ItipoのMission Catholiqueにて、神父と話す運転手 (右) とKisangani出身の助手
http://web.mac.com/jakiswede/iWeb/3e_mobembo/Equateur.html
運転手の段取りの都合で、早朝5時の出発となった。Itipoという村のMission Catholiqueに6時に到着し、そこでミサに参加した。ここは広大な敷地に大規模な施設が並んでいる。地域の子供たちを集めて学校のようなものもやっていた。ここで男女の信者を乗せて先へ進む。道は舗装されてはないものの、特に大きな損傷もなく快適なドライブだった。沿道の村々には、特に観光客が喜びそうな工芸品などは売っておらず、楽器も見かけなかった。快調に飛ばしすぎて、Bikoroには、なんと9時頃着いた。
ItipoのMission Catholiqueでみつけた巨大ロコレ
BikoroはTumba湖畔の町である。街道はBikoroの手前で三叉路に別れ、右へとればMbandaka、左へとればBikoro中心部へ出る。その道を湖の突き当たりまで来ると、右手には市場を経て村へ、左手にはMission Catholiqueを経てDGMの事務所がある。まずはDGMへ出頭しておく。IbokoのPapa Piusが、BikoroのDGM宛に短信を書いてくれていたので、それを見せるとにこやかに中へ通された。すでにIbokoでEquateur州の通行許可証は得ていたのでそれを見せると、それに到着日時などを記入しただけでOKとなった。あまりの円滑さにコーヒー代を渡すのも忘れそうだったが、別れ際にそっと右手に忍ばせると、なんと彼はそれを断った。のみならず、その場でMbandakaに電話をかけて、数日したらこれこれこういう日本人が行くからよろしくねと伝えていた。いやこれには驚いた。こんな人もいるのだ。Equateur良いとこ一度はおいで。
BikoroのTumba湖畔 左手側がコンゴ川
岬の向こうにDGMがある
さてBikoroでもMission Catholiqueに滞在することにした。素泊まり一泊USD10と食事一食USD5x3で、都合一泊三食付きでUSD25である。安い !! Mission Catholiqueに滞在することにしたというのは、これから私はこの旅の二つ目の大きな目的であるロコレ捜しをするからである。「Bikoroヘ行けば、ロコレなんかそこら中で売っている」などと聞いて来たのだが、到着して数時間でそれは事実無根であることが見て取れた。ということは、これからロコレを作ってくれる人を捜して、その人に作ってもらわなければならないということを意味する。しかも一人だけに頼むと、手配が失敗したり出来が良くなかった場合に替えがきかないので、同時に複数の可能性を確保しておく必要がある。これは非常に危険で困難な交渉である。外国人が、地元の物を欲しがっている。そこへ付け入らぬバカはない。ありとあらゆる奴らが押し掛けてくるであろう。セキュリティに不安のある場所はヤバいのである。その点Mission Catholiqueであれば、無闇矢鱈に施設に人が入り込まないので、ある程度ふるいにかけられる。
まず手始めに、来しなに目にした市場ヘ行ってみた。例によって、珍しい生き物を見た地元の人たちの騒ぎで、市場は蜂の巣をつついたような状態になり、「私はロコレを捜している」と言うと、たちまちのうちに「私はロコレを持っている」と言う老若男女が集まった。これはもしかしたら簡単かもしれん・・・とほくそ笑んだのも当然である。「では明朝9時にここへロコレを持って来てくれ。良い物があれば高く買うぜ !! 」と明言してその場を去った。しかし、明日誰もロコレを持って来なかったら一日無駄になる訳である。そこで保険に、Mission Catholiqueへ戻ってそこの神父に相談したら、彼の知り合いで近在にロコレを作れる人があるというので、そちらにも丁寧に頼んでおいた。さらに、荷物をほどいてちょっと日用品を買いにさっきの市場まで戻ると、何人か「私はロコレを作れる人を知っている」という者があったので、信用できそうな数人の若者に丁寧に頼んでおいた。
