土井ちゃんを放置して神秘の世界に遊んだあと、裏口からバザールへ戻る。
囲われたバザール、それを取り巻く塀と無闇に広い空間、中の喧騒とは対極的なまでに静かだ。
バザールの屋台で飯にする。挽き肉団子のシチューとナンのセット。
Registonへ戻りしな、広大な庭園が垣間見えるBibi-Xonimのモスクを通りかかった。遠目にのぞき込んでいると、なかからおばちゃんが「入れ入れ」と手招きする。拝観料がえらい高かったので渋っていると、ただでさえどぎつい目をさらに見開きながら「すっぺっしゃるでぃすかうんと・ふぉるろゆぅぅぅっ」てお前な、拝観料にディスカウントがあるんかいや・・・笑い転げていると、日本語の出来るウズベキ人に声をかけられた。Bu-Nyok君といい、外国語大学で日本語を勉強してるらしい。話し込むうちに意気投合し、今日Buxoroへ出発予定だったのを一日延ばして、今日の後半と明日一日、彼にガイドを頼む事にする。これも旅のアクシデントとして一興だ。
サマルカンドの中心部レギスタン広場というのは、だいたいこんな感じである。ここで2年に1度「世界東洋音楽祭 (Sharq Taronalari) 」という大きな音楽祭が行われるが、かつて眺めていたその映像と、目の前の広場を比較してみるに、このお祭りは政府お抱えの御用イベントで市民のものではないなと直感した。上の写真で我々が立っているのは、広場に面した大通りの歩道である。ステージは、広場全体を使って展開されるので、おそらく祭り関係者や政府の役人、もしかしたら大統領とその家族、VIPなどの特別席がしつらえられ、物々しい警備の中、厳粛に執り行われるに違いない。そんなニオイがプンプンするのだこの町・・・いやこの国には・・・
Bu-Nyok君は、次々と名所を案内してくれる。ここは国の英雄Amir Temurの墓 (Guri Amir) の内部であるが、ウズベキ人のBu-Nyok君にとっては、母国の建設の英雄であるとの立場を崩さない。しかしウズベキスタンの直接の祖先であるシェイバニー朝は、ティムール帝国を倒してここに建国した歴史が有る・・・
が、まあそんなことはどーでも良い。私にはこんな下街を訳もなくそぞろ歩く方が似合ってる。
その後、ちょっと郊外にある製紙工場を見学し、サマルカンドの人たちに人気の結構贅沢なレストランで食事 (あきらかに彼はこれを狙っていたとみたが、まあかわいいもんやし奢ったろ) 、その後その店がダンスホールに早変わりして、まあまあそのなんやねえという感じやったんで、私は客の男達と水タバコを嗜んだのでした。
- 20120317 TAS-ICN-KIX
- 20120316 Ташкент
- 20120315 Хива
- 20120314 Кызылкум
- 20120313 Madina & Ilyos
- 20120313 Тоги
- 20120313 Ляби-хауза
- 20120312 Бухара
- 20120312 Шарк
- 20120311 Жахонгир
- 20120310 Шахи Зинда
- 20120310 Афрасиаб
- 20120310 Самарқанд Нон
- 20120916 Шарк тароналари
- 20120310 Фуркат отель
- 20120309 Регистры сумерек
- 20120309 Карщи-Самарканд
- 20120309 Бойсун
- 20120427 Пепсодент
- 20120308 Бойсун