2013年04月10日

20130324 和歌山県那智勝浦町色川

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 限界集落、ということは、価値観を逆転させてみれば最先端を集落として生きている事になる。いずれ現在の虚栄の生活は崩壊する。必要なものは自分で作り出しながら生きていかざるを得ない。その状況は、おそらく数十年後にはやって来る。それまでに、できる限りのノウハウを身に付け、持続可能な生活のあり方を試行錯誤しておかなければならない。私が今住んでいるところは、例えば大阪市内に住んでいる人から見れば田舎であろうが、駅やスーパーまで自転車で5分、駅から大阪まで45分・・・なんて、こんなもん田舎とちゃうやろ。現在の私が一人暮らし出来ているのは、あくまで都市生活的なインフラが身の回りに整っているからであって、私に百姓仕事が出来るからではない。私はそれをよく知っている。今は全てが整っている。買い物も簡単、バイトも出来るし、そこでの人間関係も実に良好、たまには都会へ出て気楽に遊ぶ事も出来る。もちろん百姓仕事も出来て、友達が時々訪ねてくる。しかも、基本的には大好きな一人暮らしが出来ている。誰にも邪魔されずも気兼ねも要らない。こんな理想的な環境を捨てて、何故不便な田舎暮らしを志しているのだろうか。本当に移住が必要なのか。家主と折り合える道はないのだろうか、時々自分がわからなくなる。


 私の住んでいるところは都市近郊の中途半端な田舎町で、ちょっと不便なだけで一時間程度で大阪に通えるから、周囲の農家は確かに後継者はいないものの、今後は子供たちが金を稼いで、農協や農業法人が農地を守るというパターンで延命を図るだろう。そういう点では存続に不安を感じている人は少ない。だからこそ危機感がない。しかし、それがいつまで通用するかは、全く不透明である。過疎の村へ行けば状況が深刻な分、新規就農者の誘致には積極的であり、国の支援策が拡充されて就農希望者が増えている今、この近辺よりも積極的な動きが見られる。「新農業人フェア」では、そんな就農希望者で会場は熱気に溢れていた。神戸市北区道場町は、この生存競争に敗北するだろう。そのなかに私は残るのか ?? 一人暮らしが続けられるのか ??


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 確実にいえる事は、都市近郊のインフラはいずれ崩壊する。これが崩壊したとき、私の一人暮らしは立ち行かなくなる。しかし私は更に何十年も生きるだろう。私が生き残るために、人と協力する。その人も生き残るために、私と協力する。協力し合わなければ、生きていけない時代が必ずやって来る。必要なものは自分で作り出す。限界集落は、集落として自給自足が成り立たなければやって行けないので、持続可能な生活様式を既に実践しつつある事になる。さういう意味で最先端といえる。


 たとえば色川は、ほぼ陸の孤島といって良い。和歌山市でさえ3時間、大阪へは5時間、私の今の暮らしに必要なもののそろう神戸まで6時間・・・こんなことを考えているから、都市生活を色川に持ち込もうとしていると思われてしまうのだ。もし色川に定住するのなら、村の人が言ったように、自分に何が出来るのかという考えではなく、そこに生まれ育った人間であるというくらいの、過去の自分の捨て、生まれ変わり、無我の境地が必要である。なぜなら日本人とは元来そういうものだから。


 農業を続けるために移住先を捜すという事は、多かれ少なかれ、日本の伝統的な集落の暮らしの中に身を置く事を意味するだろう。現在の日本の社会が、「プライヴァシー」という概念のもと個人個人に分断されて、競争社会として存在するのだとすれば、私のやっている事の方向性は、それに対するアンチ・テーゼになる。しかし、そのアンチ・テーゼの行き着く先は、つまるところ伝統的なムラ社会の中に「自分」を捨てて生まれ変わる事にほかならないのではないか ?? となると、より一層の自由を求めて移住するというあり方とは完全に矛盾する。


 色川で出会った人たちは優しく誠実であった。真っ正面から私の言うことを受け止めてくれ、色川が私を受け容れるとするならば、どのような状態である事が必要かを、的確に伝えてくれたと思う。ボールは投げ返された。私はどうすれば良い ?? 


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 那智滝という聖地のそばに住み、森にさまよい、極限状態に身を置くことに強い関心はあった。しかし私は怖じ気づいたのだ。大所高所から持続可能な生活のあり方を論ずる事は、実はたやすい。テスト・ケースとして自給的生活を試みる事もたやすかった。自給的生活と文化的生活との間には6倍もの格差があると打ち出しておいて、足りない部分はバイトで埋める生活が持続していけるかどうかでさえ、かなり危ういものである事を知っている。色川で暮らすという事は、その6倍の格差を自分で吸収するという事だ。バイトなど、ない。しかし色川がいかに限界集落であっても、ガス代電気代燃料代は文化的生活水準でかかってくる。それを一体どうやって埋めるのか ?? イベントに参加した地域の若者、色川に移住を希望する何人かの参加者とも話し合ったが、彼らに共通する純粋な熱意を目の当たりにして、私は自分の心がまだ汚れている事を思い知った。私は彼らよりもずっと年上であるけれども、心は彼らのように澄んではおらず、欲にまみれている。音楽・写真・さまざまな芸術活動・・・やりたいことは山ほどある。しかし色川が目指すものは、もっと過酷で現実的な、生存をかけた闘いである。村人の面構えが、それを如実に物語っている。それでも彼らのうちで「食えてる」人間は一部という現実・・・実際には、若い者は貯金を取り崩したり親に支援してもらっていたり、中高年者は年金の受給まであと何年と指折り数えている状態だ。私は本当にそのようになりたいのだろうか ?? 

