2013年12月31日

20131230 書きたくないこと

 このブログでは、正直いって社会のことや政治のことなんか書きたくないのだけれど、私が何故こういう苦しい生活をしているのかということについて、よく人から訊かれるのでそれを十全に説明しようと思えば、どうしても避けることが出来ないので、全く散漫で結論のない事柄ではあるが、思いつくままに書き留めてみたい。


 私は百姓仕事で採れた作物を食べて自給しながら、とあるスーパーで夕方から閉店まで働いて現金収入を得ている。そのスーパーは、20年ほど前までは福祉のしっかりした健全な会社であったと思うが、現在では立派なブラック企業である。営業時間は9時から21時まで、製造に関わる社員は、ほぼ7時には仕事を始める。で、9時になってからタイムカードを通し、17時か18時か、設定された時刻にまた通して21時半のラストまで仕事をしている。休日出勤も頻繁、というか月に2日ほど休むだけで、あとは無償で出勤してくる。これが世に言う「サービス残業」であって、月平均にすると一人140時間強。給与明細を見て驚いた。彼らはこの激務を月15万そこそこの月給でこなしている。ヒラ社員一人当たりの月給を実際の労働時間で割ると、150000÷28÷14.5=369.46…なんと私の時給の半分以下だ。これはあまりにもひどい。食堂には「しないさせないサービス残業」なんてポスターも貼ってあるし、毎月アンケートというか誓約書が回ってきて、「私はサービス残業をしていません」の欄に丸を付けて提出させられている。私は法定最低時給のアルバイトであるし、そういうことにはうるさいと見られているためか、一切サービス残業の要請はないが、部署によってはさせられているところもある。それでも仕事の積み残しは慢性的だ。棚卸しや監査の前には、社員総出で自家用車に都合の悪いものを積み込んで、隣のパチンコ屋の裏の駐車場に車を隠す。そのあと徹夜で掃除をして翌日の監査では、本社の役員がきれいに整頓された売場やバックヤードを満足げに眺めて、全てのショップに丸を付けて帰って行く。棚卸しでも不良在庫は見つからない。コンプライアンスが守られているというポーズをとるためか、食堂には社長への直送便を投函出来るポストがあるので実態を何度か告発したが、該当する社員が飛ばされただけだ。それを目の当たりにすると何も言えなくなる。黙って仕事に戻らざるを得ない。上に向かっては絶対に物が言えない。下に押し付けるだけだ。


 生鮮食品売場では、毎日「売り切り」と「廃棄」が生じるが、「売り切り」された商品がレジを通過すると値引き金額が計上されて蓄積される。しかし、閉店後に「廃棄」する商品は管理されていないので、在庫から消えることになる。だから、その日のうちに「廃棄」するとわかっている商品は、売れ行きを見て早くから売り切るようにするのだが、そうすると値引き金額が膨らんで本社から注意される。しかし値引きが膨らむ本当の原因は、店の裁量で発注する以外に本部商談で送り込まれてくるものが多数あって、これらが残るからである。本来ならば、社員は本社と交渉して送り込み量を調整してもらうべきなのだが、そうはせずに「売り切り」シールを貼っているアルバイトに向かってあまり貼らないように指示する。そうすると、値引きしたから売れていたものが売れなくなるので売上が下がる。このようなことを繰り返して行くうちに、やがて全社的な業績不振の一因になりうるものだが、社員は連日の長時間勤務に疲れ切っており、良く考えて冷静に判断することが出来ず、場当たり的短絡的にヒステリックに対応する。結果、職場には投げやり的な空気が蔓延して、本来守られるべき手順や衛生管理などがおろそかになり、商品の表示の間違いや単価の間違い、更には異物混入などが発生してクレームの元となり、その対応に更に手間ひまをとられるという悪循環に陥る。上に向かっては絶対に物が言えない。下に押し付けるだけだからだ。


