早朝、まだ明けやらぬ午前4時半頃、ドアをノックする人があった。身構えて壁に身を寄せ誰何する。「ロコレを作って来たので見てほしい」と言う老人らしき声である。これまでのザイール・コンゴ旅行で、出発間際の強盗未遂を何度か経験しているから、私は警戒した。何故出発間際が危ないかというと、旅行者は出発の段取りをしてしまっていて、移動の不便なこの国の場合、特にそれを間際に変更する事は困難である。その弱みに付け込んで間際を襲えば旅人は追求できない事を彼らは知っている。だから危ない。私は、ロコレを持っているなら音を出してくれ、今から着替えるからと言い訳を言って時間を稼いだ。それもなるべく大きな声で言った。すると隣の部屋で寝ている職員が起きて来て、トーチを持って廊下に出る音が聞こえた。それで私もトーチを点けて廊下に出た。
老人は、確かにロコレと思しき丸太の穿ったものを携えていた。しかしトーチで照らして良く見てみると、本体はほとんど彫られておらず、彫るべき溝の輪郭がわずかになぞってある程度だった。もちろん音なんか出ない。とてもカネを出せるような代物ではない。しかし老人は、夜を徹して彫ったものだから買ってほしいと言った。やがて話し声を聞きつけて、神父が起きて来た。ロコレと称するものを見て、彼も「これはあかん」と言って老人を戒めた。しばらくやり取りした後、私はこれは買えないけれども、老人の労をねぎらうためにFC900を渡した。
さて慌ただしく出発となった。King Joeが呼びに来た。なんと彼も息子に会う用事で今からMbandakaへ行くのだと言う。同乗者がいるのは心強い。旅は道連れだ。運転手は、街道筋へ出る道にある「Hotel Toyokani」に宿泊しているので、その前に6時に来いと言っていたので、ちょっと早めに行った。もう荷物の積み込みは始まっていたがまだ時間がかかりそうだったし、とりあえず顔つなぎは出来たし、乗れる確約も得られたし、同乗者もさほど多くないので、ちょっと市場へ買い物に出た。すると、初日に「ロコレを持っている」と言う人が集まった場所で、あるおばちゃんが「ロコレを持っている」と言うのでついて行ったが、「100ドル、100ドル」と言うばかりでモノを出そうとしないので、怒って帰って来た。特に追っては来ず、車は出発した。美しい湖畔の街Bikoro、もう少しのんびり湖の風に吹かれていたい街だった。Bikoroの街は、だいたい下の図のようになっている。Bikoroへ来たら環境保護団体の「CARPE」を訪れたかったのだが、これがどうしても解らなかった。残念。
感慨に耽ったのも束の間、出発してわずか30分後、行き違いのトラックに道を譲って停止した拍子にエンジンが止まって動かなくなった。やってくれました。さすがに私も奥地の旅には慣れっこになっているので、King Joeを促して (こーゆーときはお前が促せよ) さっさと降りて荷物を背負い、街道筋の合流点にあるBatwaの村を訪ねて歩いて行った。その村は結構面白くて、両目が真っ赤いけになったぐでんぐでんのおっさんがげらげら笑ってたり緑色の未熟なバナナしか食べない男を紹介されたり・・・だからどうせえっちゅうねん・・・ちゅう話題でげらげら笑い転げたりしても、なかなか車が来ないので、野次馬引き連れて次の村まで歩こうという事になって、快活にロコレ捜しながら歩いて行った。といっても別に道ばたにロコレが落ちてたり木になってたりするわけではないんやが、なんかそーゆーのんが楽しかったんで、「ま、ええか」と彼らに付き従ったという次第、どっちみち車が来んと進めんのやから、おもろい方がええわな。それに、野次馬も多ければ多いほど、ロコレにあたる確率が増える・・・犬みたいなもんや。
