「赤目自然農塾」である。今日は、春野菜の種まきや植え付けなどである。畑はまだ冬であるので、土はこのように草の枯れたのやがんばって春を待っているのに覆われている。写真はジャガイモの植え付けの例である。ちなみに、この地は遅霜がきついので、植え付けそのものはもう少し後であるという。自然農法では、このように植え穴を開ける部分だけを最小限耕す。「耕さない」という本当の意味は、この畝全体を耕耘してしまう事のない、という意味である。まちがってはいけない。写真の鍬を握っている人は、川口氏そのひとであるのだから。
ここへ来るのも3回目となり、土の様子も風景も見慣れてきた。今日得た事は三つある。ひとつは、繰り返し強調された「耕さない」ということの意味である。耕さない方がうまくいく・・・それは、自然界とのバランスを保つという意味であって、不耕起で栽培しても、八百屋に並んでいるような大きな作物が出来るという意味ではない。八百屋に並んでいる野菜は、確かに大き過ぎる。7年間やってきての実感である。要するに、肥料で肥満しているだけの事だ。それが悪いというのではない。ただ、私はそんな野菜を食いたくない。握りつぶせばピンポン玉くらいの大きさになってしまうような「パン・ド・カンパーニュ」など食べたくもない。それと同じ事だ。
もうひとつは、川口氏の人柄である。この人は安心出来る。言ってる内容は、いわゆる「慣行農法」に慣れ親しんだ耳にとっては過激に聞こえる事もあるのだが、数十年の実績をもとに仰っている事で、その言葉と表情には、限りない深さと穏やかさがある。つまり、バランスがとれているという事だ。しかも、つねに言葉を慎重に選び、「私の言った細かい事に捕らわれるな」とさえ仰る。川口氏の仰るのは、この赤目で、川口氏がやる方法の事であって、兵庫県で、私がやるのとでは、諸条件が全く違うからである。やり方の細かい手順などに捕らわれるのではなく、何を目指して進んでいて、どうなって行く事がバランスの保たれた状態なのかを、常に模索するのが大切だという事だ。そういう意味で、これから春になり、梅雨に入り、夏になるに従って、この農場がどのように変貌してゆき、川口氏が、そして塾生達がそれぞれどのように対応して、その結果どうなって行くかをつぶさに観察する事は、何ものにも換えがたい経験になるだろう。最低でも数年は毎月通う必要があり、その価値がある。
三つ目は、考えを同じくする仲間にめぐり逢った事である。私は赤目に住むわけではない。しかし、いずれどこかに定住しなければならない。安住の地が欲しい。そういう意味で、常に自分の考え方を研ぎ澄ませておく必要がある。妥協はしたくない。今住んでいるところは、衣食住は足りている。この状態を維持出来れば、とりあえず定速走行は出来る。しかし、これは私の思う存分ではない。この屋敷と農地を、完全に私の自由にして良いわけではないからだ。感覚を研ぎ澄ませ、行動の切先を鈍らせないためには、完全な自由がなければならない。しかし、自由に代償は付き物であって、それに悩まされているという次第である。
- 20131231 自然に沿って生きる
- 20131230 冬季湛水
- 20131223 丹波の黒豆脱穀
- 20131222 冬至
- 20131228 今シーズン総括
- 20131215 干しいも作り
- 20131214 エンドウの植付
- 20131207 農作業納め
- 20131207 冬の畔塗り
- 20131205 不耕起ジャガイモ栽培
- 20131205 冬の畑の観察
- 20131126 ソラマメ植付
- 20131124 丹波の黒豆収穫
- 20131124 タマネギの植付
- 20131123 谷上マーケット
- 20131118 徒然なるままに
- 20131117 麦蒔き
- 20131115 麦畑に雨が降る
- 20131114 初霜
- 20131112 水田から麦畑へ