
高知県に理想的な物件を見つけたので連絡してみた・・・が・・・タッチの差で売れていた (;_;)
なぜ高知にまで触手を伸ばしているかというと、カネも身分もない単なる馬の骨が百姓を続けようと思ったら、余程の物好きをくわえこむのでない限り、農家登録までのハードルの限りなく低い場所を狙わざるを得ないからである。移住先を探す過程で、今の自分が置かれている状況がよくわかってきたので、ここにそれをまとめておこうと思う。これから百姓になりたいと思う人、百姓を始めてみたが再起をかけたいと思っている人の参考になれば幸いである。
まず、私の立場は、百姓でもなんでもなく、百姓家の空き家を住み込みで管理させてもらっている居候である。空き家は人が住まないと荒れるので、それを防ぐ事が家主のメリットであり、私の方は、格安の家賃で広大な屋敷に悠然と住まうことが出来、そして百姓と同じ借り賃で田畑を借りることができる。しかし、これはあくまでも家主との口約束であって、農地法上は所謂「モグリ営農」であり、厳密には違法行為である。家主も私もそれを納得の上なので、いかなる書面も取り交わさず、私はいかなる権利も主張せず、家主はいつでも私に退去を要求でき、私は遅滞なく無条件にそれに応じなければならない。
さて、このような条件で百姓を始めてしまった場合、両者の関係が良好である限りにおいては、特に心配もなく、お互いにとって大変有利な取引である。しかし、何らかの事情でその関係が崩れる事がある。それは、両者の人間関係であったり、一方にやんごとなき事態が発生したり、または家主が亡くなった後の遺族がこれを破棄した場合などである。たとえば限界集落に空き家を持つ家主との間でこのような約束が取り交わされた場合、ほとんどの場合は問題なく約束は履行されると思われる。「赤目自然農塾」も農地は地主から三年契約で借りていて、それは放棄された棚田であり、地主はこれを何とかしようという気がないので、今は安泰である。しかし「自然農法」の価値が全国規模で認識された場合、その実践地である農地を、地主がそれまで通り放任し続ける保障はない。価値が上がるからだ。つまり、「赤目自然農塾」は、自分たちの理解者が増えれば増えるほど、その存在基盤が危うくなるという葛藤に陥る。ま、「自然農法」というのは人間の生き方の現れですから、実際には危うくはならないのですが・・・ものの喩えとして。
少し飛躍するが、現在の日本の農地のほとんどは、農薬と化学肥料に汚染され、地力が極端に落ちた状態であると考えて良い。これを回復させていくのには、おそらく数十年程度かかるであろう。しかし、打ち捨てられた耕作放棄地は、堆積する植物の亡骸で地力がかなり戻っていると思われる。つまり、現在耕作されている土地のほとんどには地力が少なく、地力の多い土地は耕作されていないという逆転現象が起こっている。農薬と化学肥料と大型機械というものは、化石燃料がないと存在あるいは機能し得ない。化石燃料は、もしかしたら数十年後には、今のように安易に手に入る状態でなくなる可能性が高い。現代社会のほとんどを構成しているといっても過言ではないこの原料がなくなってしまった場合、「逆転」は「正常」に戻らざるを得ない。しかし、それには長い年月が必要である。放射能の除染とどちらが早いのか、それもわからない。ただいえることは、その過程において、農地としての資産価値も「逆転」する。つまり、耕作放棄地として見向きもされなかった土地の利用価値が飛躍的に高まる。なぜなら、それまで化学物質漬けにされ重機で練り潰された土地には「雑草」も生えないからだ。農薬と化学肥料と大型機械がなければ取り扱う事も出来ない土になってしまっているからだ。それを私は身近に見ている。そうなったとき、それは数十年後には訪れるだろうが、「口約束」だけで自給的生活を送っている人たち、とくに耕作放棄地を開墾して稔りを得ている自然農法家は生活基盤を失いかねない。法律は既得権益を守るためにある。権原のない者にはなんの主張も出来ないのが法治国家である。だから、我々は権原を確保した上で農業を始めなければならない。そういう意味において、我々は「農家」にならなければならない。
