今年の「船坂ビエンナーレ」は、棚田の部分での展示が減ったかわりに、蓬莱峡や生瀬にも展示があって、空間としては面白そうな展開になっている。ここはハイカーならば知る人ぞ知る俗称「蓬莱峡ブルー・トレイン・キャンプ場」。
かなり傷んでいたものであろう、それでもきれいに修復してある。夢を見るには充分だ。
車内に入ってみると、タバコと汗とフェルトと毛布の入り交じった、いにしえの国鉄の匂いがする。窓の向こうは紅葉である。
この車両には展望室がある。しかし片方の窓の部分のみが少し広くなっているだけで、座席も何もない。カメラを構えている位置の右手は、すぐに乗降口である。スハネフ22 25という。これについて書きはじめるととりとめがなくなるのでやめておこう。かつては日本を代表する花形寝台特急に使われていた車両、しかもテール・マークを輝かせて最後尾を飾っていた名車が、いまは雨の蓬莱峡で静かに朽ちるのを待っている。22系寝台車には、私はかつて夜行急行「だいせん」の上りに乗ったことがある。それにも最後尾に展望室がついており、それは、たしか窓二つ分全体が展望室になっていて、ソファが備えられてた。五島列島かどこかへ行った帰りの便に利用した記憶がある。ちょうど新緑の頃だった。夜が明けてしばらくすると、列車は武庫川渓谷を蛇行しながら駆け降りていった。丸窓から飛び去っていく緑の薄明かりの奔流が、今でも忘れられない。
展望室脇の小窓を開けると、紅葉と雨雲に挟まれた蓬莱峡の絶壁がことのほか美しい。
寝台に座って乗客気分を味わう。雨の渓谷を走る幻想に駆られる。
なんと、トイレ脇の冷水機には、付属の折り畳み式紙コップがまだ残っていた。長距離列車には、必ずこれがついていたものである。乗車記念にひとつもらっておこう。車内はきれいに清掃されていて、寝台や装置のすべては正常に動いている。通路側の折畳み補助イス、寝台の梯子も、昔の国鉄車両のしっかりとした造りが実に懐かしい。しかし、当時「動くホテル」とまで言われた最高級の車両にしては寝台が狭く、荷物を収納できる場所もない。しかし当時はこれで良かったのかもしれない。私も長期の旅行に夜行列車をよく使ったものだが、荷物の置き場所に悩んだ覚えがないので、多分そんなに大きな荷物を持って旅などしなかったのであろう。鉄道ファンなら何時間いても退屈しない貴重な保存車両である。
展示作品 ?? ・・・そんなんあったっけ・・・