「蓮の花の値打ちは、泥の中で育っても汚れず染まらず、美しい花を咲かせ、保ち続けること」・・・みなさま明けまして、おめでとうございます。どうか本年も、よろしくお願い申し上げます。これは、もう20年以上のつき合いになろうかという、とある女友達が私のブログに寄せてくれたコメントです。私は良い友達を持って本当に幸せだと思います。友達は私の財産です。こんな言葉が、すっと出てくるなんて・・・私は、時として精神的に不安定になる。特に、何かに打ち込んできたときに、つい周りの事が見えなくなり、自分だけが先走る事がある。そんなとき、必ずといって良いほど私は孤立していて、しかもそれに気付かない。自分の中だけで、全ての行動は理路整然と組み上がっておりもはや修正不可能・・・というか、正しいと信じきって突っ走っているから、修正なんて思いもよらない。そして周りが本当についてこられなくなったとき、糸は切られ凧は空中に解き放たれ墜落する。情緒が不安定になるのは特に年末年始、どん底は1/17と相場は決まっている。決まっているのだから回避する方法もありそうなもんだが、律義に毎年18回も繰り返しているというわけだ。彼女はそのことも知っている。そしてブログの良き読者であるので、私の精神状態が、だんだん危険な方向へ傾いていって、やがて底を打つ事もわかっている。しかし、公共の場で発言している事から、これ以上ドジを踏まないように、私の精神を案じてあのような言葉をかけてくれたわけである。当時の私は、ままならぬ状況に対する不満の念に取り憑かれた状態であった。大きなものだけでも4つ、小さなものは枚挙に暇がない。世間というものはままならぬものとアタマではわかっているが、こうも何もかもが引っかかって絡み合って動かなくなったり、掴もうと思ったものがどんどん手許をすり抜けていくようでは、いくつ身があってももたん。もっと気楽に生きなければやり切れんぞ、と別の私が忠告する。いみじくも「拘泥」という漢字は、泥に拘わると書く。往々にして、私は泥に足を取られすぎて身を持ち崩す傾向にある。なにも世の中の不正を私一人が糺せるわけでもあるまいに、どうせ人は寄って集ってひとりの人間を泥の中に引き摺り倒して喜ぶのが世間というものだ。そんなことは子供の時から骨身に染みている。そんな奴らに関わり合って、自分が潰れてしまったら、それこそつまらんぞ・・・そんなことはわかってる。
だがしかし、その友には本当に失礼かも知れない、私のなかの別の声にも全く申し訳なく思うのだが、やはり私には、その泥が人に及ぼす害を看過する事が出来ない。泥の害を見捨てて、自分だけ害のない境地へ赴こうとするを良しと出来ないのである。日本中の農地が農薬や化学肥料に汚染されているのを見捨てる事、制度を悪用して消費者に偽の安全性を信じ込ませようとする事、日本に二つと無い希有なコレクションの活用に賛同してくれた多くの人の気持を踏みにじる事、欺瞞に満ちた詭弁によって法令を曲解し自分たちのままごとを守ろうとする事・・・全ては間違いであり、目の前で行われている事に対して、徹底的に糾弾しけなければ、私は前に進めない性分なのである。今までもそのようにして生きてきたし、これからも同じだ。たとえば2002年に大阪市で実施された「一商店街一国運動」にボランティアとして協力した私は、本当は実体のなかった「実行委員会」とやらを信じて、イベントの経費を立て替えた。しかしイベントが終わったら「実行委員会」も解散し、ボランティアの私はその請求先まで失ってしまったのだ。書類は全て提出してしまってある。予算は執行され、「実行委員会」の代表者に補助金は支払われた。ヤクザまがいの脅しに晒されながら5年越しで調査した結果、領収書の改竄や捏造が束になった600万円規模の補助金詐欺が明らかになった。三角公園でちょっとした手作りのイベントをしただけで、600万もの金が動いていたのである。600万といえば、外タレ喚んでドームでコンサート出来るほどの予算だが、大阪市の担当者は、それに気付く事もなく書類に判を押していた。あるいは分け前にあずかったのかも知れない。「実行委員会」は罰せられたが、主導したグループは河岸を変えて地方都市の文化事業を食い物にして繋いでいる。だから、いつまでも個人宛に嫌がらせのメールを送り付けてくるのなら、先ず手始めにIPアドレスを公開し、ヘッダのソース・コードを解析して発信元を突き止めるぞ。それでもやまぬようなら、さらに次の手だてを打ち、同様の執拗さと周到さで社会的制裁を受けるまで追求するぞ。俺は執念深いんや。
