2013/10/10 地球研IS研究会「全球的な食リスク回避のための生元素循環管理」平成25年度総合地球環境学研究所インキュベーション研究・・・というものが京都の総合地球環境学研究所で行われ、喚ばれて参加してきた。久しぶりに深泥池の縁を通って・・・
この場所、通称「地球研」・・・野球拳ぢゃないよ・・・初めて行ったが、いやなかなか寛げる学究的空気に満ちあふれとってよろしおすなあ。着いたのが昼過ぎであったので、持参の弁当をどこかで食って良いかと受付で訊ねたら、奥に食堂があるのでごゆっくり、と案内してくれた。そこで昼食を摂って、上の写真に写ってるねーちゃんたちのひとりにここで弁当箱洗うて良いかと訊ねたら、画面右手のキッチンはどなた様もご自由に使ってよろしいんですのよ、と教えてくれた。いや私ね、京都というところでイヤな目ぇに会うたことが一度もない。仕事でもプライベートでも、用があるときも通り過ぎるだけのときも、ほんまにただの一度もないんですわ。よく言われるように京都の人はイケズやなんてウソや。京都には千年の都としてのコスモポリタニズムが定着してる。神戸や芦屋なんて、ほんまに一皮むいたらただの田舎で洗練の「せ」の字もない。よって屢々ムラ社会特有の窮屈で偏狭で陰湿なイジメに遭う。論理のすり替え、欺瞞に満ちた詭弁、独断と偏見・・・まあええ、愚痴はやめとこ。
私は学者ではないので研究発表をする訳でもないのだが、ここへ来たのは、そもそも赤目自然農塾の川口さんに紹介してもらった金子信博教授に誘われたからであって、何故誘われたかというと、自然農に取り組んでその実際について一通りの説明が出来ることと、紹介された当時、仕事を探していて、金子教授の海外プロジェクトに参加しないかというお誘いを受けていたからである。その話は、結局年齢制限があって実現はなかったのだが、上のような研究テーマに取り組んでおられる日本の学者の方々と直にお話できる機会が得られたのは、真に貴重な体験であった。
さてプログラムの概要は、要するに持続可能な農業のあり方をめぐって、農業者・農学者・土壌科学者・地質学者・微生物学者など、それぞれの立場から、上のテーマについての「ざっくばらんな」自由研究を発表する、というものであると理解した。つまり例えば、一定の条件の土を採取して、そこで微生物などを培養するのだが、何かの元素がある場合とない場合とで、その生育にどのような変化が生じるか、という研究を積み重ねて行って「持続可能な農業のあり方」に結びつけよう・・・あるいは、結びつけれるかな、という話である。そのなかに、不耕起栽培による土壌の変化の研究があり、あの有名な「奇跡のリンゴ」の著者による生物多様性の研究もあった。
もちろん議論されていることの大半は学術的な内容であるので、その詳細については理解できなかった。しかし思えば、自然を対象にした科学的究明というものが、果たして可能なのであろうか・・・私の預かっている一反の田畑でさえ、いやそのうちの一畝でさえ、刻々と変化する土の状態を分析し追求し検証し、結果を総合して、科学的に土の状態を究明するには、膨大な時間と労力、瞬発力、経済力を要するように思われる。しかも、分析されたデータが何を示しているかを判断することが、果たして人間に可能なのか、それを農民にどう伝えるのか・・・しかも分析は無限に繰り返されるであろう、そのようにして総合された全体が果たして「自然」であるのか、科学の方法というものが、果たして「自然」を認識するために有効なのか・・・とてつもない絶望感というか、無力感というか、近づこうと思って探求すればするほど、果てしなく遠ざかって行くような、なにか切ない、やるせないものを感じた。
会の主旨はインキュベーション研究であるので、研究のアウトラインだけでとりあえずは良い筈なのだが、議論は白熱し、大半の研究発表では、その検証のしかた、検証結果から結論へと至る過程に、各方面の研究者から疑問が投げ掛けられた。特に若手の研究者がある推論をするのに、同じテーマで何十年も前に獲得された成果を顧慮していない、と熟年の研究者から指摘されて発表を進められなくなったり、まあいろいろあって、発表予定者を消化しきれないうちに時間切れとなった。
