2020年12月30日

20201230 Social Distance

 あのなあ・・・頼むからスーパーに大挙して買い物に来るのはやめてくれ。一家族一人にしてくれ。お父さんは荷物運び頼まれてんのやろけど車で待っててくれ、携帯電話があるやろ、買い物済んだら出口まで迎えに来て車に積み込んでくれたらええやん。特になあ、買い物に付き合わされてるお父さん、ここはあんたの会社とちゃうねん、あんた会社では重要なポスト担うてはるやろから誰も決して邪魔者扱いせんやろ、しかしな、そこで腰に手当てて仁王立ちされたら通路の邪魔になってしょうがない。そこで人が滞留する、こっちも商品を補充する邪魔になるし、お客さん相手にどいてくれて言われへん。頼むから子供連れて外で待ってて寒いやろけど。それからなあ、レジに並ぶ時だけ間隔あけるんちゃうねん。店の中は全部やねん、かまぼこはようけある。えびもようけある。群がらんでも行き渡る。ちゃんと仕入れてちゃんと出してるから慌てるな。それにな、なにもかまぼこやえび食わんかて時間が経てば年は明ける。今回くらいええやないか。ついでに言うけどな、商品に触った手が汚染されてるかもしれんから消毒したいのはわかる。でも使ったウェット・ティッシュその場に捨てるのはやめてくれ。くしゃみした後マスクを交換したいのもわかる。でもその場に捨てるな。掃除専門のスタッフ置けるほど余裕ないねん。拾うんは我々やねん。拾ったその手で次の商品出すねん、それは仕方ないねん。ええか、あと一日ある。頼むから認識を変えてくれ。ここは戦場やねん。しかも最前線や。もろに三密で空調も追いつかへん。でもそんなこと言うたら客こんようになるから「いらっしゃいませ」言うてんねん。1日一万人超える来店客数の中から一人でも陽性者でたら休業やねん、そないなったらみんなの毎日の買い物ができひんようになるんやで。店は、今は遊びに来るとこちゃう。戦場や。俺はまだ死ぬわけにいかん。だからみんなで守らなあかん。わかったか ??

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2020年12月25日

20201225 治らぬ怒り

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 農業を志して農村に家を確保しようとする場合、非常に困難な問題が待ち受けるので、それについて書いておきたい。これは神戸市の場合なので、自治体によって事情は異なるかもしれない。

 農村に家を買ったり借りる場合、ほとんどが市街化調整区域にある農家住宅が対象になる。農家住宅とは、農業を営むためにのみ認められた、都市計画法に基づく住宅のことであり、外見を問わず建築確認で用途が決められており、一般住宅の形をしていても農業者でなければこれを買ったり借りたりすることはできない。

 目指す住宅を購入する場合、まずは法務局でその物件の地番を特定し、土地や建物の登記がどうなっているかを調べる。これは通常の不動産取引でも最初にやるべきことである。抵当権が設定されているなどの問題がなければ、その自治体に問い合わせて、その場所が都市計画法による市街化調整区域にあるかどうか確認する。そして、市街地と市街化調整区域を線引きした日付を確認し、市役所でその建物の建築確認の日付を見て、それが線引きより前か後かを確認する。

 線引き以前の場合、線引き以後に改築されていなければ農家でなくても一般人でも購入できるし、一定の条件のもとで建て替えや開発もできる。しかし実際には築年数が高くて傷んでいる物件が多いので、補修する費用が大きくなって実用的ではない。線引き以後の物件については、後で説明する。

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 これから新規就農をする者が農村に住宅を求めることは、線引き以前の良好な物件に巡り合わない限り、事実上不可能に近い。それ以外はモグリである。私の場合、現在借りている農家の、住み込みの空き家管理人という立場で移住した。しかし、それが原因で正式な村入りが遅れ、就農手続きも遅れ、結果的に村八分状態となり、今回の事態を招いた。また、同じことを考える多くの人は、何の届けもせずに住民票だけ移している。いずれにせよ、家主が立退を要求した場合、法的には対抗できない。まずは、なんとかして新規就農の手続きをとって、農家資格を獲得することが先決となる。