「農家」にならなければならないもう一つの大切な理由として、資金調達が可能になるという要素がある。今の私には全く借金が出来ない。「農家」でないので「安定した職業」に就いていないことになるからだ。ここへ移り住む前には、自営業としてきちんと納税していたし、一定の業務委託先に永年勤務していたので貯えもあり、カネを借りる事も出来た。しかし今ではカネもないし、そんな身分保障も何もない。この状態で上のような「口約束」を前提に生活するという事は、非常に危険な事だと今更のように気がついたわけだ。いくら事業計画など出しても、ダメなものは全くダメ。金融機関としては、情熱や企画など問題ではない。保障だけが問題なのだ。当たり前の事だが・・・
さて、現行の農地法において、百姓を合法的に続けるには「農家登録」をする以外にない。明確な定義は却って話を複雑にするのでここでは措くとして、「農家」とは、「農地」を生産手段として利用する権利を有する家系の事と考えて良い。農地を所有していなくてもよく、賃借していなくても良い。「利用権」が設定されていれば良い。つまり、買わなくてもよく、借りなくてもよく、「利用権の設定」が書面として整っていれば良い。「利用権の設定」とは、文字通り農地を利用して収益を上げても良い権利、いわば営業権のようなものであって、農地法上、「農家」と地域の「農会」及び「農業委員会」の合意の上で行われる手続きである。ところが、農地の利用権を設定出来るのは「農家」だけであり、先にも述べた通り「農家」とは、農地の「利用権」を有する者の事である。わかりますか ?? 制度が閉じているのだ。「農家」でない者は「農地」の利用権を設定出来ないから、「農家」にはなれない。ましてや、「農家」でない者は、「農地」を買う事も借りる事も出来ない。「農地」は「農家」の私有財産であるはずだが、「農家」が自由に売ることは出来ない。ここらへんが、自由に職業を選び、自由に住宅を確保出来る都市生活とは根本的に異なる点である。2009年に「農地法」が改正される前までは、基本的にこのような構造であったので、いくら「田舎暮らし」だ「スロウライフ」だ「半農半X」だなどとほざいてみても、制度として農家でない家の者が百姓になる道は、事実上閉ざされていた。
時代の要請によって、このガチガチの仕組みが緩められた。現在、農家でない者が農家になる道はふたつある。ひとつは、都道府県が指定する研修機関を終了するか農業法人に就職するなどして、一定の実務経験と能力を体得したと認められる事、もうひとつは、「農家」のもとで一定期間の実務経験があり、その「農家」と地域の「農会」及び「農業委員会」によって、一定の能力を体得したと認められる事である。その状態で、先に述べた「農地の利用権を設定出来る」資格が得られ、設定しようとする「農地」が確保されれば、その農地を一年間正しく管理出来るかどうかを農業委員会が観察し、彼らが認めれば、晴れて「農家登録」の手続きが為され、「農家」になりうる。
私の場合、現在住んでいる場所の農地を借りておよそ10年、ここへ移住して7年になる。農薬・化学肥料・大型機械を使わずに、1反の農地から、通常収穫出来ると見込まれる量以上の稔りを得ている。つまり、実務経験は充分と自負したのである。だから、私は農業委員会へ出向いて必要書類を取りそろえ、家主に協力してもらおうと考えた。一方、家主の方は、私を空き家の管理人として居候を認めたまでで、空いている農地をどう使おうと関知しなかった・・・というか、トカイモンが百姓仕事などできるハズがない、と踏んでいたのである。家主は近くに住んでいるので、時々来ては田畑を作っている。「慣行農法」と「有機農法」の中間を行くようなやり方である。おそらく「慣行農法」の刷り込みが土台にあるので、そこから離れる事に躊躇するのであろう、田には牛糞、畑には肥料をかなり多く施し、畝立てと除草はきちんと、ここらの言葉で言う「きれいにしとってです」状態を以て良しとする感覚である。だから彼としては当然、私は彼を見習うべき存在だったはずだ。