本日より午前中はItsharli師匠のロコレの特訓である。こんなこともあろうかと思ってmp3プレイヤーに詰め込んで来た往年のViva la Musicaの大ヒット曲の数々、その数200曲 !! 、中年男二人ホテルの浴場・・・失礼、屋上で二股プラグに仲良くヘッド・ホンをソーニューして、師匠の口 (くち) ロコレに合わせて私が寸分違わずに叩く。やがて高まり行く師匠の声・・・「ココッココッ、カッ・・・、ココッココ、ンッッカンッッカ、ンンカッカッ」・・・鶏のような声を出して口をとんがらせ身振りで指示するええ歳こいた男と、それをしっかり見つめながら的確にロコレに立ち向かうええ歳こいた私・・・よくぞこのホテルに誰も来ない屋上があったものよ、いやいやもしかしたら階段をそこまで上がって来て、あまりの異様な雰囲気に怖じ気づいて降りて行ったのかもしれぬ。どっちみち好都合、師匠の「手」は全て体に染み付いた愛弟子の記憶、それでも「違うっ !! ココッココッ、カッ・・・、ココッココ、ンッッカンッッカ、ンンカッカッや。なんべん言うたらわかんねん !! あかん!! 」と檄の飛ぶ微妙なタメとツッコミ・・・これからロコレをやってみようかなと思っているアフリカン・パーカッショニスト志望の皆さんいいですか、「ンッッカ」というこのタメ、「ココッ」というこのツッコミ、これは非常に大切です心得てください・・・大阪人でもなかなか判断のつきかねる師匠の目の合図と口ぶりの変化によって次の展開を予測する。長年ピリピリのサポートで鍛え抜いた音楽的直観と柔軟性と適応力を総動員して集中する毎日3時間の猛特訓・・・20年前の愛のカンチョーあってのこの展開、やがて3日目にはmp3プレイヤーの全ての曲をさらえ尽くし、終わった頃には二人の中年男が肩で息しながらテーブルに這いつくばる体たらく・・・それを見たホテルの主人「おまえらなあ・・・」すんません、ば・・・場所代、は・・・払います・・・おかげさまで特訓に集中できました。こうして20年の間に次第に崩れた私のロコレの「手」を、毎日昼飯を奢るという約束で師匠は直して下さいました。
一息ついて師匠と羊肉のてんこもり昼飯を平らげた後、思い立って都心のAcadémy des Beaux-Artsと、それに悶絶・・・失礼、隣接するMusée de Kinshasaへ行く事にした。そこは、かつてはAv. 24 Novembreといって、故Mobutu前々大統領がクーデターを起こした記念日を・・・とにかく通りの名前が変わってAv. Pierre Muléléとなっている。しかし我々のように古くからKinshasaに住んでいる者は、ついついKinshasaの大通りを大雑把に把握するために、Matongesと都心をつなぐAv. Kasa-Vubuを中心にして、東にUniversité、西に24 Novembreと記憶してしまっているものだから、ついタクシーに「24」と叫んでしまう。まあそんなこたどーでもええんやが、美術館ヘ行けば、奥地の旅で見かけた様々な伝統的な仮面や意匠の何たるかを知る事が出来るんちゃうかと思ったのであるが、巨大な建物と敷地の割に開放されていたのはほんの一室のみで、コンゴ人は入場料FC500やのに、外国人はガイド付きでFC5,000なんぞとこきやがる。ガイドちゅうてもね、だいたい解り切ってる事を簡単に説明するだけやし、師匠しびれ切らしてしもてEquateur地方の伝統的な儀式に使われる仮面のそれぞれの役割について、ひとつひとつその学芸員に突っ込んでいじめたりしてたらやがて一周してもた。そこを出て庭を散策中に見つけたミュージアム・ショップがなかなか良い雰囲気で、物静かな男が店番をしていて親切に説明してくれる。ほとんどの商品は美術学校の学生の作品で、手作りの細やかさが良く出ていて初々しい。しかも手頃なお値段である。私は、Kinshasa随一の土産物露店、中央駅前広場のMarché d'Ivoireのえげつないボリ方 (約30倍からスタート !! ) を知ってるから、ここである程度日本へ持って帰る土産物の目処だけつけておいた。
さてそのMarché d'Ivoireはというと、訊けばなんでも駅前再開発のためにその一等地を立ち退いて、Bd. 30 Juin (コンゴRDCの独立記念日) を西の方へ下がったRoyalという場所の空き地で仮営業していた。外国人を見ると群がって来る売り手たちの様子は変わらない。白人の金持ちや、華僑のトレーダーが来て品定めしている。まとめて大量に買って行く客もあるが、やはり仮営業なので活気に乏しい。売られている物は、仮面・置物・アクセサリーがほとんどで、楽器は極端に少ない。likembeを捜しておこうと思ったが、日本でも売られているようなちゃちな代物に結構な値段を言うので無視していたら、やはり来た。「お前の欲しがっているような物を持っているやつがいるぞ」とか、「今日は持って来てないが、家から古くてトレ・ビアーンなやつを持って来といてやるよ」とか言って来るので、「じゃあまた来たときにいいのがあったら買うよ」といい加減な返事をしておいて、師匠と木陰でビールを飲みながら作戦会議。楽器としての使用に耐えうるlikembeは、やはりミュージシャンから買うに限るので、金五郎君がditumbaを完成させたら、それを取りに行くときにKononoファミリーに頼むか、KitamboにいるKonono Molendeのところで訊いてみるか、それでダメならここでなんとかしよう。ということに落ち着いた。