 私が就職した頃には「ブラック企業」なんて言葉はなかったが、「ワンマン社長」という言葉はあった。父が就職した頃には「モーレツ社員」という言葉があった。今も昔も現実はそう変わらない。私が就職した会社は、今から考えれば典型的な「ブラック企業」で、社長独裁の「ワンマン経営」だった。私はほとんど休日もなく、早朝から深夜まで、頻繁に徹夜してまでモーレツに働いた。しかし月給が20万を超えることはなかった。私は果敢にも社長に状況の改善を求めた。社長はワンマンではあったが、心の通った人物だった。私には夢があり、このままの状態を続けて行けば、必ず体を壊すというと、社長は、状況は単純ではない、会社をとるか自分をとるかの二者択一だと言った。私は会社を辞めてフリーの仕事に就いた。しかし、そこにいたほとんどの社員は、全く無批判に無抵抗に無条件に、過酷な状態を抱え込み耐え忍んでいた。25年前の話だ。仕事上の問題があっても、上に向かっては何も言えず下に押し付けるだけ、本質的な解決を試みようとせず場当たり的に対応せざるを得ないのも大して変わらない。情報化社会が進んで、コミュニケーションツールが進化しても、人間の中身は大して変わらない。


 このアルバイトだけでは足りないので、他にもいくつか仕事をしている。そのうちのひとつに家庭教師の仕事があって、うまく繋がれば効率が良いのだが、ドツボれば最悪である。これまでに中学生を中心に20人近く見たであろうか、某派遣事務所からのものが大半であるが、実は成功裏に仕事が終了出来たのは、たった2件である。他はいずれも、なんらかの理由で途中解約になった。いろいろと理由はつけられるのであるが、原因はただひとつ、私は勉強する良い方法について教えたりやる気を喚起したりすることは出来るが、勉強するのは本人であるというあたりまえの原則を行動で貫くからである。だから絶対に答えは教えないし、ましてや宿題を代わりにやってやることなんかしない。答えを出すのは、あくまで本人だ。しかしこれが生徒にとってはたいへん困る。たいていの生徒は塾と掛け持ちであるので、塾でわからなかったことを訊いてくるのだが、その全てに規定の時間内で対応することは困難な場合が多く、私が説明し得たとしても生徒が理解出来たかとなると絶望的である。となると塾での成績が落ちてゆき、宿題その他も追いつかず、結果的に家庭教師を雇う意味がなくなる。もちろんそうなる前に、家庭と私の双方から派遣会社に相談するのだが、カウンセリングと称して事務所に呼び出され、受け取るものはお客様からのクレームの書類であって相談も何もなく、善処するようにの一点張りでそこを出てくることになる。ならば電話で済ませてくれ、こっちは農作業で忙しいんや。で、なんどか「クレーム」が重なると、そのたびに呼び出された結果、クビとなる。こういうことを繰り返すうちに、その事務所からは生徒を紹介してもらえなくなるので、事務所を変えることになる。しかし、何社か渡り歩いているうちに名前が横に流れるのか、とうとう派遣登録の際にはじかれてしまって、いまでは家庭教師の仕事はしていない。


 仕方がないので、昔とった杵柄で流通業界のフィールド・サービスの単発バイトで糊口を凌ごうとしたのであるが、流通業界の販促のあり方というものが、ここ10年ほどで大きく変わってしまったのか、どうにもまともな感覚の仕事が見当たらない。私が流通業界でフリーランスの営業スタッフとして仕事をしはじめたのは今から30年ほど前のことなのだが、当時メーカーでは末端まで自社商品を落とし込むのに、問屋に頼るしか方法がなかった。そこに目をつけて、メーカー直のフィールド・サービスとして人材をアウトソーシングするという考え方を切り開いたのは、とりもなおさず私たちの仲間であった。本来マーケットを熟知した上でのフィールド専門の知的プロ集団であったはずのものが、小泉改革の時代に派遣労働が緩和されて単なる労働者人材派遣業に転嫁されてしまったときにギャラが暴落し、今では一連の仕事も切り開かれ過ぎて個々の作業に分割され、それぞれに作業単価が設定されて価格競争の波に晒されている。つまり、新商品を出すからそれを問屋や量販店の本部と商談して、その結果を各店舗の売場に落とし込んで行くという一連のつながりが本来の仕事であるのに、店舗へ行って直送されている販促物を売場に設置して写真を撮ることが仕事になる。アウトソーシングとコストダウンと市場開放が行き過ぎて、連続的に見なければ心ある仕事にならないものまで、なにもかもがばらばらだ。これが単発バイトとしてネット上で流通している。