というわけで次の村まで歩いて来て、やっぱりそこでも村人たちと酒を酌み交わして、あんまりみんなで酔っぱらうもんやから、みんなで車見過ごしたらどないしょとちょっと心配になって、どうせ酒盛りするんやったら街道筋に出てやっても一緒ちゃうん、て提案したら「おおそうやそうや」ということになって沿道で飲みながら待ってたら、沿道やから余計野次馬が増えて大宴会になってしもた。そこへ、人が歩くのんとおんなしくらいのスピードでのろのろと車がやって来て、なんもないところでバタッとへたり込んだ。そらアンタ積み過ぎやて・・・ちゅうてまた我々がげらげら笑てたら運転手が怒って・・・その先は僕もあんまりよー覚えてないけど、車が息絶えそうになっとんのに、まだこれでもかこれでもかと積み上げて更に行く。途中で降ろす荷物もあるが、村にさしかかるたびに運転手はスピードを落として、村の集会所に大声で「荷物はないか荷物はないか」と呼びかける。屋根から「もう無理やエエ加減にせえ」と声がかかるが、運転手は「お前らが持っといたらええねん」と客を客とも思わん返事をしよる。私がそれを夢うつつに聞いていたという事は、私は座席に優遇されて暴睡しとったものと思われる。
King Joeが「イタミ、これを見ろ」と声をかけたところから記憶がつながっている。車はとある村で停まっていた。見ると、King Joeが古ぼけた黒いロコレを持っていた。叩いてみると赤い木の新品を上回る強烈な高音、それは全く金属音と言っても遜色ないほど鋭い音の、実に見事なロコレであった。あんまり喜んで値段がつり上がってもなんなので努めて冷静を、というか、ほとんど買わないふりを装ってKing Joeに値段を訊ねさせると、USD50からの交渉になった。結局King Joeに別途USD5をマージンとして渡す事にしてUSD20で手を打った。強烈な買い物である。今回のロコレ探索の旅は、結局善人神父のMission Catholiqueの筋は全滅、市場関係も全滅で、信用しすぎるなと忠告されたKing Joeが3つもロコレを手に入れてくれた事になる。人は見かけによらないものだ。
ロコレを手に入れて喜んでばかりいたのだが、車が停まっている本当の理由は、積み荷のピリピリの金を払った払わんで女たちが二手に分かれて大喧嘩していたからである。それはもうものすごい喧嘩で、摑み合うわ引っ掻き合うわ、ときには噛み付いたり髪の毛を引きむしったりで、一人は血だらけ。件のピリピリの入った篭を一人が車の屋根から引きずり降ろして道にぶちまけ、相手と思しき女が今度はマケンバ (緑色の甘くない未熟バナナ) の束をつかんで地面に叩き付ける。仲裁に入っていた男たちも、もう手に負えんという感じで遠巻きに眺めている。とにかくなんとか収拾を付けて車に戻ってもらわないと先へ進めないので、とりあえず二人を分ける必要から、助手席にいた乗組員と私が屋根に上がり、女たちの一方を助手席に、ここまで屋根で荷物版をしていた男たちともう一方の女たちを監視付きで荷物席に、という席替え案を双方が受け入れて再出発。しかし、小休止するたびに出て来ては蒸し返すので、とにかく両者を隔離しつつの荷扱い。いやあ、コンゴでもエロエロ・・・失礼、イロイロ気ぃ遣いまんねんなあ・・・
車のほうは、一回目の故障の後は意外に順調に走って、15時頃Mbandakaの市場に着いた。運転手は商魂逞しいというか、商売熱心というか、要するに荷物を見たら自分が運ばなあかんような気がして、ついつい無理してでも積んでしまうタイプなんですな。運転技術の方は、油断ならぬ道筋を熟知していて、ぬかるみであろうが朽ちかけた丸太橋であろうが、まろやかに、したたかに、優柔不断に、老獪にやり過ごし、実にすいすいとよく走る。ままならぬ車をだましだまし操るに長けた、極めて徳の高い人格者と見た。その証拠に、市場で荷物を全て降ろしてしまってカネ勘定がビタ一文狂ってなかった事を何度も確認してから、「お前この街不案内やろ、なんやったらMission Catholiqueまで案内したろ、カネはいらんし」と言ってくれた。目的地に着いた双方の女は、もうこれで誰も止める者がいなくなったので、泥沼の往来で心行くまで存分に喧嘩の再燃、もう付き合い切れんとばかりに、とりあえず双方の女の荷物を喧嘩の輪の中に放り込んでおいて、私は運転手のお言葉に甘えることにした。