ。ここから先も違う。500gの霉豆瓣にごま油を2ℓも放り込む方法もあれば、油を全く使わないレシピもある。油を先に加熱して唐辛子や山椒の香りを移す方法もあれば、冷暗熟成の製法もある。霉豆瓣の何倍もの唐辛子を放り込むものもあれば、仕込みに使う香辛料の総量が霉豆瓣とほぼ同量のものもある。気候が違うのか、緑色の新鮮な山椒と、赤く熟した唐辛子が同時に収穫されているが、日本ではそのようなことはない。いずれかは保存された乾燥原料を使うことになる。しかも、いずれも三年熟成なので、結果が出るのは3年後、それまでは結果を見ずに作り続けることになるので、霉豆瓣を仕込んで二ヶ月、とりあえず自分の都合に合わせてもっともらしいと思われる方法で、使った原料と量目を記録しておいて、作業を進めることとする。配合は、以下の通りである。
2020.04.26-30 原料の異なる三種類の霉豆瓣をまず作った。ついでに、醤油を絞った後のもろみを有効活用すべく、4つめの原料とした。
購入はじき豆300g・神戸の輸入業者で扱っている中国産の乾燥ソラマメを炒っただけのもの
赤ソラマメ250g・鳥取で購入した乾燥ソラマメを脱皮せずに使用したもの
自家製ソラマメ350g・自分で栽培しているソラマメを炒って脱皮したもの
鶴の子大豆の醪400g・2017年に仕込んだ醤油を絞った後のもので塩分を約16%含む
鶴の子大豆の醪400g以外は、すべて蒸して醤油麹をつけて養生し、通常通り派生を見てから塩切りを兼ねて、以下の処理をした。
高度白酒250cc・胡麻油125g・塩250g
鶴の子大豆の醪400gは、もともと発酵済みで塩分も含まれていることから、この段階では加塩せず、それ以外のものだけ混入した。
以上を二ヶ月熟成、この間毎週攪拌した。
本仕込みは、鶴の子大豆の醪400g以外の三種類については全く同じ方法をとり、鶴の子大豆の醪400gについては、味見の結果、塩分が足りなかったので醤油100ccを加えた。
胡麻油400g・なたね油100g・中国産乾燥麻椒100g・自家製乾燥赤唐辛子200g・自家製乾燥生姜10g
これでいいのかなあ・・・
2020年06月25日
20200625 「新しい日常」
「新しい日常」とやらが要するに政府への忠誠を誓うかどうかが試されることが明らかとなった今、日本中に張り巡らされた利権構造の中でも、その末端に至るまで親方日の丸に服従し阿諛追従の輩になり切ることによって延命を図る烏合の衆が満ち溢れている。どこを切っても金太郎飴のような同じ顔をした同じドタマの奴らが同じ声と口調で、お客様のために感染予防対策を徹底し、安心、安全にお買い物をしていただくべく、日夜努力している、わけで、あります。5分で。そう、なんでも5分で出来ちゃうのだ。やればできるぢゃないかお前に今までナニやってたんだ。冷蔵庫の隅に隠れてナニやってたんぢゃないだろうなあ・・・こんどはな、床のタイルに詰まったゴミを書き出せ、お客様からのクレームだよ、床に落ちた商品が汚染されてる、目地の中までくまなく消毒しろ、なに5分ありゃできるだろ、それからなあ、毎日全部棚拭いてんだろ、だったらあと5分やるから全商品日付チェックしろ、月末にはなあ、5分残業つけてやるから毎月棚卸しろ、当たり前だろ株主様に見せるんだからよ。
2020年06月20日
20200620 猫一家
死骸の写真が含まれていますのでご注意ください。猫に名前をつけた。母親は「しゃのあ」にしたが呼んでも反応がないので、和風そのままやんけ「くろこ」に変えた。子供たちは4匹の男の子と1匹の女の子である。母親譲りの全身真っ黒なのは、そのまま「まっくろ」、わずかに白い襟巻きを巻いているのは「ツキノワ」、以下、父親譲りのハチワレの柄に鼻が片方だけ黒いのは「ハナクソ」、背中にちょっと白い毛のあるのが「セジロ」、唯一の女の子で全体がわずかにグレーがかっているのが父親の名を取って「コテツ」である。
すでに体格や性格に差が出来はじめている。「まっくろ」は、体が一番小さくて痩せっぽちで、まだ母親のそぱに一番長くいる甘えたである。みんなとよく遊んでは一番よくいじめられている。「ツキノワ」も体が小さく、ヤンチャっぽい目つきとは裏腹に、時々一匹だけ離れたところにいて空を眺めている。なぜか私とよく気が合い、私が出て行くとすぐに走ってきて膝に乗る。「ハナクソ」はごく普通の活発な男の子である。「セジロ」はきょうだいのなかで一番体が大きく強い。餌となると俄然欲を出して他の追随を許さない。「コテツ」は唯一の女の子でとても神経質である。ときどき一匹だけ離れていることがある。私にはあまり懐いていない。
