2012年01月15日

20120115 Rien ne peut m'arrêter

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 さて昨年の農作業を総括する。まず米作りであるが、コシヒカリは一昨年の200kgに対して昨年は120kg、赤米は前年同様30kg弱、新しく試した黒米とインディカ米がそれぞれ30kg強で、合計すると一昨年の230kgに対して昨年は210kg、20kg程度の減収であったが、これは古代米やインディカ米などを増やして多収品種のコシヒカリを減らしたことによるので自然減である。栽培結果としてはまずまずというところだ。赤米はごく少量を除いて、籾摺が出来ずに貯米庫で眠ったままであるが、他はいずれも大変美味い。特にインディカ米は、私のカレーやシチューの味を引き立てる名傍役になった。これを栽培している農家は数えるほどであり、3分搗きにして食する機会は他ではまずあり得ない。その素晴らしい味と食感は、かねてから日本料理に執着のない私をして、なおいっそう日本へのこだわりを捨てさせるに余りあるものである。アジアの西の方から美女が私を迎えにやってくれば・・・いやいや寝ごと言うとる場合やない。ふだんはコシヒカリに赤米と黒米を少しだけ混ぜて、3分搗きにして1:1の水加減でおいしく頂いている。他の米は食う気がしませんな。次は黒と赤を少し減らしてインディカを増やそう。コシヒカリの栽培経験は2回である。種を水に浸けたのが2010は04/25、2011は04/26、発芽したのが05/04-07である。手植えにするので5葉に育つまで待って、両年とも06/12に田植えをしている。黒も同じだが、稲刈りが1週間遅い。インディカは今年が初めてで、赤と同時の05/08に浸水したが、その後の成長は赤が著しく早く、インディカの発芽05/17に合わせて苗代の準備が出来た頃には、赤は根を巻くほどになってしまった。田んぼの準備に手こずって、田植えは6/27にずれ込んだが、その頃には、赤の苗が徒長し過ぎたのと、今年は梅雨入りが早かったのとで、苗の段階でいもち病が出た。田植え以降乾燥気味に管理したら、何ごともなく収穫までよく育ってくれたが、今後赤については種蒔きから田植えまでの期間を短縮すべきと考える。インディカについてはこの日程で良かろう。コシヒカリから遅れること2週間でインディカ、更に1週間空けて赤の種蒔きをしようと思う。また、今年はイナゴが大発生して私の田んぼでも多く見られたが、害を被るほどではなかった。雑草との闘いも、常に先手を打てたおかげで、さしたる苦労なく過ぎた。以上により、米作りについては大筋で申し分ない。野菜に関しては、いくつか問題点が浮上している。肥料というものを与えなくなって5年ほどになるので、流石に土が痩せて来ているのか、葉もの野菜の出来が悪く、特に白菜が結球しにくい。ブログに立派な白菜の姿が現れないのはそのためである。結球していれば鬼の首でも獲ったかのように撮りまくり書きたくる性格、都合の悪いことは書いてないのだ。ブログに出てこない野菜、ホウレンソウや小松菜、ししとうやピーマンについても、実は年を追うごとに敗色が濃くなっている。起死回生の策として取り組んだコンパニオン・プランツの考え方も、相方に発生した害虫が蔓延して全滅したりした。特に唐辛子系の食害が深刻で、韓国のシシトウとハラペーニョをコンゴの・・・いや今後の唐辛子のメインに据えたい私にとっては、冬の間の研究課題である。課題といえば、トマトも課題ではある。日本風の大きなトマトには興味がないので、基本的に料理に使える細長い小さな品種を育てているのだが、実がなってもすぐに破裂したり、十分に熟さなかったるする。手入れをおろそかにしていることが主な原因だろうが、あまり執着がなく、出来たものをおいしく食っているから進歩がない。ちょっと考え直そう。ナス科では、ジャガイモが申し分なくとれているので、今年は種芋の養生にも取り組んでいる。もし成功すれば、市場に出回っている薬剤処理された種芋を使うことがなくなるので安全性が高まる。豆類はほぼ上手くいった。特にソラマメはゴボウの冬越し株にアブラムシが寄せ付けられ本来餌食になるソラマメにはつかなかったことが幸いした。これは一種のコンパニオン・プランツと言えるだろう。エンドウ・インゲン・丹波の黒豆は放任でよく獲れ逆に栽培しやすいと言われている鶴の子大豆や落花生がコンパニオンの相方に発生した虫に食い尽くされた。あまり豆を増やしすぎると連作障害回避のための畝の使い回しに支障を来たして不利になるのだがやはりこれらは独立して育てるに限る。ウリ系についてはキュウリ・ニガウリ・緑白のボッキーニ・冬瓜については可もなく不可もなくといったところだがカボチャは予期せぬ品種が育ちスイカは大きくならなかった。夏の終わりに種蒔きする白菜と大根は毎年2週間ずつ蒔き時をずらして多収を図るのが常であったが結論としては8月の末が蒔き時である。だからそれまでに炎天下2畝の整地を終えておかなければならない。通常、冬越しした空豆やエンドウの跡地を充てるのであるがしみったれの私はその間隙を縫ってチンゲンサイでも食おうと欲を出すものだから首が回らなくなる。全体に栽培品種を減らして使い回し頻度を下げるべきであろう。大根は問題ないが白菜を勃起・・・失礼、大きくするにはやはりある程度の養分が必要でそれを堆肥だけでまかなうには少し足りないようだ。油粕などの日本の伝統的な肥料についてもう少し使い方を工夫してみる。その他の作物については特に問題を感じない。売れるほど立派なものを売るほど大量に作る気などさらさらないのでこれで結構だ。


