昨夜の事をつらつら思うに痛感する事は、もはやMatongeはコンゴの音楽の、いやアフリカ音楽の首都ではなくなったという事だ。この20年の間にコンゴは内戦、政変、大統領の暗殺などを経ながらも、グローバリズムの波に乗って発展して来た。その結果、音楽が国の主要産業たり得た経済のレベルはとっくに超えて、もっと規模の大きな動きの中でこの国は回っている。人口は密集し、首都の要衝は人で溢れ返り、物価は東京並み、つまり20年前の30倍だ。そんななかではミュージシャンはやって行けず、かつてはこのMatongeの至る所にあったライブ・ハウスや、昼間の時間をバンドの練習のために貸していたバーなどは経営が成り立たなくなって、より利益の大きい、携帯電話ビジネスやインターネット・カフェ (Cyber) 、ブティックやサロンに鞍替えした。かつてPapa WembaのViva la Musicaが活動の本拠地にしていたライブ・ハウスVis-a-visはゲームセンターとなり、Foubourg (T.P.O.K. Jazz) ・Ngoss Club (Zaïko Langa Langa) ・Kimpwanza (Anti Choc) ・Cadioca (Choc Stars) などは影もカタチもなく、Veve Center (Victoria Eleison) すら、もうないのだ。レコード屋や小さなエディションもなくなり、それらは携帯端末などのパーツを売る店になっている。もはやVictoire広場を揺るがしていた、それらレコード屋から垂れ流される大音響の音楽は聴かれなくなり、大渋滞のために動かぬ車のクラクションに取って代わられた。夜な夜なホテルの窓越しにそよ風に乗ってあちこちのライブ・ハウスから聞こえて来た名演奏の代わりに、La Creshの耳を塞ぎたくなるようなコピー・バンドのバカ演奏と、ほうぼうにあるホームレスの簡易宿泊所を兼ねた合宿所でがなり立てられる煽動的なアジテーションが耳をつんざくのである。20年前、私が定宿にしていたHotel Diakandaさえ人手に渡り、かつてセキュリティのしっかりしていた中級ホテルは、このような汚いアパートに成り下がってしまった。このエリアで代表的なHotel Matongeも今は電気もなく、Yaki・Mukokoなどの昔懐かしい南京虫の散歩していた安ホテルは消滅した。音楽を目的にMatongeに来た筈なのに、もうここにはミュージシャンは集まってはいない。音楽シーンは経済の波に押し出されてKinshasaの郊外へ散り散りになった。かつてはすぐ歩いて行ける距離にいくつものライブ・ハウスやバーがあって、朝までハシゴしても危ない目ひとつ会わなかった音楽の楽園は、いまやコンサートを見るために郊外までタクシーで出て行かなければならなくなった。そればかりか、WerrasonやFerreなどビッグ・ネームのバック・バンドは、その練習にさえカネをとられる始末だ。その練習も、歌を持ち寄って歌手が試行錯誤と実験を繰り返しながら歌い込んで歌い込んで、それに寄り添うようにバッキングが次第に練り上がって行くような、ほのぼのとした音楽的創造の場ではなく、パトロンの名前をいかに出資額の順番を間違えずに連呼するか、それに重なるアニマシオンとダンスをいかに効果的に見せるかの練習であり、時によっては新規メンバーのつるし上げ的オーディションの場にもなる。もはやこれらは売名行為以外のなにものでもない。長居は無用。済ませるべき用事だけ済ませたら、さっさと退散するのみ。
私は、もしかしたら音楽を素直に楽しめなくなっているのではなかろうか・・・と思う事がある。いろいろな音楽に触れて、聞く耳が肥えて、ジャンルではなく、内容によって、その音楽が自分にとって良いものかどうかを判断するようになって来ると、自然と基準が厳しくなって行くのである。どうしても、いやなものはいやだ。世の中にはいやなものの方が多いから、それだけいやな思いをしているわけだ。仕方がないとはいえ、いやだいやだと思っていると、いろんな事がいやになって来て、外に出るのもおっくうになる。奥地の旅は珍しい事の連続だったので、いやな思いをしている暇などなかった。しかしKinshasaは、ここが良かった時代を知っていて、その夢の続きを見たいという期待感があった。しかしそれはたった数日で無惨にも打ち砕かれた。もはやほとんどまともな音楽には出会わない。私が20歳若ければ、こうは思わなかったのかもしれない。しかしもう遅い。Victoire周辺は夜中にならないと混雑が収まらず、あまりの密度の高さに外出する気が失せる。交通手段に対して人が多過ぎ、ほとんど難民状態だ。うっかり出て行くと、なかなか用を足せないままにいろんな奴らに捕まるのが鬱陶しい。もうだいたいわかりきってるのだ。