 しかしここでも何度も触れたように、農家になるには、指定された研修期間で2年ほどの研修を経て合格し、実際に農地を確保して1年間問題なく営農していることを農業委員会に認めさせなければならないから、これだけで3年の年月がかかる。こうして初めて農村に農家住宅を確保する目処が立つ。この時点で、農家住宅を賃借する権利は問題なく発生する。

 市街化調整区域にある農家住宅のうち、使える状態のものはほとんどが線引き以後に新築または改築されている。この場合、購入するには農業者証明書が必要になる。これは新規就農して少なくとも一年以上、問題なく営農している実態を農業委員会が認めて初めて得られる。農家資格とは、新規就農の手続きをしても農地台帳に名前が載るだけで、資格証明書の類はない。農家住宅を購入したり新築したり改築したりする場合、その都度証明書の発行を申請することになる。そのうえで、営農している農地が集落内にあることが事実上の認可要件になるので、その図面と貸借証明書が必要になる。また、農家は、一世体当たり農家住宅を一軒しか持つことができないので、事前に仮住まいしているのであれば、それを証明できる書類が必要になる。

 これで手続き上は農家住宅を購入できる。購入した後、必ず法務局で土地や建物の登記をしておくことを忘れずに。これをしておかないと、もしもの時に所有権を主張できない。また、市街化調整区域とは、開発を抑制する意図で設定されているので、農家として営農するために建てられた農家住宅を、ほかの目的に使ったり、壊して更地にして投機対象にしようとすると、様々な規制がかかって、その狭間に落ちるととんでもないことになる。その複雑さはプロの不動産業者も手を出さないくらいなので、我々の考えるべきことではない。

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 さて、以上のことだけであれば、さほど複雑とは思われない。しかし世の中では様々に不正確な情報がまかり通っており、混乱の原因になっている。それは、都市計画法・農地法・農振法・建築基準法・借地借家法・不動産登記法など、多くの法律の網の目に足を掬われて奈落の底に落ちる人が多いからである。不正確な情報は、それらに陥った人の遭遇したケースの一部分が一人歩きしたものがほとんどである。

 曰く、未登記の建物を購入したら開発許可の申請を求められ、許可が得られなかったために使用できなくなった。曰く、属人性をクリアしても接道義務が果たされていなければ開発許可は降りない。曰く、農業振興地域に指定されている場合、宅地であっても親族にしか所有権が認められない・・・市役所・農協・不動産業者・・・それぞれに言うことがまちまちなので、最終的には全部羅列して各部署の最も信頼できる機関に問い合わせることが大切である。正面突破せよ。

 というわけで昨日、外出自粛が激しく求められている中、それでもクリスマスムードいっぱいに花咲く三宮界隈を、プロでも手を出さない頭の痛くなるような案件を解決するために走り回ったのでありました。感染予防の観点から車に自転車を積んで移動し、三宮で最も安いパーキングに1日駐車して、自転車で神戸の街を走り回りました。

 そして最終的に分かったことは、なんと、私の農家資格が既に切れてしまっていることでした。以前、農地を乗っ取られた時に、問題を穏便に解決するために農業委員会に相談したのですが、争いを避けて合意解約の手続きを踏んだのでした。書類には三つの日付を書く欄がありました。解約を申し入れた日・解約が成立した日・農地を明け渡す日。それぞれ、地主が作付けをしていることを確認した日・解約合意ができた日・賃借料を支払う期限、と説明されたので、その指導に従って日付を入れたのでした。私の常識では、賃借料を支払ってある限り、契約は有効なはずです。したがって今年の末まで私は農業者であるはずでした。しかし農業委員会の見解は違います。解約の合意が成立した時点で、申し入れた側は権利を失うのです。すなわち私はすでに農家ではなく、農地利用に空白期間が生じているため、新規就農の研修から3年間のプロセスを、もう一度やり直さなければならないのです。なんということだ。年内に問題を解決して、年明けから再出発と考えていたのに、そのスタート・ラインが13年も前に引き戻されてしまったとは・・・それもこれも、決して私が望んだことではない。問題を穏便に解決しようとして、関係機関に相談し、その指導の通りに手続きしたのだ。即刻、私は不服を申し立て、農家資格の継続の確認を求めることにしたが、そのような書式はなく、これからの戦いになります。でなければ、もはや行政に従うつもりはない。実力でやるべきことをやるまで。こうしてまたひとり、いらぬテロリストが養成されてしまうのである。