彼はMissionまで私を送り届けてくれたばかりか、なんと広い敷地内の事務所と来客用宿泊棟を行き来してレセプショニストまで捜し出し、私が部屋に落ち着くのを見届けてから、本当にカネも取らずに去って行った。助けられました。MbandakaのMission Catholiqueの宿泊料金は、素泊まりでUSD10である。食事は、裏庭の炊事場に毎日通って来る賄いのおばちゃんと相談して個別に作ってもらう。相場はInongoと同じFC8,000であった。King Joeとは市場で息子に出会ってから別れた。お互いの携帯電話の番号を交換したので、彼がここに滞在する間、行動をともにする事にする。
さて、荷物をほどいて一息入れて、Kinshasaや旅の途上でMbandakaへ着いたら連絡を取るようにと教えられていた人物と、一通り携帯電話でやり取りした後、King Joeを呼んでみると意外にも近くにいて暇だと言うので、ちょっと早いけれどもゆっくり飯でも食おうやということになった。「いやいやその前にDGMに出頭しとかな」ということを思い出したので、とりあえずLiberation通りを私は河に向かって進むから、お前は山に向かって進んで来いと申し合わせて部屋を出た。DGMの場所を通行人に訊ねながら歩くと、ちょうどKing JoeのいたところとMissionの中間あたりで探し当て、そこにKing Joeも現れた。携帯電話も便利なもんや。ところが肝心のDGMの事務所がもう閉まっていて、敷地から出て来る職員に訊くと「明日朝来い」との事、お役所ちゅーもんは日本もコンゴも一緒とみえる。さて、IbokoからBikoroまでランド・クルーザーで送ってくれた運転手から、魚料理がうまいと聞いた店に飯を食いに行ったのだが、これが大当たり !! 魚料理の専門店で、今まで食べたコンゴ料理の中で、一・二位を争う洗練された逸品であった。モノは河ナマズのMongousseだが、ここへ来るまでの途上、毎日何度も食ってきたのに、これほどのもには出会わなかった。なにが素晴らしいといって、河魚特有のエグ味が上手くコントロールされて、あっさりした旨味とピリピリの辛みと油の中に見事に溶け込んだ、その味の調和である。こういう美学は、日本料理とは全くの対極、ヨーロッパ料理の混とんとした味の調和ともまた異質な、対極と異質の洗練を極めた独特のものである。世界中を広く旅して、現地の食材に親しんだ私から見ても、この店の味はコンゴが世界に誇って良いものではないかとさえ思う。おまけにここは自家発電設備があって冷たいビールも出た。実にInongoを出立してから12日ぶりの冷えたビール・・・もう幸せ幸せ。「Restaurant 3 Soeurs」という。Mbandakaへお越しの節は是非どうぞ。単に腹が減って喉が渇いてただけやったりして・・・
その後、腹ごなしに暗くなるまで街を散策して、中心部はほぼ全容を把握。Missionに戻って、電気のないなか、ランプの光をたよりに旅日記を綴る。
- 20160501 6年前の恩返し
- 20130112 旅先の新年どんなんかな
- 20130111 旅先の新年どんなんかな
- 20130110 旅先の新年どんなんかな
- 20130109 旅先の新年どんなんかな
- 20130108 旅先の新年どんなんかな
- 20130107 旅先の新年どんなんかな
- 20130106 旅先の新年どんなんかな
- 20130105 旅先の新年どんなんかな
- 20130104 旅先の新年どんなんかな
- 20130103 旅先の新年どんなんかな
- 20110921 写真展@岡山
- 20100416 Epilogo
- 20100412 旅の終わり
- 20100411 Üsküdar
- 20100410 Panorama 1453
- 20100409 Savall Istanbul
- 20100408 Istanbul Mambo
- 20100407 Gallipoli Houses
- 20100406 Mustafa Kemal