2011年04月05日

20100407 Gallipoli Houses

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 昨夜のディナーには三組の家族が集った。我々以外はオーストラリアとイギリスの二家族であった。ディナーは、完全なヨーロピアン・スタイルで供され、二時間半に及ぶフル・コースはまさに「社交」という類い稀なる貴重な経験を私に与えてくれた。二家族とも「ANZAC DAY」に合わせての訪問であり、図らずも「Gallipoli上陸作戦 」に関わった国の末裔がここに集ってディナーを楽しむ図となった。もちろん話はその戦いの歴史的な意味や評価などに始まり、男たちの議論は少し熱を帯び、女たちのおしゃべりは風光明媚な土地でよくも戦争なんかしたものだという笑い話に流れて行った。メイン料理はトルコ風の焼き魚であったので、またぞろ私は懐から箸を取り出し・・・これが非常にウケて、固まりつつあった男たちの表情を和らげ、場の雰囲気を開放し、さながら「日本のお箸の使い方教室」の様相を呈し、やがて話題はこの奇妙な日本人の旅の遍歴へと移って来た。手短に今回の旅を要約し、最も困難であった「川の道」と「太陽の道」のエピソードにさしかかると、社交界風に大げさな仕草で「おおっ、ふあんたぁすてぃいいっく !! 」なんてやられるもんやからちょっと難儀やったな。でもイギリス人の白人の娘は強烈に美しかった。デザートからトルコ・コーヒーへ移行する頃には、やがて話題も尽きて、それぞれの部屋へ戻り、夜の村をそぞろ歩きするアフター・ディナーの集まりに若い者同士が呼び合って、イギリス人美女の視線をちらちらほっほぺに感じながら、なかなかまったりとしたトルコの田舎の夜更けでした。

 

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 今朝も雨である。緑の濃い風景が目を洗う。しと降る雨に濡れながら朝の散策を楽しむ。別ルートでエーゲ海を望める尾根に出た。道路沿いの展望台から海を望む。売店でパンを買って来て、持参のワインでブランチとする。美女とワインとエーゲ海・・・男にとって、これ以上の幸せが他にあるだろうか ?? このまま身を投げてしまえば、幸せのうちに死ねるのだ。もう良いではないか。もう十分すぎるほど人生は楽しんだ。世の中に、どうしても手に入れなければならないほど価値のあるものや、どうしても守らなければならないほど大切なものもない。私がここでいなくなったからといって、別に誰が悲しむというわけでなし、思い出は十分貰ったから、それが腐らない今のうちに始末してしまうのが良かろう。

 

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 旅の最後を飾るにふさわしい宿は「The Gallipoli House」といって、家族経営で広い敷地の中に個建てのコテージの並ぶ、なかなか洒落た異空間である。Kocadereの村のモスクのすぐ脇にあって、村自体もさほど大きくなく、何本かの道が交差しているだけで、特にいうべきものはない。しかし、その時間の止まったような空気は他では得難く、牧歌的な風景、戦争の歴史、静かで穏やかな村人と、休日を過ごすにはもってこいの環境である。

 

 http://www.gallipoli.com.tr

 

 

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 さてチェック・アウトは11時であるが、EceabatからIstanbul行きの次のバスが14:30の予定であるので、別に次の客があるわけでなし、しばらくゆっくりするが良いと言われて、ありがたく寛がせてもらった。バスに合わせて村からシェア・タクシーが出るのである。運転手はホテルの友達であるので、出発前に声をかけてくれるのである。超リラクシン旅人。

 

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 昼の買い物に出るおばちゃんと乗り合わせて、少しバスには早く下界へ下りた。こちらも昼食が未だであり、Çanakkaleからの船が遅れているというので、船着き場の脇のカフェで少し遅い昼食とした。一人旅はてきぱきと運ぶに限るが、連れのある時は気怠いほどにスロウが良い。

 

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 今夜は彼女の友達の誕生日のパーティーで、私もご相伴にあずかった。さすが国を代表する航空会社の看板C.A.だけあって、交友関係もめっちゃセレブ・・・ひとりはH.I.S.唯一の外国人支社長、ひとりはJTBの現地法人社長、もうひとりは丸紅現地法人社長の秘書で、日本に縁の人たちの集まりであった。場は、ほとんどストレスなく日本語状態。やがてウード・カーヌーン・歌と打楽器のマカームが始まり、やがて酣となってプレゼントの交換会、ローソク消しなど、まあ賑やかなこっちゃった。看板までその店で騒いでから、二次会はTaksim近くのフラメンコ・バーへ移り、近々予定されているPaco de Luciaのコンサートの前祝いもかねて、多くのファンが詰めかけて盛り上がっているところだった。ままよと、そんな真ん中に放り込まれて客のフラメンコ・ギターにカホンを合わせ、音楽的誕生日パーティーは夜更け過ぎまで続いたのでした。

posted by jakiswede at 20:52| Comment(0) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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