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 怒りがおさまらん。住むところがなければどうやって農業をするのか ?? 普通の人が常識的に考えてそうだろ ?? しかし農業委員会の常識は違うのだ。農地があってはじめて住処を確保させてやる。この堂々巡りは農業への入り口からして同じだ。つまり、農家でなければ農地を使えない。農地を使っている者を農家と認める。完全に閉じているのだ。ムラ社会のように。まるで鶏と卵の議論と同じだ。もういいかげんにしたらどうなんだ。ここまで穏便に、注意深く、最大限の忍耐を持って対応してるのに、馬鹿なことばっかり抜かしとったら本気でブチ切れるぞ !!

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2020年12月17日

20201217 The Great Conjunction

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2020年12月10日

2020年12月05日

20201205 Mac OS 11 "Big Sur"

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 爽やかな青空続きだというのに、私は地下に潜ったり白蟻の足跡を追い回したり、今日は断続的に昨夜発生したMac OS 11によると見られるトラブルと取り組んでいる。OSをアップグレードしたら、アドレスブックが吹っ飛んだ。アップル・サポートもお手上げの事例で、多分ファイルが破壊されて修復不可能との診断だったが、もちろんバックアップは取ってあるので、またしてもかなりキワドイ裏街道を早駆けしてなんとか解決した。Mac OS 11 ≪ Big Sur ≫ は、さまざまな初期不良が報告されているが、私の場合それらには見舞われなかった代わりに、まだネット上でも報告されていないこのような症状で仕事の手が止まった。まあいつものこっちゃけど、あっぷるさんあんじょうたのんまっせほんまに・・・

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 Mac OS 11上の「連絡先」アプリケイションを立ち上げると、殆ど全ての連絡先カードが白紙になっていたものである。バック・アップから復元しようとすると、「読み込みますか」の質問に対してどう答えてもエラーを起こし、脱出できなくなる。ファインダーより強制終了。

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 解決方法の結論のみ。バックアップフォルダにあるMacintosh HD - Data / ユーザ/ ユーザ名/ ライブラリ・・・と進むのだが、ここが裏街道への闇の分岐点で、「ユーザ名」を入れた段階で、ファインダーウィンドウではなく、プルダウン・メニューから「option」キーを押しながら「移動」を選ぶと、その時だけ「ライブラリ」が表示されるので、そこから入る。これは技術者でないと知らないやり方。その後、ファインダーウィンドウで Application Support / AdressBookと進んで、これをタイムマシンを使って復元する。まだ検証されていないバグと思われるので解決してアップルちゃんへレポート、さてバイト行くか・・・

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2020年12月03日

20201202 Ufip Ritmo C-R. 20

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 ヤフオクでシンバルをポチってしまった。私はなんと我慢のない人間だろう。たいしてドラムを叩けるわけでも、お呼びがかかるわけでもないのに、還暦バイト風情が何十枚もシンバルを持っている。このこと自体異常なのに、また買うか ??

