2011年02月12日

20100324 جامعة الأزهر

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 早起きをして、裏の洗濯屋に洗濯物を出してから、Gizaのピラミッドヘ行ってみる。ツアーに参加するなんてガラじゃあないんでターミナルから路線バスで行くのである。たちまちアラビア文字の壁にぶち当たるのだが、要するに自分の乗るバスの数字さえ覚えてしまえば良い。ターミナルからピラミッドのクフ王側入り口ヘ行くバスは「997」番である。これをアラビア文字のインド数字 (歴史的にややこしい) では「٩٩٧」と書く。

 

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 バスは汚いが、空いていて快適である。朝の通勤の人たち、特に病院へ出勤すると思しき看護士たちが多く乗って来る。こういう庶民的な場面でも、ごく普通に英語は通じる。「ピラミッドのクフ王側入り口へ行きたい」と運転手に伝えておいたら、そのやり取りを聞いていた乗客が全員口を揃えて「ここで降りろ」と教えてくれる。その余りの異口同音さが彼ら自身にも面白かったらしく、一斉に笑い転げた。大阪なノリである。運賃は50pt ( = 0.5£E = 約9円) 。

 

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 ピラミッド地区は全体が公園になっていて、そこへ入るのに入場料がいる。ピラミッドの中に入らなければ安い。どうせ人で混雑するに決まっているから安い方にした。入口のアプローチには、これから一仕事する観光用のラクダや馬車が準備をしている。しょーもない演出ですな・・・Cairoでの写真集はこちら。

 

 http://web.mac.com/jakiswede/iWeb/3e_mobembo/Cairo.html

 

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 ピラミッドはでかかった !! しかも、Cairoの都市部が近かった。

 

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 観光用のラクダのにいちゃんが、周りの観光客には頻りに声をかけるのに、私には声をかけて来ないと思ったら、たしかにこのナリでは声かけにくいわな・・・カメラのセルフ・タイマーで一人遊び。

 

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 砂漠というものを直に見るのはこれが初めてだった。幼少の頃より砂漠というものに強い憧れがあって、その果てしない世界、蜃気楼、点在するオアシス、隊商の一員になって諸国を巡ることが漠然とした夢だった。なぜかはわからない。しかし、茫漠たる世界、不毛の大地、砂の地平線というイメージに憧憬を重ねていたことだけは確かである。ピラミッドの敷地の北半分を半周して、発掘中と思しき小さなピラミッドの廃墟の岩陰で一休み。陽射しは強いが岩影に入ると涼しい風を感じる。さらに西側の砂漠へ出てみた。遠くをブルドーザーが走っている。どこヘ行くのか、そのわずか手前を数頭のラクダがとぼとぼと歩いていく。地平線以外になにも見えない。振り返ればCairoの大都市である。その中間というものがない。その向こうヘ行ってみたい・・・が、歩いても歩いても靴が砂に埋もれるばかりで、いっこうに景色は動かない。しかも、ここから先は、全く岩陰などは存在しないのである。灼熱の太陽と砂からの照り返しが顔に焼き付く。既に11時である。振り返ると、少し遠くなったピラミッドの影に、大駐車場に集結しはじめた大型観光バスから団体客が吐き出されているところだった。南へ、弧を描きながらスフィンクスのもとへと戻り、その出口から場外へ出た。ほんの2時間ほどの砂漠の旅であった。

 

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 スフィンクス側の入口は、クフ王側と違って土産物屋の集結したにぎやかなエリアであった。観光バスが発着し、タクシーの勧誘や物売りがしつこい。ちょっと高級な土産物屋へ避難した。値段を聞いてみると、感覚的に5倍程度のふっかけ方で、昨日行ったスーク「خان الخليلي (Khan El-Khalili) 」と同じものがほぼ同じ値段で売られており、価格カルテルを結んでいるものと思われる。売りつけ方もほぼ同じで、初対面であるにもかかわらず、何故かスペイン語で私を「amigo」などと呼び、「俺とお前は血を分けた兄弟だから、俺が主人に交渉してお前だけのスペシャル・ディスカウントをしてやる」などともちかける。「八釜しいわい、お前みたいな下衆野郎と兄弟の血なんか分けた覚えはないぞ」といっても手を離さず、「今はカネガない」などと言おうものなら、「おや、すぐそこにほら銀行が・・・」なんてことになって余計始末が悪いので小走りに逃げる。まあそんなことも楽しんで暑くなったので、気のいいにいちゃんからソフト・クリームを買って大通りへ出ると、たまたま個人営業のミニ・バスがGizaのメトロの駅まで行くというので乗ってみた。途中、トロい日本人の観光客おばちゃん三人組が乗って来た。現地在住のおばちゃんのところに、日本から遊びに来たというわけだ。旦那と離婚して一人になってから、知り合ったエジプト人とここで暮らしていると言う。食べ物は安いし人は優しいし、こんないいところないと・・・まあおめでたいこっちゃ。駅で別れる。エジプトでもバス関係の人は親切や。

 