 派遣会社では概ね店の規模に応じて作業時間を設定していて、一日何件回れば日当にふさわしい収入になるか判断出来る・・・はずなのだが、実際にはひとつの募集エリアに多くのひとがエントリーするので、都市近郊は取り合いとなって、私のような地方在住者には遠隔地しか残されない。1件1時間の作業で千円の件数仕事なら、7件程度回してもらえれば一日仕事として成立するのだが、行くだけで半日もかかるようなところを虫食いに提示されることになる。それでも我慢して何度か仕事をしたのだが、数ヶ月経ってもギャラが振り込まれてこないので問い合わせてみると、なんとギャラはポイント制になっていて、1万ポイントごとに電子的な商品券と交換されるというのである。そんなことはどこにも書いてなかったと主張したのだが先方が反論していうには、確かに複雑でわかりにくいエントリー・サイトの一頁にそのような記載がある。仕方がないのでポイント交換率の高い楽天スーパーポイントにしたのだが、あと数百ポイントというところで、新しい仕事が回ってこなくなった。1万円にも満たないギャラを回収するのに、かれこれ3ヶ月以上もかかっていることになる。


 そんななか、古くから世話になっている派遣会社から、メーカー・セールスと同行する仕事が回ってきた。超有名な一流企業である。しかし彼の営業実態はすさまじいのひとことだった。今では仕事は携帯端末に送信されてくる。効率が良いのは事実なのだが、本社からの指示、担当部署の上司からの指示、総務からの聴取、更に客からのクレームが、ひっきりなしにかかってくる。朝から晩まで一日中、彼は車を運転しながら、歩きながら、商品を積み上げながら、かたときも端末を離す事が出来ない。常に誰かと会話しながら店の担当者と折衝をし、メールを打ちながら私に作業の指示をした。食事中も口の右側で麺類を吸い込みながら左側で喋っている状態であった。誇張ではない。まったくそうなのだ。それでも仕事は終らない。一日の訪店の仕事が終って私を最寄りの駅まで送ったとき、既に彼の端末にはその日の未解決事項が二ケタになっていた。彼は端末を首に挟んだまま私の作業報告書に押印し、端末と話をしながら私に手を振って、車を運転して去って行った。


 私は移住について検討を始めたとき、私のような中高年の独身男性が、どこかの田舎の村に入らせてもらおうとしても、受け容れる側にとって私は招かれざる客であるということを思い知った。農業後継者がいないというのが全国共通の悩みなのであれば、農作業が出来る人間は何処へ行っても通用すると思っていたが甘かった。ならば別の切り口でアプローチしようとしたが、限られた物件を漁るに地元の不動産業者の方が早いので、その情報を利用することになるが、到底手持ちが足りない。この現実を克服するためには、どうしてもカネが必要である。そこで私は、この一年を職探しに当てることにしたのだが、この仕事は日本中何処を探しても、俺に任せる以外に選択肢はないはずのものでさえ、エントリーしてもエントリーしても梨の礫であった。私は、転職市場においてさえ、自分が招かれざる客であることを思い知らざるを得なかった。ビジネスの世界に戻ると公言したが、あまりの現実の豹変ぶりに度肝を抜かれて、おめおめと舞い戻ってきたというわけだ。現状維持で耐え忍ぶしか、方法はなさそうだ。私に出る幕はない。