 手元にパール楽器製造株式会社の1976年のカタログがある。私が16歳、つまり高校生の時だ。もちろんドラム・セットなんて買えるはずもなく、ただカタログを見てはどんなセットを組むか空想していただけだ。巻末にシンバルのラインナップがある。スイスのPaiste、これにはFormula 602・2002・Dixieという3つのシリーズがあって、Yamahaが標準でカタログに載せていたアメリカのA.Zildjianと双璧を成していた。

 当時は、今のように楽器の大型量販店などはなく、ドラムのことは街の楽器屋か、難波に今も社名を変えて現存する老舗、中田楽器で尋ねるしかなかった。それでさえ、シンバルなど注文しなければ見ることもできず、たまたま入ったものがハズレでも買わざるを得なかった。しかも高い。Paiste Formula 602など20インチで5-6万はしたし、A.Zildjianでも4万円近くした。Paisteは総じて均質だったが、A.Zildjianの当たり外れは凄まじく、よっぽどのツテでもないと代理店の不良在庫をつかまされる世界だった。中田楽器は音楽業界に絶大な信頼のあるサプライヤーだった。しかも「中田のおっさん」といえば誰にでも通じるし面倒見も良い。店は狭かったがサロンのような状態で、結構有名なドラマーや業界関係者が多く出入りしていた。よく通ったが何せ高いので中古のパーツや掘り出し物のアダプタを買ったことしかない。

 大阪にはもうひとつ、ウエルズ楽器という割とオープンな店があって、そこには僅かながらドラムのコーナーがあった。その担当者が、何を隠そう大阪が世界に誇る谷九のドラム専門店「ACT」の創立者である。店には当時の常識からすると無謀ともいうべき、ドラムの試奏室があった。店内の商品はほとんどそこへ持ち込んで試奏することができた。店はかなりの投資をして、ドラマーのために在庫を揃えていた。これは勇気ある英断だったと思う。今のようにバンド・ブームなど先の先、ドラムをやるなんて、全く稀有な存在だった。しかし私がそこで培った感性はかけがえのないものだ。そこで多くの楽器に触れることができた。ペダルはYamahaのFP-710が出た頃だった。Ludwigのスネア、Super Sensitiveにも触れた。シンバルでは、K.Zildjian Istanbulが買収されてカナダに移り、それについて行かずに残った職人たちでIstanbulブランドが結成された頃だ。その後のシンバル業界の離合集散は激しく、その経緯を具に見られたのも、この店あってのことだ。

 さてその中で一際異彩を放っていたシンバル・メーカーがある。今は俗に堕してしまったがイタリアの老舗Ufipである。先程の1976年のパールのカタログによると、当時RitmoとStandardの2つのシリーズがある。刻印の違いによって製造時期がわかるのだが、この頃はすでにRitmoのハンマリングは機械化された様子である。実はこのRitmoというシンバルは、もともとハンド・ハンマリングの手作り品であって、よく出回っている1970年台のRitmoとは刻印が違う。イタリアの孤高のシンバル職人R.Spizzichino氏が修行したとの資料もあるが、時期的には一致しない。

 当時、あまりにも高くて売れないシンバルは、代理店が持て余してスタジオやレンタル業者に流出されることがあった。だから私は、さまざまな時代のA.Zildjian、K.Zildjian Canada、初期のSabian HHの音を知っている。そのなかに非常に薄くて鳴りの良いUfip Ritmo Crash Ride 20’があった。もちろん高くて買えなかったが、 ACTがレンタル部門を独立させた頃だったので覚えている。今回落札したシンバルは、多分間違いなくその個体である。まさか、たまたまヤフオクのサイトを見ていて写真に釘付けになった。入札者のほとんどは、おそらくUfipシンバルの新しいものしか知らないのであろう。そんなに高く取引されるものではないので、数人と競り合ったが、送料を入れても一万円でお釣りのくる激安価格で落札した。

 状態は50年ほど前のシンバルそれなりのものだが、音は非常に良い。昨今もてはやされているような、とってつけたような枯れた音ではなく、古いA.Zildjianとは別の明るさ、イタリアらしい弾けるような音色と、ダークな影が良い具合に入り混じった逸品である。良い音に恵まれると練習したくなる。

