2013年04月07日

20130323 和歌山県那智勝浦町色川

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 和歌山県那智勝浦町色川地区というところへ行ってきた。なぜそんな遠いところまで行ってきたのかというと、カネも身分もない単なる馬の骨が百姓を続けようと思ったら、余程の物好きをくわえこむのでない限り、農家登録までのハードルの限りなく低い場所を・・・それはもう書いたっけ・・・新規就農者を呼び込んで地域の活性化を図ろうとする、全国の自治体の担当者や農業法人などが集まって、2月に大阪で行われた「新農業人フェア」というイベントで、カネも身分もない単なる馬の骨が百姓を続けられる可能性について質問をしていると、和歌山県の担当者が興味をもって紹介してくれたのが、この色川地区というところである。


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 ここは、このたび移住先として検討したなかで最も過酷で特殊な環境にある。とにかく遠い。大阪からでさえ片道5時間、ここからは6時間以上かかる。強烈な紀伊山地の山奥で、南から見ると「那智滝」の更に奥である。「下界」であり、買い物出来る街であるJR那智駅近辺まで車で小一時間、しっかりしたスーパー・マーケットのある新宮市まで一時間半、しかも、アクセスは行き違いも時として困難な細い林道。医者はいない、金融機関もない、車は必須だがガソリン・スタンドがない。どこかへ抜ける道の途中ではないので通過交通はない。水害の危険に晒されている。陸の孤島、最果てである。


 しかし、このとおりの美しい環境であって、それに憧れて移住を希望する若者が後を絶たない。電気とプロパン・ガスはある。水は川の水がそのまま飲める。集落が山に取り囲まれており、山の幸が豊かであるばかりか、那智滝にも近く熊野連山の中にあり、きわめて霊的な存在である。物質や経済的な便利さがないからこそ、全く違った生きる喜びが得られる。価値観の逆転は起こる。過疎に苦しみ、インフラを絶たれ、限界に追いつめられて、力を合わせなければ生きていけない、最も取り残されたかに見える状況というものは、逆の視点に立ってみれば、最も先進的な状況である。近い将来、現在の安楽な生活を維持するに欠かせないさまざまな要素が崩壊する。そのとき、希少化していく資源を奪い合っていては、必ず共倒れになる。その中を生きていけるのは、自ら生きるために必要なものを生み出していける想像力と行動力、ノウハウを持っている者だけだ。それは明白な事だ。ここには、それに近い生活がある。ここで自分を試す事が出来たら、それは今後の生き残りに必ず直結する。移住先候補の現実的なひとつとして、これから定期的にお邪魔する事になるだろう。


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 移住希望者は、個々別々に訪れるよりも、地区のイベントが行われるのに合わせて訪問する方が良いと勧められた。なぜなら、何人か希望者が集まった状態であれば、地区の窓口、町の窓口担当者もそれに合わせて動きやすいからだ。今日は、那智勝浦町の老舗の工務店が、地元の木材を使って色川地区に体験者滞在用の小さな家を一から建てるというワークショップであったので、それに合わせて訪れたというわけだ。

 http://www.furusato-irokawa.com/

 http://16kawa.com/

 本日のイベントの模様は、下記リンクに掲載されている。

 http://www.furusato-irokawa.com/modules/blog/index.php?content_id=312


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 イベント終了後、地区の担当者と町の担当者を交えて聞き取り調査があるというので、日のあるうちに地区を見ておこうと思って林道を走り回ってみた。下の写真は、2011年9月の台風12号の際の豪雨災害の爪痕である。地区の各所にこのような爪痕が残されており、現場に立つと、土石流が森を爪楊枝の束みたいに押し流した威力をまざまざと感じ取る事が出来る。自然の力の恐ろしさを体感したのは、阪神淡路大震災以来の事だ。実際、集落の中にも爪痕がいくつか見られる。一瞬にして、全てを破壊し尽くし、押し流したに違いない。災害の体験者には、それが直感的にわかるのである。ううむ・・・

 

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 さて宿舎に戻ると、担当者の皆さんが既に集まっておられた。私は自分の置かれた状況を包み隠さず話して相談した。ここでの対応は、すなわち受け容れ担当が農業委員であるから、兵庫県のような細かい審査基準が決められているわけではない。ただ、集落として私を受け容れられるかどうかは、あくまで集落が決める事なので、やる気があってみんなが良いと認めれば、それで良い事になる。で、実際どのようにして暮らしを立てていくかという話になったので、私はこれまでやってきた活動の事を紹介したのだが、「それは都会でやってきた事を、ここに充て嵌めようとする事だ。それでは全くここでは生きていけないと思う。先ずはここに来て、仮住居で地域の人たちに知ってもらって、我々とともにいろいろな仕事をしてみて、あなたがやっていけるか、村人達が受け容れるかを見極める他にない。」ううむ・・・


 残念ながら私には手持ちがない。担当者は、できる限り受け容れられるよう取り計らってくれるだろう。制度としては柔軟な運用がされるという事である。ここではそれは問題にならない。しかし、受け容れられ仮住まいを始めたところで、おそらくすぐに手持ちは消える。大所高所からえらそうな事を論じてはみたものの、明日のガス代電気代が払えなくなったのではどうしようもない。ガス欠では車も動かない。その後、イベントに参加した人たちや、移住者を交えた質素な交流会があって、そこでもいろいろな話を聞かせてもらった。印象としては、まずは集落の生き残りが最重要課題なのだ。この極めて条件の厳しい舞台で、自分が思う存分に活動した結果が、ロスなく集落のために貢献している事が重要かつ必要条件なのである。ううむ・・・「ちょっと考えさせてください・・・」「残念ながら、お手伝い出来る事は何もありませんな」


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posted by jakiswede at 17:03| Comment(0) | 移住計画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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