2010年07月18日

Soul Power

20100712

 

 映画「ソウルバワー「を見に行く。

 

 http://www.uplink.co.jp/soulpower

 

 1974年、当時のザイール共和国の首都キンシャサで行われた、モハメド・アリとジョージ・フォアマンのボクシング世界ヘビー級タイトル・マッチ、所謂「キンシャサの奇跡」として語り継がれている名試合を盛り上げるために三日間にわたって開催された、一大ブラック・ミュージック・フェスティバル「ザイール74」の実況である。このフェスティバルの意義は、数百年を隔てて変容して来たアメリカの黒人音楽と、アフリカの音楽を一緒にやったらどうなるかという、素晴らしいアイディアに石油成金が資金を出して実現した、全く壮大なお遊びである。当時のキンシャサの音楽シーンがどうだったかというと、興味のある人はここに詳しく書いたんで、下記リンクを開いて左メニューの「Stukas」・「Viva la Musica以前」を、時間があったらついでに「T.P.O.K.Jazz」と「Viva la Musica」も読んでみてくだされ。

 

 http://homepage.mac.com/jakiswede/2music/22discs/220discs_fr.html

 

 おおざっぱに概説するならば、キンシャサでアメリカのポピュラー音楽・・・特にロックやファンクを聞いたガキどもがバンドを結成しはじめるのが1968年頃、・・・これらは、それまでのキンシャサの、所謂「ルンバ・コンゴレーズ」のあり方を根本的に変えた。 その古い方のスタイル、キューバ音楽とジャズに感化された世代の二大巨頭、Franco率いるT.P.O.K. JazzとTabu Ley率いるAfrisa l'Internationalに対するアンチ・テーゼとして新しい動きの火付け役となったのが、1968年結成のLita Bembo率いるStukas、そして翌年あのPapa Wembaも参加したZaiko Langa Langaである。1974年頃からZaiko内部で核分裂が始まり、このフェスティバルが行われた頃には「キンシャサ・ロック・シーン」の離合集散劇はまさに始まったところだった。フェスティバルに出演したのは、その古い方のT.P.O.K. JazzとAfrisa l'International、Papa Wembaは客席でFania Allstarsの指揮者兼フルーティストのJohny Pachecoが「Que viva la musica」と叫んだのを聞いて、次の自分のバンド名すなわち「Viva la Musica」を思いついたという有名なエピソードがある。私としては、時代考証からこれには疑問を持っているのであるが・・・まあいい。ザイールは、独立してから14年が経っていた。ようやく旧宗主国ベルギーの影響の排除も進み、ザイール独自の国づくりに着手されてから3年が過ぎようとしていた。モブツ大統領の掲げる「伝統回帰政策」の広告塔としてT.P.O.K. JazzとAfrisa l'Internationalは不動の地位を占める一方で、その規制の枠組みに飽き足らない若い勢力は、有り余るエネルギーが時には意気投合、時にははじけとんで安定せず、その世代の勢いを代弁する形で離合集散を繰り返しながらキンシャサ・ロック・シーンを築き上げていく。ときあたかもFunk全盛時代、その息吹は当然キンシャサにも伝わって、「いい子にしてないとJames BrownがLita Bemboをアメリカに連れてっちゃうよ」というのが、母親がきかん子を黙らせる常套句だったらしい。フェスティバルが行われた当時、Papa Wembaは、Evoloko Joker率いるIsifiでの活動に限界を感じ、次なるバンドYoka Lokoleの結成を準備していたはずである。Viva la Musicaの結成は、3年後の1977年まで待たなければならなかった。

 当時の日本の状況はどうだったかというと、その前年1973年にSantanaがSonyの全面的なバック・アップを得て来日ツアーを敢行している。そのうちの大阪公演二日間の抄録が、「ロータスの伝説」として横尾忠則デザインによる豪華22面ジャケット3枚組LPとして発売された。当時中学生だった私は、なんとしてもこのコンサートに行きたかったのだが、中学生がそんなことを言い出そうものならどんな目に遭わされるかわからないご時世だった。このライブは、Santanaだとかラテンだとか、そんなジャンルなどぶちこわし、ジャズだろうがロックだろうが、プログレだろうが、全部飲み込んで突っ走る勢いに満ちていた。陳腐といわれようが安易といわれようが、ただひたすらに元気で突っ走れば良い結果に繋がる筈だという、何の根拠もない幸せな楽天性、それがもたらす夢と希望というプラスの面だけを謳歌できた素晴らしい演奏である。この時代の来日コンサートには、よくぞここまで作り込んだのか、勢い一発でこうなっちゃったのか、とにかく結果の素晴らしいライブが限りなくある。ポピュラー音楽絶頂の時代であった。

 さてそのCarlos Santanaの弟のJorge Santanaが、翌年キンシャサのこのフェスティバルにFania Allstarsの客演としてステージで、兄貴譲りのハーモニックス奏法でのけぞっているが、ギターそのものはお世辞にも上手くない。その映像は、Celia Cruzがこの日のステージに立った模様を収録したDVDで見た。それはFania All Starsのこのフェスティバルでの演奏を収録したものだったが、その前にはP-VineからFania Allstars in Kinshasaというビデオが出ていた。これらは、ともにFania Allstarsの「OurLatin Thing」を撮影したLeon Gastが監督している。この二つの映像は、Fania Allstarsのこのフェスティバルでの演奏にスポットを当てたものだったが、映像の中に垣間見えるカメラの台数の多さ、撮影つれたアングルやカットの豊富さから、このフェスティバルの膨大な記録が関係者の倉庫の中に眠っているという噂が乱れ飛んでいた。それが陽の目を見た。それをこの目で見た。多くは語るまい。題材の特殊性から、日本ではほとんど見向きもされないだろう。だから興行はすぐ終わるに違いない。出演者の細かい事やデータはすべて上の公式ホームページに掲載されている。それを隅々まで、特に「監督からのメッセージ」を読んで映画館へ直行すべし。待ちきれない人や見る機会のない人は、YouTubeで検索すると、ほとんどすべてのシーンが、細切れながらアップされている。ちなみに「ロータスの伝説」も映像記録が残ってるはずなんよね。ウドーさん、あんた持ってるんやろ ??

posted by jakiswede at 23:57| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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