せっかく都心に出たので前々から連絡をくれていて、奥地への旅に出る前には捜し当てられなかったFistonの息子と連絡が取れたので、すぐ隣の区のLingwalaへ捜しに行った。かつてFistonが住んでいたあたりは再開発がかかってすっかり荒廃してしまっていたが、息子は親戚に引き取られて、わりとしっかりした家に悠々と住んでいた。話と言っても、私が彼に会ったときは、彼が生まれた直後なので、ともに共通の話題はないのだが、息子がLondonに住む父に電話をし、それを私が引き継いだりして和やかな時が過ぎて行った。やがて夕食時になり、「どうぞご遠慮なく」というそこのママの手料理を食って、満ち足りた気持ちで家路についた。
夜になると屋上のクソッタレバンドがリハーサルを始めやがる。まったく堪え難いので仕方なく通りへ出て、もうちょいマシなものでもないかと捜しはじめたら「イタミ !! 」あれ ?? 師匠、こんなとこでなにしてんの ?? 女連れである。いやお見それしました。Mateteへ帰ったと思いきや・・・「La Creshがひどいからさあ、ちょっとマシな音楽聞きに行こうと思うてね」「ほな一緒に捜そか」と言うて、奇妙な三人連れで20 Maiの旧スタジアムの方へ斜めに延びる道を歩きかけたところ、右手より何やら黒い気持ち良さげなMutuasiが聞こえて来る。師匠も私ももはやまっすぐには歩く事が出来ず、そっちの方へそっちの方へ引っ張られて行って、とある狭いバーに吸い込まれて行った。おお、これはKasaï AllstarsとともにCD化されたユルユルのMutuasiバンド「Basokin」ではないか !! 師匠も思わず身構えるそのユルさ加減、なんて言うたらええんやろね、リズムのエッジが全然立ってないねんけど、大まかなたゆたうグルーヴがねえ、太いというか柔らかいというか、ともすれば師匠でさえリズムの頭を見失うほどとらえどころがない。でも演奏の全体は、かっちり固まってる。言葉では言い表せへんね。そこへ若い女性ダンサーが3人ほど出て来て、腰を斜め前へ突き上げる動作をしながら低く低く落として踊ってる。師匠の目は爛々と光り輝き、隣の隠し女が思いっきり背中をはり倒す・・・おいおい、私の師匠にナニすんねんと、くずおれた師匠を助け起こす私・・・ともに笑い合う奇妙な三人連れに、明らかに周りの客は怪訝な顔してましたな・・・しかし演奏は素晴らしかった。Mutuasiの音楽とロコレを使う音楽とは、実は全く異なる地方のものなので、相性は良くないのである。Mutuasiのリズムの核をなすのは独特の鋭い金属音、今ではビール瓶で代用するのが当世流なのであるが、それにぬめりつつからみつつ下から鳴り響くのが、私がN'djiliで注文したditumbaというこの地方独特の太鼓である。どんなものかについては、ここに詳しく書いてあるのでご覧頂く事として、
http://homepage.mac.com/jakiswede/2music/23equips/236withhands/2360withhands.html#4
とにかくそのditumbaの音は丸みがあってビビリがあってサスティーンが長いので、ついつい脳みそが後ろに引っ張られる感じがするのである。師匠としてはこの感覚は専門外というか、ご自分の美学とは対極にあるともいうべき種類の感覚なのであるが、そこはリズムの不思議さに引き寄せられるロコリステふたり、ためつすがめつ、ピーナッツ食いつつ聞き惚れたのでございました。演奏は、あっさりと23時頃終わった。感動のお礼に、matabishiを持って長老のもとを訪ねると、中へ招かれて酒宴となった。そこで見せてもらった彼らのditumba、リズムの不思議さに引き寄せられるロコリステふたり、ためつすがめつそれを眺め様々に質問もし、名残惜しくも、「明日仕事があるから・・・」と帰宅を急ぐ彼らの次のライブの予定を聞き出して別れたのでありました。ううむ・・・明日仕事があるからだと ?? 20年前にミュージシャンがそんな事ほざいとったらたちまち袋だたきに合うたであろう。ミュージシャンが仕事をしてるという事自体が許されないモラルがあった。ううむ・・・時代の変化を痛感させられ、未だ鳴り止まぬクソバンドの轟音の中を部屋に戻って寝た。
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