今日は一日雨なので、先日収穫した唐辛子類を保存する。くれぐれも申し上げるが、以下の作業をされる場合、特に排泄は済ませ、手を良く洗い、痒いところは心行くまで掻いてから臨まれよ。傷んだり食われたり汚れのひどいものは除去し、未だ瑞々しさの残っているものは酢漬けにする。
乾きはじめているものは、そのまま干すと黴びたり腐ったりすることがあるので、開いて種をしごき取っておく。
ただひとつ熟した愛しいピリピリちゃんも、すまんけどまっぷたつに切り開いて、来年の植え付け用に種を取っておく。
ぺーちゃんも今年は酢漬けを諦めて種取りに・・・くどいようだが以上の作業をされる場合、特に排泄は済ませ、手を良く洗い、痒いところは心行くまで掻いてから臨まれよ。作業中に花が出ても目やにが出ても、絶対に粘膜には触れないことである。作業後は、出来るだけ早く入浴し、特に手を丹念に洗うことである。間違っても、入浴前に排泄を済ませておこうなどと考えてはならない。私は男性なので女性のことは解らないが、特に男性は小用は入浴後まで我慢されたし。洗わない手でアレに触れると、そのあと一晩中大奥引き回しの刑に処せられる夢を見るであろう。地獄である。
そうこうしているうちに郵便が届いた・・・おお、来るべきものが来た。なにを隠そう、わたしは世界でも私の左に出るもののない、知る人ぞ知る糊口のパーカッショニストである。したがって演奏の依頼も少なくない。今回の依頼は、以前にもご一緒させていただいた、奈良に本拠を置く古楽専門の「Ortiz Consort」・・・クラシック音楽の流れであるから「打楽器」担当ということになる。来年の5/25 (金) と6/23 (土) にライブ・・・失礼、「演奏会」がある。それに向けての練習の第一歩、楽譜が送られて来たという訳である。あのねえ、以前までの私やったらねえ、「楽譜に書かれたようなもんは死んだ音楽や」などとほざいとったのであるが、心広きOrtiz Consortの皆様に薦められ、「楽典」なるものを勉強した。まさに「50の手習い」であった。その結果、もちろん楽譜を見ただけでアタマに音楽が流れる訳ではないのだが、とりあえずどういう曲調で、どう読み進んでいくかはわかるようになった。私は打楽器奏者なので、その際どう対応すれば良いか、つまりそれらしいリズム・パターンをいくつかイメージ出来る程度にはなった。どや、エロい・・・失礼、えらいやろ !! 唐辛子の莢を開きながら、インターネットで音源を探りはじめ、夜にはどうにか半分の曲の特定も終えた。それを聞きながら譜面を追い、曲の展開も確認出来るようになった。どや、エロい・・・失礼、えらいやろ !! 演奏会にはGilles Binchois・・・失礼、万障繰り合わせてご参集願いたい。
さて、外に出られないので乾かしておいたインゲンの莢を開く。
小豆の莢も開く。確かこの小豆は、京都の「Caffe Millett」で頒けてもらったものである。豆類は気温の上昇とともに、中に産みつけられた卵が孵って虫がわく。もらった小豆も種蒔き用においてあったものに虫がわき、あわててポットで苗出しした記憶がある。しかしこのように見事な収穫であった。百姓をしていて思うことは、日々、育ち行くあるいは枯れ行く植物の姿を見て、その姿に感動することである。たとえばサツマイモの蔓先の色つや美しさ、たとえばこの小豆の莢の形・・・左の莢を見よ。これは豆を穫った後の殻である。その内側はくっきりと間仕切りされていて、豆は互い違いに入っている。その機能美、無駄のない姿・・・そして乾燥が進めば真ん中の莢のように、自らねじれて豆を散らす。誰が仕組んだのか・・・しかも誰に見せるでもなく、淡々と一連の動作を終えてお役御免となると、朽ち果てて土に帰って行くのである。一言の不平も不満も言わずに、ただ生きて死んでいく・・・そして子孫を残す・・・右は開く前の莢であるが、これを持ったとき、指先に感じる充実感は、まるで中から力がうごめくように感じられる。豆。実に重く、確かに土の養分が充実していることが感じられる。科学はこれを当たり前のこととして我々に教えたのであるが、それを知らなかった昔の人が、これを神の為せる業と信じ、怖れ、感謝し、崇拝したとしても、全く不思議ではない・・・というより、この不思議さは神の為せる業と率直に思うのである。その思いは非科学的な迷信には違いないけれども、そう思った方が心が休まり、そうして作物を育ててそれを頂く生活の方が、ずっと体に良いことを私は実感する。音楽にしてもそうである。なぜ私は古楽に惹かれるのかというと、おそらくそれが演奏されていた当時、神は怖れられていて、音楽には「非科学的」な大衆の必死の願いが込められていたのではないか、そこには無限なる力、奇跡、恵みや災難というものに対する、朴訥で率直な恐れが現れているように感じるからである。ルネサンス中期以降の、いわゆる「バロック音楽」は急速に宮廷音楽化し、その音色は明らかに変質する。神への怖れは無限なるもので、人間の到底及ばぬものに対する恐れであったので、音楽に込められた思いも純朴であったのだが、宮廷音楽の世界になると、それは人間である君主のご機嫌を取るものに成り下がり、阿諛追従の悪臭が立ちこめる。その時点で、私のクラシック音楽への興味は尽きる。
夕方から晴れて来たので、外に干しておいた鶴の子大豆の莢を開く・・・しかしご覧の通りとても食べられる状態ではないので、泣く泣く全て廃棄・・・こうなった原因はサツマイモとコンパニオンを組ませるために混植したことである。芋の蔓に絡まれ、虫の通り道が出来た。風通しも悪く、地下には芋が育った。大豆にとっては過酷な環境であったはずだ。生育も良くなく、やがて芋の蔓の海に埋没した。芋の収穫のときにようやく助け起こしたが、殆どは真っ黒に黴びていた。芋の方も大豆に気を遣ってか、子孫を豆から離れたところにつけ、補給路が伸びきって収量が落ちた。私にとっては、豆を使ったコンパニオン・ブランツの取り組みは、今シーズンはことごとく失敗に終わった。
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