そのなかで、農法の歴史を研究しておられる教授の話が実に興味深かった。それは、第二次世界大戦後に今の「慣行農法」が確立する以前、つまり農薬や化学肥料や大型機械のない時代に、どのように農業が行われてきたか、その実際のことについてである。これは、この冬の私の研究テーマとしたい。もちろん江戸時代には農薬も化学肥料も存在しなかった。糞尿を肥料にしたというが、それは江戸や大阪の都市近郊のこと、小魚を肥料としたのも、それらが余って困る漁港周辺の限られた地域で限定的に行われていただけであって、大正時代までは、無肥料無農薬が当たり前だった。第二次世界大戦の軍需産業で開発された化学兵器が、「平和利用」される形で農薬や肥料として大量使用されるまでは、それらは高価過ぎて一般の農家には手が出せなかった。また、牛や馬による動力の利用も、一部の裕福な農家などに限られていた。「耕す」という言葉が「文化」の語源であるように、農業は耕すことが基本と考えられているが、それは現代人がイメージするように、大型機械が地表何十センチも大きくほじくり返して、その状態が均一で平坦に何反も続く、というものではない。せいぜい地表5センチ程度であり、「畝を立てる」という基本動作も、土を寄せて盛り上げるのではなく、排水路を確保するために溝を切るのが目的だったという。「代掻き」の起源は古いが、現在でも代掻きではあまり深くロータリーを入れないようにと特に注意が喚起されているように、表面の極く一部を撹拌するのが目的であり、一反程度の面積であれば、充分人力でこなせる作業であった。要するにそのくらいでないと、諸作業を含めると、農繁期に人力で出来ないのだ。つまり、「慣行農法」と名前があるが、1万年の農業の歴史から見れば、たかだか70年の事を指しているのである。
翌日、「赤目自然農塾」へ皆様をご案内するために近鉄赤目口駅で待ち合わせ。本来ならば桜井市巻向の川口氏ご本人の田んぼを見学するはずだったのが、ご本人の体調不良で急遽中止となり、私が皆様を引率して「赤目自然農塾」をご案内するという大役を仰せつかったのである。私は塾の代表でも何でもないし、何度か見学に行っただけで、赤目塾を皆様にご案内したりご説明できるほどではないのだが、急遽ということなのでやむを得ず引き受けた。私も川口氏の田んぼを見たかったし、学者の立場から質問されることに、川口氏がどうお答えになるかを聞きたかったのだが・・・ここ何回か塾の定例会もお休みになっているというので心配である。
何故塾の実習田ではなく川口氏の田んぼを見たかったかというと、塾の田んぼは極めて小さく区切られていて、月一度の集まりのためのショウ・ケースのようなものになっていて、実用としての自然農の状態を表しているとは言い難い。特に田んぼにおいては、不耕起で稲が稔ることを全員に体験させるために、乾燥に強く根張りの良い糯米が植えられている。しかし日常的に我々が口にするのは粳米であって、私が今シーズン、糯米の赤米は問題なかったのにコシヒカリの不耕起栽培には失敗したことからもわかるように、粳米の不耕起栽培にはコツがいると思われるからである。会の目的は、持続可能な農業のあり方を探求するのであるから、日常の食生活に足るものが不耕起栽培で充分に供給可能であることが実証されていなければ、視察の意味がない。という観点から見ると、これは明らかに空振りであった。いわゆる学者の皆様の反応はそうでもなかったが、農業に携わっている参加者からは深い落胆のため息が聞こえた。
さて私見を述べる。持続可能な農業のあり方について、近ごろの田舎暮らしブームや食の安全ブームで、これらについて考えることは心が豊かになると思われているが、実際に自給的生活を送っている私からすれば、とてもそんな生易しいものではない。自給的とはいっても日銭はある程度必要なので、現金収入は別途手配しなければならない。手作りの農産物では、とても商売に出来るほどの量が確保できないからだ。いきおい、毎日が農作業とバイトの連続となり、季節に追い立てられ、おそらく過労死がかなり近い。最近、力尽きることがよくあって、どうにも作業を続けられなくなり、意識が朦朧として体全体が痙攣しはじめる。こうなると、もうその場にへたり込むしかなく、なんとか体に鞭を打って自室まで這って戻るのである。それでもやらなければならないことは山のように控えている。季節の巡りは待ってくれない。一日遅らせれば二日の過重となってのしかかってくる。しかし、田畑にいると生命の安らぎを感じる。舌癌に陥った地獄の生活には戻れない。でもカネはない。この現実をどうするのか。