 

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 音楽の話をしても反応がない。米や野菜の栽培の話は通じるが、それをさまざまな料理に生かす話には乗ってこない。食品加工についても同様、なんなのだろう、この硬さは ?? これらはすべて、人が生きるためのものを総合的に捉えたもののはずだ。私は、何か特定の作物を生産する農家という意味での百姓になりたいわけではない。集落の産物を生産する担い手になりたいわけではない。自分が食べたいと思ったものを自由に作って料理し、それを食しつつさまざまな刺激を受けて豊かな生活を実現したいと思っているだけだ。それが、なにかここでは違うのだ。村人の話には、生き延びるための方法論、苦しさを乗り越えるための鍛練、集ってきた若者の話には、限界に挑戦する事の意義に対する異常なまでの執着、極限状態に身を置く事による自虐的ともとれる快感・・・そのようなものを感じてしまうのである。もちろん、村人の全員がそうではないだろう。しかし新規定住受け容れの担当者がああ言った以上、また定住を念頭に仮住まいしている若者の表情が、あのように険しいものであるのをみると、それを受け容れてもなお余りある何か、それでも色川に住みたいという、自分の内から湧き上がるもの、かき立てられるもの、止むに止まれずどうしてもという衝動が不可欠だろう。


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 私は、今の生活を捨てて、そこまで自分を追いつめる事を望んでいるのだろうか ?? 私にとっての定住は、果たしてこういう事なのだろうか ?? 現実は厳しい。かなりあちこちを回ったり話を聞いたりして、自分が移住出来る先の事を検討してみたが、現実には、私の培ってきたもののかなりを捨て去らなければ、そして2年ほど魂を悪魔に譲り渡してでもカネを作らねば、とても移住なんて出来ない。その実情からみて、結局のところ色川が最もハードルが低かったのだが、そのかわり全く別の人間にならなければ、色川ではとてもやっていけそうにないのだった。実情からみて色川を最後の砦と位置づけていたが、確かに砦にレコードやCDは不要。楽器など邪魔である。それで良いのか私は・・・


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 帰路、そんなことばかりを考えていた。20119月の台風による豪雨災害は、那智滝周辺にも大きな被害を及ぼしていた。滝壺にあたる鬱蒼とした森は押し流されて、下流は完全に開けてしまっていた。「神秘」は、無残にも明るみに出されていた。山肌には至るところに土砂崩れの爪痕があり、川筋の集落には、とってつけたような舗装道路と新築住宅が建ち並んでいた。過酷な自然である。気候は、これからますますその牙を鋭く剥くだろう。崩れやすい斜面に貼り付くように建つ集落、鉄砲水が集中しそうな川筋に細々と連なる集落・・・一千年の集落というが、これからどうなる ?? 穏やかな自然条件の兵庫県から、なぜわざわざこんなに過酷な状況に身を置こうとするのか、余りにも極端ではないか。判断は間違っていないか。


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 串本町には、明治時代に日本を訪問したオスマン・トルコの軍艦Ertuğrul号が、その帰路に座礁した岬に記念館が建っている。1890年9月の事だ。船は沈没し、多くのトルコ人が殉職したが、地元の人たちが命がけで彼らを救助した。このことは現在のトルコ人の親日感情に繋がっていて、1985年の第一次湾岸戦争の際、テヘランに取り残されていた日本人のために、トルコ政府が自国民救出のための航空機を増便して脱出させたという出来事にも繋がったという。打ち沈む心を休めるために岬に立ち寄った。何故か、私はトルコ系の人々に血の底から親近感が湧き上がる。そうなんだ。湧き上がるもの・・・色川は素晴らしいところだと思うし、人々は優しく、私を正面から受け容れようとしてくれた。しかし、湧き上がるものが、実は感じられないのである。何を措いてもそこに住みたいという衝動が、色川に感じられなかったのは事実。ううむ・・・色川がダメならどこへ行く・・・


 「岬めぐりのバスは走る、僕はどうして生きていこう・・・」


 こんな歌詞を思い出してしまい、まったく意外な事に涙が出てしまった。決断を迫られ時間の余裕がないのに、自分の態度が決まらない。「岬めぐりのバスは走る、僕はどうして生きていこう・・・」「砕ける波のあの激しさで、貴女をもっと愛したかった」「僕はどうして生きていこう・・・」


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 海辺の断崖に、こんな小さな家を持てたらいいな・・・夢を見るのはタダだ。

posted by jakiswede at 22:07| Comment(0) | 移住計画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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