2011年12月11日

20111209 藁切り

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 堆肥置き場の脇には、野菜の古株や枯れ枝の捨てたのからこぼれ落ちた種が発芽し、放置されていることから彼ら自身による淘汰が起こる。実は、私の畑の中で最も立派な白菜が育つのはここである。しかしだからといって、聞きかじりの自然農法家のタワケがこきやがるように、全てを自然に任せて放任栽培すれば上手くいくというものではない。これは誠に膨大な数まき散らされたこぼれ種から発芽したもののうち、まさに芋虫でミミズを洗う熾烈な生存競争を勝ち抜いた唯一の勝者であり、その確率はおそらく何千分の一であろう。それを頼んで糊口をしのごうとすれば、どれほど膨大な種子や土地を要するかは、この場で繰り広げられた壮絶なバトルを毎日つぶさに観察すればよくわかる。私は自然農法を批判するつもりは微塵もないし、機械と化学物質にまみれた所謂「慣行農法」から、より自然に近い栽培方法へとアプローチすること自体は正しいと思っている。しかし、人間が土に働きかけて作物を得て、それで身体を養おうとすることは、何千分の一という力のバランスを何十分の一、あるいは何分の一に増幅しようとする、つまり何百倍にもしようとする自然破壊であることは間違いない。私は、その何百倍ものアンバランスを生み出す行為を、恰も「自然」であるかのように吹聴し、それが可能であるかのように錯覚させる論調を批判しているのであって、その不可能を可能にしようと思って「自然農法」とやらに取り組み、訳もわからずに消耗し過労に倒れていく者、その不可能が可能であるための全き論理の裏打ちがなければ自らは一歩も動き得ぬ故、各地を放浪しては私のような人畜無害な水呑百姓を罵倒して回るような自然農法難民を哀れに思うだけのことである。私は、ただ私自身の満足のために、好きなようにものを作っているだけのこと。奇しくもこの何百倍という比率は、私が作物を作ってそれを手作りで加工してようやく得られるわずかな現金収入の合計に対する、日本国憲法が国民の権利として定める「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」とやらにかかる費用およそ年間300万円の比率にほぼ等しい。これは約5年間の農業実践において実証して来たデータであり、この桁違いな「誤差」を「修正」するための最も現実的な方法が「バイト」であるのは致し方のない現実である。この現実こそ、現代社会に生きる日本人が直視すべき問題ではないかと思う。我々の憲法が高らかに保証する「基本的人権」とやらを実践しようとすると、何百倍もの自然破壊に繋がらざるを得ない。日本や、その他のいくつかの国々では、率直素朴に家族や自分の生活を守ろうとする、生きるために当然の行為が地球を滅ぼす巧妙な仕組みが出来上がっている。しかも我々はそのことに殆ど気づかない。しかし私の旅したいくつかの国では、そうならない生き方が出来ている人たちもいる。


 


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 さて現実と向き合おう。外から出来るだけ何も持ち込まずに土壌の養分を保とうと思えば、頂いたものは出来るだけお返しする以外に方法はない。従って稲藁を切るのである。切って撒いて土に混ぜて腐食させる。ついでに収穫したサツマイモの蔓も切る。


 


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 手入れした「Mizukamishiki Form Rejister」が威力を発揮する。


 


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 冬型の気圧配置と寒気の南下で、いよいよ本格的な冬の到来である。底冷えと寒風、夜半からの霧という厳しい裏六甲の冬の始まりを知らせる風が低くうなる。完全防寒でひたすら藁を切ると、体が寒さに慣れて来る。意外に疲れない。この空気は明らかに今シーズンで最も厳しく、明朝は氷点下の冷え込みになるであろう。藁きりの勢いに任せて、ソラマメ・タマネギ・イチゴの畝にも切り藁を撒いて彼らのための寝床とした。本日は旧暦の11/15すなわち十五夜であるが月齢は13.9、満月は明日、しかも皆既月食である。


 


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posted by jakiswede at 00:03| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2011 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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