20年前ならKinshasaの物価も今の30分の1だったので、少々人と出歩いても大してカネは使わなかった。しかし今では、ちょっとした事で100ドル札に羽が生えたように飛んで行く。いかん。とりあえず師匠の特訓と、彼とともに外出する以外の雑魚は切り捨てよう。イライラしてる。特にこのホテルは限界だ。ハウス・バンド以外はこれといって問題ないのだが、ちょっと部屋が汚い事もイライラのもとになっている。そうだ、ちょっとしたことだ。今日は、師匠の特訓の後、Viva la Musicaのレペが休みになったので、師匠はそのままMateteへ帰ってしまった。私はどうにも気分が鬱いで、出る気がしなくなり、部屋でテレビを点けた。なんと「Twenty Four」をやっている。見た事のないシーンだ。Kinshasaまで来てじっとへやにこもってアメリカのテレビドラマを見ている。なんとも滑稽なものだ。今日はクーラーが効かないので汗をかく。電子蚊取りのマットが尽きて、蚊の大群が押し寄せて来た。長袖長ズボンで対応するが、暑くていられない。階下に降りて、ガキに蚊取り線香を買って来てもらうものの、中国製のそれは全くといっていいほど効かない。仕方がない。マラリアの不安に苛まれながらも耐えるしかない。そうなってくると、今までなんとも思わなかったものが、全部不潔に感じられる。汗・トイレ・バケツ・スプーン・街角・露店で売られているものの全て・・・・いったんそう感じられはじめるととめどなく、この街全体が不潔に思われて来る。そうだ。この部屋の臭い、つまりトイレの臭いがたまらん・・・疲れているのだ。それはそうだ。Kinshasaに戻ってからトバしっぱなしだったから。少し寝よう・・・
夕方に目が覚めた。やっぱりイライラしてる。ホテルを変えよう。外に出て、新築のホテルを物色する。目の前のInter Matongeはさすがにばつが悪いので、広場の向こう側を捜す。Av. Kasa-Vubuを少し都心側に歩いたCentre Bibliqueの裏手に、まだオープニング・キャンペーン中のホテルを見つけた。Hotel Rennaissanceといい、一番安い部屋でUSD35、見せてもらったが、まあまあ奇麗で水も電気も来ているので、Kinshasa最後の土日(3/20-21)の予約を入れた。La Creshに戻って荷物を整理していたら、金物入れのタッパーの中から電子蚊取りのマットのスペアが出て来た。そうか、3枚入れてあった筈なんや。落ち着いて考えてみたら解る事や。なにもイライラする事ではない。飲み込まれるとこやった。自分でこの状況を変えていかな神経が持たん。まずは空気を入れ替えよう。この部屋はベランダもないので、空気の入れ替えは扉を開けるしかない。反対側は便所だから臭い臭いが入って来るので、それで我慢するしかない。あまり良くない事だが、廊下に椅子を持ち出して、開けた扉にまたがせて旅日記を付けはじめた。書き物をしていると、不思議に心が落ち着く。格子状になった外壁越しにVictoire広場の喧噪が見える。暗くなるまでそうしていても誰一人通る者はなかった。書き物は終えたので、Cyber巡りに行く。Matonge周辺にはCyberはいくらでもあるが、ネット環境もさることながら、古いWindows PCに古いIEしか載ってない状態で、私のme.comには全くアクセスできない状態が続いていた。ところがホテルの裏手に、なんとFireFoxを搭載した新しいPCのあるCyberを見つけた。雰囲気が落ち着いていてスタッフもなかなか親切である。me.comにもアクセスできて、久しぶりにメールを全て読んだ。それは、ここの喧噪や、雑踏から吐き出される淀んだ空気、緊張感、身の安全、そしてイライラ・・・そんな心の状態からして、遠い遠い別世界からの通信のように見えた。それらに返信を返し、ブログの更新を試みたが、やはり速度が間に合わずダウン。仕方なくブログへのコメントとして、Inongoからの旅路の事を簡単に書いた。このCyberは、比較的電気が安定していて余裕があったので、Cairoで宿泊するつもりのホテルにメールで予約を入れた。「世界一周チケット」の予定通り3/22 (月) にここを発つ。ちなみに、コンゴで私の経験したKinshasa・Inongo・Iboko・Bikoro・Mbandakaの市では、自家発電設備を複数の家で共有する事から、発電機の事を「groupe」と呼びならわしている。電気の供給に不安のある場合は、「Ozali na groupe ? (グループはあるか) 」と訊けば良い。さて腹も減って来たので旧Diakandaの一回で飯を売っているねーちゃんのところヘ行って、魚と豆のシチューで晩飯にした。
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