歴史をひも解いて、農民が豊かで幸せであった時代というものが、果たしてあったのだろうかと考えることがある。もし自給的生活や自然農で人々が幸せになれるのであれば、数千年の歴史の中で我々はそれをとっくに実現していた筈だし、百姓一揆も革命も歴史に登場しなかっただろう。そもそも民主主義という概念さえ必要なかったはずだ・・・と見てみれば、今の地獄は歴史の必然であり、持続可能な農業のあり方を探求することは、いわばこれに逆行することになる。そう、わたしは敢えて逆行せざるを得ないと思っている。私は学者ではないので直観的に結論を出す。
持続可能な農業のあり方・・・それは、いま目の前にある土がどのバランスで平衡に向かおうとしているのかを関知する直観を養い、それに沿うようにつき合いながら、ほんのちょっと自分の作りたいものを土からおすそ分けしていただくことである。土は千差万別で、人間が採るべき態度はその分析ではなく、バランスの取れた土ならばそれを崩さないように、崩れた土ならばその戻って行こうとする向きに逆らわないように、土からもらったものは土に戻し、多様性を維持しながら必要最小限の作物を栽培する直観を養うこと。不耕起栽培とは、土の原料たる植物の亡骸を移動させないということであって、千差万別である土の状態が望む平衡をそのまま壊さずに栽培するという方法である。逆に耕すという行動は、この平衡よりも人間の判断の方が優位であるという立場に立つことになる。人間はそれほど偉いか ?? 「土」ひとつとして人間は作り得ない。土は千差万別であって、その全てを耕す人が熟知しているとは到底考えられない。したがって、そこにあった土の原料はそこに戻し、つまり耕さず、他から持込まず、他へ持ち出さず、最小限の成果で糊口をしのぐことしか、人間には出来ないのではないか。
地球上の動物は、地球上に現れて以来、全て土から産まれたものを食して現在に至る。従って「土」が人間の生存に必要なものを過不足なく備えてくれていることは明らかである。それで全てであろう。それ以上のエネルギーを現在消費しているから問題になるのであって、人間が自然界の一員として消費して良いのは、自分の手にある土から産れるものだけである。これが持続可能な農業のあり方の全てである。しかし、それを実践すれば、人間にとって幸福が訪れるか、あるいは幸福な社会が実現できるか、これは全く別問題であり、自然農的生活が社会的に実現した暁には、それを搾取する社会構造も同時に実現している、言い方を変えれば、農法も社会も化石燃料を使う以前の状態に戻っているであろうから、結局のところその実践者たる農民は、江戸時代以前と同じ状態、すなわち日々の労働は自然との格闘となり、社会的には搾取の対象とならざるを得ない。それは、現在の田舎暮らしブームや食の安全ブームを希求する人たちの夢とはかけ離れている。
しかし、その時は否応なくやって来る。そこは極めて不衛生な泥沼だ。このまま行けば、人類はイブニングドレスやダークスーツに身を包んだまま、饐えた臭いの立ち上る泥沼にダイビングすることになる。泥を吸い込み目をやられ、怪我をした傷口からは細菌が入り込み、これを恢復する手段も残されていない。私は、既に阪神淡路大震災の時、それを疑似体験した。水の使えなくなった避難所では、流れるようなロングヘアをかき上げながら、てんこ盛りの排泄物の上に身を屈める若い女性、ドブや小川に降りて用を足す女性の姿を日常的に見た。ひと月もすると、それに違和感を感じなくなった。私たちは、自分たちの置かれた状況をよく飲み込めないまま、ある人たちはいずれ良くなると根拠のない希望を抱いたし、ある人たちは最悪の状態を想定した。いずれ良くなる・・・それは、震災以後の悲惨を全て忘れてその前に戻りたいという願いだった。しかし時間を逆に回すことは出来ない。そのことを認めたくない人たちは、なにものかにすがった。カネであったり宗教であったり集団であったり、いろいろだった。そのことを思い知った人たちは、生き方を変えることにした。泥沼へ軟着陸する心構えや方法について、予めよく研究して準備しておけば、泥を飛散させることなく静かにそこに降り立つことが出来るかも知れないからだ。いずれその時が来る。だから、願わくば地球研のこの研究会が継続し、そこに歴史学者や人類学者が合流し、過去に学んで事実を様々な角度から検証し、自然農による自給によって経済が周り、階級も生まれない社会制度が確立するのかどうか、それにみんなが満足する社会が本当に実現するかどうかの研究が、あっても良いと思う・・・ちょっと薄気味悪い気もするが・・・すくなくとも今の状態では、残念ながら私の結論は極めて絶望的だ。
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