ところが食品の裏側を舐め尽くし、その舌が患った癌の恐怖から這い上がってきた私には、躊躇すべきものは何もない。加えて生来の天邪鬼である。「こういう風にしたらようできる」というせっかくのアドバイスも馬耳東風、ひたすら自分の思った通りにしかせず、「そういう風にせんほうがようできる」ことの証明に躍起になって田畑は草や虫だらけ、家主を手伝うどころか、ややもすればその手に噛みつく狂犬ぶり。あっさり断られてしまった。それもそうやな、自分が困ったときだけ協力してもらおうなんて、確かに私は虫が良過ぎました。反省してます。まあそんなわけで道のひとつは閉ざされた。
そこで再び農業委員会を訊ねて事情を説明すると、もう一つの道、兵庫県内にあるいくつかの団体を紹介してくれた。そこで、そのうちのひとつと連絡を取り、「就職」という形を経て独立出来るかどうかを問うてみた。もちろん就職は可能である。研修機関ならば受け容れも問題ない。しかしそこでわかった事は、またしても年齢の問題であった。国の支援制度については別の記事で既に述べた。私は歳を取り過ぎていて支援は受けられない。ところが今度わかった事は、「農家登録」にも事実上の年齢制限があって、「概ね55歳未満」とされているという事だ。これは明文化されていない「慣例」で、私は今年2013/05/15で53歳になるから、仮に4月に就職しても、資格取得が見込まれる2年後には55歳になっており、これに抵触する。私は、みたび農業委員会を訪ね、このような「慣例」があるのは事実かと問うてみた。すると、「事実」とまではいえないが、要するにそういう事もありうるという。つまり、「農家登録」を認めるのは「農業委員会」であって、農業委員は「地区」から選出されている。「農家登録」をしようとする時点で「利用権」を設定する農地は確定されているはずだから、その農地が存在する「地区」がどのような人を「農家」として受け容れるかは個別判断である。実態として、空いている「農地」はたくさんあるが、「空き農家」は非常に少ない。空き家になっていても、親族が年に一度墓参りするためにだけ置いてある農家がほとんどだ。ということは、その「地区」において「空き農家」は、「地区」に有利な新規就農者を誘致するための貴重な資源だという事になる。若くて、ある程度の財えがあって、これから子供を作って「地域」を支えてくれる人と、55歳を過ぎてまもなく年金生活者に入るどこの馬の骨ともわからん独り者と、どちらに貴重な資源を譲り渡すのが有利か・・・これは明らかだ。つまりここで、既に「逆転」は「正常」に戻りつつある。しかし俺には不利なんよねメイワクなんよね、今すなっちゅうねん (`へ'っ・・さらに行政側としては、「農家登録」を認めるにあたって、それは生産手段を供与する事を意味するから、まもなく年金生活に入る年齢の人と、まだまだ自力で稼いで生きていかねばならない人を、同じ条件で遇しては公平性を欠くという事だった。そんなとこばっかりスジ通しやがって他にスジ通さんなんこといっぱいあるやろ (`へ'っ・・・「お気の毒です」わかったよ、もうたのまへん、年齢を告げて話を始めなかった私にも原因はあった。反省してます。まあそんなわけでもう一つの道も閉ざされた。
しかし、流石に落胆する私を見かねたのか、奥から偉い人が出てきて、兵庫県以外の地方では、独自の施策によって「農家登録」の条件を緩和している例もあると聞くと話してくれた。なぜなら「農家登録」の条件は、農業委員会が決めるからだ。要するに彼らが「良い」といえば、それで「良い」のである。具体的にはわからなかったものの、そこで紹介されたのが、信越以北と和歌山・高知・九州の各県である。まだ情報収集の段階であるが、かなり極端な話、「農業やります」という意思表示だけで全て段取りしてくれるような夢の国もあるらしいが、まあそんなこと期待せんとこ・・・
えらい話が長ごなりましたが、それが高知の物件に触手を伸ばしている、というその理由なのでした。おしまい。
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