 蛇足だが、1976年のパールのカタログには、さらにイタリアのToscoというシンバルが掲載されているが、私は実物を見たことがない。ほかにパールそのものも自社ブランドンシンバルを出していて、そのうちDeluxシンバルは台湾製で、原料のブロンズが良いので、安いわりに大変良い音がする。しかし、もっと安いスタンダード・シンバルはアルマイトの鍋蓋のようなもので、高校の軽音楽部の部長をやっていたときに、予算を使って独断でこのシンバルを買ったのに、たった1時間でボコボコにしてしまった苦い経験がある。それに懲りて、翌年部員の反対を押し切って部費を徴収し、学校の予算委員会でゴリ押ししてPaiste Dixieシンバルの14’ Hi-Hatと20’ Crash Rideを購入した良い思い出がある。それが私のシンバル・グルメのスタートであった。

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2020年12月01日

20201201 空き家に入れた

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 母と妹を呼び寄せて家族三人で暮らそうという件、空き家探しは難航を極めた。使いたい農地が決まっているので、そこに通える範囲で探した。その範囲には約60軒の家があって、実に三分の一の20軒が、住む人のない事実上の空き家であった。そのうち、これまでの人間関係上の懸念のある家や、傷んでいて修理に費用がかかると思われる家を除いた12軒について、農地に近い順に訪ね歩いた。一般に、農村では農家の売買には不動産業者が関わりたがらない。いわゆる「農家資格」のある人に限定されることや、第三者に売却されてもムラ社会のしがらみが後を引き、移住者がトラブルに巻き込まれやすくてクレームがつくからである。そのため農家物件は、農村を維持するための行政による空き家バンクに頼らざるを得ない。しかし我がムラの場合、ムラビト同士の派閥争いなどで村が分裂していて、行政と一体となった取り組みができず、空き家物件が行政の俎上に乗ることがない。したがって、望む場所に空き家を見つけるには、一軒ずつ近所から訪ね歩き、親類縁者に繋いでもらい、あるいは民生委員を通さざるを得なかった。多くの場合、元の所有者が死亡して複数の権利者に相続され、連絡先がわからなくなっていたり、権利者に尋ね当たっても個人情報保護の観点からアクセスを止められたり、直接連絡できても耳が遠いなどで意思疎通が不可能だったり、会話が成立しても仏壇が置いてあるなどの理由で、貸したり売ったりしてもよいという色の良い返事はもらえなかった。

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 この間、農地の確保と同時進行で村中を動き回ったため、私が家と農地を探しているということは、村中の知るところとなった。貸してやるとも売ってやるとも言ってない相手に対して、退いてくれ貸してくれと言いに行くわけだから、こちらが圧倒的に分が悪い。「わしらに早よ死ね言うとってか !! 」と罵られたことも複数回、しかしなかには親身になって、わざわざ一緒に歩いて顔つなぎをしてくれたり、方々へ連絡して親類縁者に繋いでくれる人もあった。「なんの力にもなれないけれど」と、野菜やジュースをくれる人もあった。空き家と思って尋ねて行った先が、実は引きこもりを抱えた深刻な家庭であったこともある。範囲内の60軒の家のうち、これも実に11軒に引きこもりの家族がいた。その半数近くが、80-50であったたり90-60であったりした。そんな家の門前で追い払われたこともあるし、親が涙ぐみながら応援してくれたこともある。農村は、自然環境と直接対峙してるだけに、人の生き様の赤裸々な面を垣間見る。

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 さて、訪ね歩いた最後の家、範囲の中では最も遠い家で、ようやく満更でもない感触が得られたのは先月末のことである。それから一ヶ月、家主の悩みや相談に乗りつつ、また近隣の村人たちの想いに応えつつ、またそこに保浮された荒れ農地の再生に期待を寄せられつつ、何がどう作用したのか具にはわからなかったが、なんとか昨日、その空き家に入ることができた。一歩前進。

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20201201 まもなくシーズン終了

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人の苦労をよそに季節は進む。季節の進む早さに作業が遅れてはならない。
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殆どなにもできなかった今シーズンも、あとは大豆の脱穀を残すのみ。
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