 


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 こうして百姓のまねごとを始めて6年が経ち認知されてくるにつけ、私がどういう思いで農作業をしているかということについて話すことも多くなった。話しているうちに、だんだんと自分の気持ちの整理もついて来たので、この機に書き留めておきたい。私は農産物を出荷したり売ったりして生計を立てようとは思っていない。化学物質は使わず、最小限の動力機械で米や野菜を手作りして食する。ゆくゆくは機械の使用から脱する。手作り出来る範囲で収穫物を加工して保存する。ちょっとくらい売ってやっても良いが、基本的には自分で自分の食う物をまかなうために百姓をしている。自給自足のサイクルは既に達成しているので、そのサイクルにトライする人を増やすのが直近の目標。また昨秋にパン用小麦「ユメシホウ」と「ミナミノカオリ」の種を蒔いた。収穫された暁には、挽きたての小麦粉による手作りパンがメニューに加わるであろう。将来的にある程度コンスタントにトライ出来る人が増えれば、そのグループで食品や農作業をシェア出来るネットワークを作り、経済活動から自給的ライフスタイルへと比重を徐々に移したい。5年に1ぺんくらい海外旅行出来る程度の余裕を持てるようにもしたい。究極的には、全くものを買わなくて済む生活を目指し、それを広めることによって「脱・資本主義」的生活の可能性について模索する。現在の生活はそのための過渡期である。実際には現金収入をアルバイトその他で得なければ社会生活が成り立たない。昼は農作業、夕方からバイトの生活で、複数のバイトを掛け持ちしているため、休日はない。昨年の夏に、それまでの断片的なバイトが整理しきれないうちに近所での継続的なバイトが決まったため、早朝から深夜まで、食事も走りながら摂らねばならないほど、多忙を極めた時期があった。それから半年近くが経って地獄からはなんとか脱却したが、それでもほとんど休める時間がなく、農作業から解放されたのは、ようやく年を越してからであった。それほど働いても、どうにか貯金がプラスに転じる程度であり、余裕のない経済状態が続いている。心身ともに健康でフットワークの軽い私が、これだけ奔走してようやく糊口をしのげるというのが、百姓としてなんとか自立出来るギリギリの現実である。昨年中は、農作業もしながら詰め込めるだけバイトも詰め込んだという意味では、限界に挑み得たと言えるだろう。


 


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posted by jakiswede at 16:27| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2011 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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