さて家庭教師がひとつ終わった。というか、もう家庭教師は辞めや。結局のところ「ためしてみよう」で請けた16件の仕事のうち、完遂できたのがたった2件で、あとは先方の途中解約である。解約の理由はいろいろある。私は、そもそも答えを教えない。考え方を教える。考えて答えを出すのは本人である。という方針を徹底しているので、明日提出しなければならない宿題には間に合わないことが殆どである。そんなこと俺の知った事か。自分で結論出せ甘ったれんな。と突き放すので、生徒は泣きながら宿題をやるのである。指導時間は2時間程度なので、きちんと説明してわからせることのできるのが、まあ良くて2問、へたすりゃ1問も出来ない事だってある。これでは効果は上がらない。あたりまえや、自分がせんのやから。できないのはやらないからであって、やればできるのである。教わってない事は課せられてない。手持ちの知識でどうすれば問題が解けるのかを考える。その考え方を教えるのが私の仕事だ。しかし親は黙っていない。成績が上がらないし、宿題が出来てないので、内申書に響くというのである。そんなこと俺の知った事か。自分で考える力をつけな、いつまでたっても人に頼るで。わかっていても子供がかわいいのが親であるので、「教師交代」となりお役御免である。理由はどうあれ、派遣元としては、せっかく獲得してきた契約を、片っ端から中途解約されたのでは商売が成り立たん。従って、今後は私には新規の紹介は致しかねると裁定が下ってしまった。それも道理である。だから、もう家庭教師は辞めやと言うたが、実は馘になったのである。その最後の生徒は、レスリングをやっていて、全国大会に出るほどのやつであって、実に素直で社会性のあるいいやつである。いいやつすぎて周囲に流されやすく、自分で取り組むという気概はない。しかし彼はいいやつであるがゆえに、正しい社会人になるであろう。しかし、昨今の話題に漏れず、体育会系の世間というものは暴力が横行していて、彼の目指す高校もそのために指導者が交替した。さて私はそのことを生徒に問うてみた。彼が言うには、スポーツは体で覚えるものだという。私は考え込んでしまった。本人がそう納得しているものを、傍からとやかく言う筋合いはない。しかし、彼はまだ判断能力の未熟な子供である。素直な性格ゆえに苦痛を受ける事のないよう祈りたいところだが、自分の頭で良く考えて危険を回避するように仕込むには、ちょっと時間が足りなさすぎた。「僕は、意見陳述で述べたとおり、被害者とされる女性に準強姦をしたことは、絶対にありません。勝っても非難する人はいる。全てを失っても信じて待っていてくれる人はいる。その人たちのために、僕たちの名誉のために、この裁判を最後まで闘い抜きたいと思います。」名言やね、よう言うた。それでこそスポーツマンや。だからこそ俺はたいていのスポーツマンに嫌悪感を抱いてしまう。自殺自殺自殺。監督を馘にして幕引き、丸刈りにして泣き顔見せて保身・・・もうなんかね、日本という社会の陰湿さといびつさと、救いようのない狂喜が充満しとるよ。これこそ「泥」やね。ほんまに蓮の花のように咲きたいね、でもなんぼ蓮の花でも、異臭を放つ強烈なヘドロに放り込まれたら根腐れ起こすやろね。それを見て見ぬふりをして山登りでもしますか・・・酸っぱいコーヒー飲んでね。どうかお気張りやす。私は言うべき事は言うたし、あとはやるべきことをやるだけ。今年は表立った活動は控えて、ひたすら内省の一年にしようと思います。どうか皆さん今年もよろしく。
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