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 Giza (لجيزة) の下町を散策。腹が減ったので、スタンドで飯にした。チャパティのようなものは食べ放題で、シチューとサラダがつく。名前は知らない。

 

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 Cairoのメトロは、Parisのメトロの車両と似たような感覚で乗れる。

 

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 メトロでOperaまで行き、今夜面白そうなプログラムがないか捜しつつ敷地内を散策。アカデミックな空間というものは、心が落ち着いてよろしおまんなあ・・・でも催し物はなかった。Cairoの伝統音楽を聴きたかったのだが、明日早朝にここを発つので今回は諦めよう。

 

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 昨日目星をつけた楽器屋街へ行き、例のにいちゃんから一番良いルバーブを手に入れた。ケースとかエロエロ・・・失礼、いろいろ付けてもらって、コーヒーまでごちそうになった後、「جامعة الأزهر (Al-Azhar) 」の公園まで足を伸ばした。地図は持っていたが、入り口が解らず、ミリタリー・ポリスに訊いてみたら非常に親切に教えてくれた。のみならず丘の上で見張りをしていた仲間に合図して、上から私が道に迷わないように見張ってくれたりもした。感謝の気持ちを身振り手振りで伝えると、丘の上から大きく手を振ってくれた。徒歩で行くと、入口は都心からは反対側の幹線道路をぐるっと回らなければならない。しかしその東側に広がる下町に庶民の生活を垣間みることが出来た。

 

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 園内は見事だった。都会の喧噪とは全く別の世界があった。家族連れや若いカップルやグループ、小さな子供の乳母車を押している若い夫婦・・・全く平和このうえない和やかな光景である。芝生でランチを広げる者、バドミントンをしている人たち、のんびり林の中を散策する老夫婦・・・そう、全く「絵に描いたような」平和な光景であった。ルクソールで日本人を含む外国人観光客が無差別テロに遭ったのは、たしか1997年のことだったと記憶するが、世界的な観光地とイスラム原理主義テロリストが同居しているという、危険なこの国の実態を思い知らされたのであった。そのテロを強行したグループは、その数年前にニューヨークの貿易センタービルの地下駐車場を爆破し、そのあと「9.11事件」を起こすアル・カーイダとつながりのある「イスラム集団」であった。私が滞在していた時期にも当然起こり得たし、またデモが行われていたときにも当然起こりえた。また、この平和この上ない公園で和やかに遊んでいるかに見えるグループが、突如隠し持っていた武器をとって無差別発砲し、地獄絵が描かれたかもしれない。それは起こりえたのである。実際に隣り合わせになっているのである。その危うさ故に、彼らはこの「絵に描いたような」平和な光景にしがみついているのではなかろうか、そう思えるほどにのんびりした光景であった。一息ついたのは夕暮れ時だった。やがて街は夕陽の逆光の中でヴァーミリオンに色づいて行き、J.G. バラードやDuneの世界を彷彿とさせる風情となった。おりしもアザーンの朗詠が街に響き渡り、園内もそれに合わせて静まり返って、一気に異国情緒に満たされた。ひとしきり写真を撮り終えて公園を出た。その足でスーフィーの旋回舞踊を見に行こうと思ったが、朝洗濯物を出して来たことを思い出し、それを受け取りに行かないと明日は早朝出発なのでややこしいことになる。公園の出口からタクシーを拾い・・・この値段交渉も面白かったが・・・結局若いまだぺーちゃんの運転手が£E10なんて口を滑らしたもんだから、その値段でTahrir 広場まで走らせた。Cairo最後の夕暮れ時、全てが金色に染まる街をタクシーで飛ばす。これはぜひ経験されるべきである。جامعة الأزهر (Al-Azhar) からميدان التحرير (Tahrir Square) までの道は、数多くの大きな遺跡の脇を通る。その光と色の妙、何千年の遺跡が道路のすぐ脇にある。石ころまで転がっている。ピラミッド側がそうであるように、街の東側も砂漠である。Cairoの街は、砂漠の中に孤立するオアシス都市なのだということがしみじみと解る。いわばヴァーチャルな世界なのだ。近代都市と遺跡の光と陰・・・地下鉄やバス移動では経験できない、タクシーならではの迫力ある光景であった。

 

 http://www.alazharpark.com/

 

 洗濯物は今まさに袋に入れられたところだった。下着も何もかも出したが全部で200円ほどだった。しかもめっちゃ仕事が奇麗。感動した。宿のロビーでちょっと情報誌を見ていると、日本人のカップルがやって来て、いまからスーフィーの旋回舞踊を見に行くというので一緒に行くことにした。メトロに乗って場を捜し当てた頃には満席で、頑として入れてくれなかった。残念だが仕方がない。甘く見ていた私が悪かった。三人でスークの中を冷やかし歩いてTahrir広場まで戻って来た。こうしてCairo滞在は早くも終了。その後このカップルとはメールのやり取りが続いている。今も旅を続けているであろうか・・・

 

 

 http://shirokuma2nd.blog46.fc2.com/

posted by jakiswede at 19:55| Comment(0) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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