Equateurでは、午前10時を過ぎると厳しい暑さでなにも出来なくなる。人通りもまばらになるので、私もMission Catholiqueへ戻って、Ibokoで乾き切らなかった洗濯物を干し直し、荷物整理や備忘録をつけはじめた。やがて昼になり、部屋付きの者が昼食に呼びに来たので食堂ヘ行った。食事はIbokoより質素で、味ももひとつだった。賄いおばちゃんの腕の差であろうか。
BikoroのMission Catholique大チャペル
BikoroのMission Catholiqueは、湖を望む広い前庭を持ち、来客用の宿泊棟はその庭に面しているので大変景色が良い。しかも二部屋続きで反対側は裏庭へ開いている。両側の扉を開け放っておけば、湖からの風が通り抜けて、昼寝にはもってこいの快適さである。裏庭には二羽鶏が・・・失礼、真ん中に寄宿生が朝のミサに使う小さなチャペルがあって、そこは学校にもなっている。その右手に寄宿舎、奥に教室や作業場が並んでいる。彼らは、主に教会の仕事や奉仕活動をしていて、特に山仕事が多く、毎日のように四輪駆動車やダンプ・カーで山へ出かけて行く。職員や来客の身の回りの世話をするのも彼らである。もっとも、私は特に用がないので、毎朝のバケツの水を運ぶだけの、手のかからない客だったとは思うが。寄宿舎と来客用の宿泊棟の間には、ベルギー人が建設した当初に使われていたと思しきシャワー・ルームやバス・ルームもあったが、それらは朽ち果てて放棄されていた。共同便所だけは活きていて、そこは奇麗に清掃されていた。その建物の裏で、彼らは井戸から汲んで来た水で体を洗ったり洗濯したり、集まってしゃべったりしていた。彼らにもロコレのことを訊いてみたが、確たる返事は得られなかった。裏庭の左手には井戸があって、賄いのおばちゃんは朝にやって来て、そこで煮炊きしている。彼女は、大鍋で寄宿生を含めた全員の分を作り、寄宿生が職員と来客用に小鍋に取り分けてサロンへ供して、知らせてくれる。朝食は、紅茶とパンにバターと蜂蜜、それにフルーツがつく。おばちゃんが供するのは大量の昼食で、夕食は寄宿生がそれを温め直して食べる。炊事場の裏にも洗濯場があって、脇に広い物干し場もある。施設は広大である。前庭の、湖に向かって左端には、一般信者のミサに使われる大チャペルがあって、そこから右に、私が宿泊している来客用宿泊棟、セミナー・ハウス、事務所、白人の神父の住んでいる住居兼事務所などが散在している。電気は、自家発電設備が18時から21時まで稼働する。この間に電気を使う用事を済ませる。夕食もこの時間帯にあり、食後21時までは団欒の時間で、テレビを見たりDVDを見たりしている。21時には自動的に電源が落ちるので、彼らはランプを手に寄宿舎に戻るのだが、まだまだ暑いので屋外でしゃべっているが22時頃には寝静まる。従って朝は早く、まだ暗い5時頃から掃除したりサロンの片付けをする物音が聞こえる。
部屋の湖側の扉越しに見た風景
反対側の扉越しに見た風景
反対側の廊下は日陰になっていて人も来ないので、物思いに耽るには好適であった。
炊事場
昼寝の後、15時頃にもっぺん市場ヘ行ってみた。やはり謎の東洋人がロコレを捜しているという噂は広まっていて、何人かから声がかかった。なかには質の悪そうな酔っぱらいもいて絡まれかけたが、そこは上手くすり抜けたりしているうちに、Mission Catholiqueの近所に住んでいるというKing Joeという人物に巡り会った。彼は、ここから8kmほど奥地にある村にロコレ作りの名手が住んでいて、3日ほどあればUSD50で作ると言っているがどうかと持ちかけて来た。時間と選択肢がないので、具体的な話を持って来た彼の言うことを信じて発注することにする。ただし、交通費は渡すが代金はモノを見てからだと言うと、意外にあっさりと「尤もだ」と答えた。そのほかに、別ルートで20kmほど離れた村に別の作り手がいて・・・という話にも交通費だけかけて、とりあえずその日はそれだけで戻った。すると、Mission Catholiqueの神父の一人が、知り合いにロコレ作りがいると言って、自発的に手配してくれていたので、これでまず信用に足る三つの可能性が動き出したことになる。神父にKing Joeはどう言う奴かと訊いてみたら、たしかにMissionの敷地の隣に住んでいて、毎週ミサにも来る真面目な奴だが余り信用しすぎるなとの事だった。到着早々で手応えがあったのだから、今日はこれでよしとしよう。
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