5匹ともカエルくらいなら自分で捕獲して食べている。母親は、時々ネズミやスズメを獲ってきて彼らの前に置く。置くが早いか「セジロ」がそれを奪い取ってボロボロに弄んだ後、ちょっとだけ食べて放置する。これはここ数日見られるようになった。その間、他の4匹はじっとそれを見守っている。少しでも近づこうとすると「セジロ」は低く唸って威嚇する。今まで5匹がほぼ分け隔てなく一緒に遊んでいたようだが、徐々に上下関係が生まれつつあるようだ。母親は、「セジロ」が獲物を独り占めするからといって、次の獲物を他の子猫に与えることはない。「セジロ」は前の獲物を放置して次の獲物をも奪う。他の4匹は残り物を力の強いものから取る。したがって一番体力のない「まっくろ」は、ほとんど食べるものがない。
猫が5匹も子供を産むのは、その中から1匹でも生き延びれば良いからだとされている。たしかに母親は、すでに「セジロ」を残すと決めたように見える。残る4匹のセフティ・ネットは母乳である。子猫たちはすでにイワシくらいなら骨ごと食べてしまうが、依然として母乳も飲んでいる。しかし、時々、母親はそれを拒んだり、じゃれつく子猫を強く威嚇したりしている。子離れの兆候と見える。乳を与えられなくなったら、残る4匹は自力で狩をして生きて行くことになる。そこに食料の確保という観点から縄張りが必要になり、彼らは単独行動に移り、ここを去って行くことになるだろう。ここ数日、新たなトラ猫の汚いのが周りをうろついている。母親は満更でもなさそうだが、あまり品がよくないので私は好まない。やがて平和な時は終わる。これから彼らがどうして行くかを具に観察することによって、生きるとは何か、群れるとはどういうことか、暴力はどこからくるのか考えてみたい。
2020年06月16日
2020年06月14日
2020年06月11日
2020年06月08日
2020年06月07日
20200604 Ludus Danielis
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
今回巡り合ったフレーズは、北フランスのボーヴェにある大聖堂Cathédrale Saint-Pierre de Beauvaisに12世紀頃から伝わる作曲者不詳の典礼劇"Ludus Danielis"の一節である。この大聖堂は10世紀ごろには小さなロマネスク様式の教会であったものが、13世紀に聖堂としての建設が始まり、最終的には16世紀いっぱいまでかかって、悩ましいまでに複雑怪奇な巨大ゴシック建築となったが、増築と崩落を繰り返して未だ未完成で現状維持のまま存続している。そこには中世以来様々な手書写本が残されていて、なかでも正月に行われていたという「愚か者のミサ」、要するに典礼の格式を逆転させた無礼講を大々的にやる儀式で、それはカーニバルの起源とされているのだが、その際に演じられたものの一つという、旧約聖書の『ダニエル書』に題材を取った『ダニエル劇』がこの聖堂に由来するとされている。この典礼劇は中世のものとしては非常に珍しく完全な楽譜が残されていて、上演の機会も多く、これを取り上げた演奏も多い。このうち、Dufay Collectiveの演奏では、随所に器楽合奏が挿入されていて、それらは非常に洗練されていて聞き応えがある。劇の概要は、カルディア王国が復興した新バビロニアで、その王ペルシャザールが宴会を開いていたとき、不思議な手が現れて文字を書いたが誰にも読めず、ユダヤ人捕虜であったダニエルが解読して王に注進した。その内容は、王の神を恐れず豪奢をきわめるを諫める予言であった。国は程なくアケメネス朝ペルシャに滅ぼされ、囚われていたユダヤ人が解放されるという史実に基づく。
そのうち、私は今回の試みに、不思議な手が現れて会席者が恐れ慄く場面の、歌に続く器楽合奏の部分を抜粋して使った。音楽を聴く楽しみは、つまるところ自分にとって印象に残るメロディなりフレーズを探し求める旅であろう。であれば、それが多く得られれば得られるほど幸福が増すというものである。いまのところこのフレーズは既存音源であるが、これを何らかの楽器で実際に演奏して録音し、同じ効果を得るべき編集して作品にしたいと思っている。