2011年01月27日

20100320 Maguy Guerembaya

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 宿替えである。Kinshasa最後の二日間は、ちょっとは快適に締めくくるとしよう・・・荷物をまとめて新居La Rennaissanceへ運び込み、日本へ送る分を担いでタクシーをチャーターする。都心へ走らせ、中央郵便局の裏のDHLにつけた。ここで一人会いたい人があった。それは旅立つ前に、日本でリンガラ音楽をやっているYoka Chocというバンドのことを調べていて私のサイトに行き着いたという、Maguyちゃんという女性である。奥地への旅の前にも何度か連絡を試みたがつながらず、先日やっと連絡が取れたので、ここで待ち合わせることにしたのである。

 

 http://www.youtube.com/watch?v=NZEsXZbhhM0

 

 荷造りは出来ていたので、計量すればすんなり終わるものと思っていたが、ここに飛んだ落とし穴が待っていた。中身を改めると言うのだ。ううむ・・・まあそれが職務なら仕方がない。確かに危険物があれば厄介だから。荷物は開梱された。食品類は乾物もダメということで除外され、他にも細かい日用品で不要になったものが何故か取り除かれた。再計量すると2kgも軽くなり、料金はUSD1,020に下がった。ところが、lokoleふたつとditumbaが問題となった。つまりコンゴの法律では文化的な品物、つまりここでは楽器だが、それを国外へ持ち出すには政府の許可がいると言う。政府の許可 ?? ・・・私はほぼそこに頽れんばかりになった。今日は土曜日である。出発は月曜日の昼だ。月曜日の朝からいくらかけずり回ったところで、この事務手続きの非能率な国でそんな許可など降りる筈がない。ううむ・・・1989年、初めてのKinshasa滞在を終えて帰る時、美術学校の友達が描いてくれた絵や彫刻、見事な赤い木のロコレなどを没収されたことを思い出す。1991年の二度目の時も、楽器と彫刻を没収された。確かに筋は通っている。今回奥地まで分け入って苦しみ抜いて手に入れた数々も、金五郎君に作ってもらった作品も、ここで捨てて帰らなければならないのか・・・私はなんとか賄賂で切り抜けようとしたが、係の者は頑として受け付けなかった。これらはプライベートな物で、国のいうような文化的な物ではなく、単なる土産物だと主張したが、埒が開かないと見て、私を上司のところへ連れて行った。上司は女性であった。私の説明を一通り聞いた上で、やはり私の送ろうとしている物は、国の定める文化的な物に該当すると言う。土産物とは、Grand Marchéで買ったおもちゃの仮面や親指ピアノのような類いだと言う。確かに、このlokoleやditumbaはプロの使用に耐えうる楽器だ。しかし私もはるばる日本から旅をして来て、月曜日の昼の飛行機で出国するのだ。それを説明し、だめもとでいいからと、手続きに必要な書類が出来たと仮定した上で、それが手に入ればすぐに発送できるよう、他の手続きは全て済ませてくれるように頼み込んだ。さすが上司だけあって私の話に理解を示し、その書類があるとした上で伝票を作って、会計にまわしてくれた。支払いである。カウンターにはでかでかとVisa Cardのステッカーが貼ってある。私は迷わずカードを出した。すると、なんと今日は現金でないとダメだと言う。あのさあ、だからこないだ見積もりに来たときに、カード支払いも含めて全部箇条書きにして・・・もおええわ、できんもんはしゃあない。とにかく送り状だけでも用意せいと言うたが、発送が確定できない物の送り状は出せないと言って来た。そらそうやな。ほなしゃあないし、すまんけど荷物だけ預かってくれるか、と頼み込んで、裏の倉庫の係の者にもコーヒー代渡して、そこだけはなんとかなった。

 そこへMaguyちゃんが現れた。なんとチャーミングな私好みの女性であることよ。Kinshasaの女性は、ここ20年ですっかりスリムになった。20年前は、太っていることが美の尺度であったのだが、今は正反対だ。ヘア・スタイルも変わった。どっしりとふくよかな女性に似合うものから、すっきりとした都会的なスタイルになった。バリエーションも増えた。ストレート・パーマが流行り、ロング・ヘアをなびかせ・・・いやいや、今はそんなことに現をぬかしてる場合ではない。私の悲壮な表情を見て、彼女はなにかあったのかと訊いた。私は一部始終を説明した。すると彼女はカウンターヘ行って、スタッフから説明を聞いた後、その場で数カ所に電話した。私がメモしていた政府発行の必要書類の名前を確認し、「大丈夫よ、すぐに彼が来るから、どこかのカフェで待ちましょ」と言った。私は何のことだか解らなかった。

 

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 コンゴという、何もかもが遅れ、非能率に苛立たされる国には、本当にきわめて稀に、一瞬ですべてを解決してくれるような逸材が存在するのである。Maguyちゃんはまさしくそんな女性だった。DHLの近くのカフェで「彼」と待ち合わせた。彼は既に「申請書」の白紙のコピーを持っていた。それに必要な項目を全て聞き出して埋めた上で彼は数カ所に電話し、にこやかに頷いて「大丈夫。明日会おう」と言った。DHLを出てからものの15分と経っていなかった。希望が見えて来た。全てを託した。もはやじたばたしても仕方がない。私が動けない以上、彼らを信用する以外、他にベターな方法はあり得ないのだ。

 Maguyちゃんもその彼も、おそらく重要な企業の有能なスタッフに違いない。外見も物腰も、言葉遣いもすべてが違っていた。彼らは日本に大変興味があって、特に音楽や芸能に関心があると言う。かねてから日本のために、ここで何かをしたいと考えていたらしく、そのきっかけになればと、まっすぐな目をして言うのである。私は、奥地から無事に帰京したことを、既に日本大使館のK氏に伝えてあったが、出国する前に、K氏は奥地の情報を欲しがっていたので、明日、大使館で会う約束になっていた。よかったら二人とも同席されてはと誘ってみたが、彼女だけ来てくれることになった。しばし歓談の後、彼らは仕事の続きがあると言って、事務所へ去って行った。

 

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 Maguyちゃんとは、今もコンタクトをとり続けている。お世話になったので、帰国後に日本の浴衣をお送りしたところ、自分で着方を調べて、きちんと着こなして写真を送ってくれた。

 

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 この姿で通勤もし、仕事もするそうである。

 

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 その年の冬に、日本から別の女性がKinshasaを訪れることになり、Maguyちゃんを紹介しておいたところ、現地でなかよく遊んだらしく、Maguyちゃんからのお礼として、このような手縫いのシャツとパンツが託されて来た。手縫いやで。どうもね・・・距離と年齢の遠く離れた女性は素直に好いてくれるのに、近い女性はあきまへんなあ・・・ (;_;)

 

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 いやこれは日本ではあり得んセンスですが、嬉しい限り。

 

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 アホです。

 

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 雪です・・・

 


posted by jakiswede at 16:19| Comment(0) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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