 さて、私は農家ではないのだが、地域では農協絡みのお知らせなどが、自治会の回覧板で回ってきたりする。先日驚いたのは、TPPに反対する署名を自治会長が回覧板とともに自ら一戸一戸を回って持ってきたことであった。回覧であるから、誰が署名しなかったかは一目瞭然である。私はTPPの全てについてはよくわからないのでその内容について自治会長の認識を訊ねてみた。しかし彼はTPPは日本の農業を潰すの一点張りで、なぜそうなるのかの合理的説明はなかった。私はTPPに賛成とまでは言えないが反対署名することも出来ない、地域で孤立することは本意ではないが、署名するかどうかは自由意思であることを良く理解して欲しいとお願いした上で署名を拒否した。赤い羽根の共同募金のノリで回ってきたご高齢の自治会長は、まさか反論されるとは予想していなかったのであろう、終始きょとんとした状態で首をかしげながら去って行った。まあここは中途半端な田舎であるから若い人も多く、そんなことで私が孤立することはない。


 TPPに賛成か反対か、職場でも友人との間でも話題になることがある。私にとってはどっちでもいいことだ。そもそもひとつの協定が全ての人に支持されることはないし、ひとりの人間がこの複雑な協定の全てにどちらかの態度を採ることは困難だ。だから二者択一を問うことは乱暴だと思う。TPP全体が未だ流動的で複雑過ぎてよくわからない。TPPが日本の農業を潰すといわれればそうかも知れないし、アメリカの財閥の利権を拡張することが本質だといわれればそうかも知れないし、関税を撤廃すればGDPも上昇するといわれればそうかも知れない。最強の発言力を持つアメリカの闇の手が世界をどう引っ張って行こうとしているかなんて私には知る由もないし、知ったところでどうすることも出来ない。出来るのは、その状況に合わせて自分がどう生き延びるか、ということに尽きる。だから私にとってはどっちでもいいことだ。


 賛成か反対か・・・特定秘密保護法案もアベノミクスもTPPも農業集約化も原発推進も原発輸出も、もっとたくさんのことも全て密接に関係して、世界を巻き込んで日本は動いている。その中にはもちろん、軍需産業の平和利用の最たるところの、農薬・化学肥料・食品添加物・・・とどの詰まりが石油利権も含まれていて、関連産業を守ることによって、国家あるいはその連合の影響力が温存できるように慎重に進められている。それらは社会構造の奥深くまで浸透していて、それらなしではもはや社会は動かず、その中にいる私たちの生活も立ち行かないほど、複雑に強靭に絡みあってしまっている。だから反対すべき事案は無数にある。しかし反対しても撲滅しても、次から次へと事案は噴出する。到底追いつかない。これでは「社会」が誰の手に握られているのか、考えるだけでばからしくなる。働いたギャラも回収出来ないのに、足許の暮らしでさえおぼつかないのに、雲の上の話に賛成も反対もあるもんか。口を閉ざし、耳を塞ぎ、心を捨て、ひたすら順応し、大樹にしがみついていれば、なんとかなる・・・いや、そうしなければ、どうにもならないのだ現実は。


 なぜそうなるのか・・・私は「不安」が根底にあることが全ての原因だと思う。例えば世界の人口は70億、そのうち中国が13億・・・理屈やイデオロギー抜きで、中国はこの人口を食わして行かなければならない。しかし「世界」は、中国を世界のうちのひとつの国に過ぎないと見る。でも現実は違う。中国が、コンプライアンスのなんのと言ってられないほど闇雲に資源確保に奔走するのは由あることであって、これは二国間の国境や防空識別圏の問題ではなく、世界が見据えなければならない現実だと思う。世界全体で中国を受け容れるべきだ。それこそ国境をなくしてでも・・・しかしアメリカも日本もヨーロッパも、出来るだけ現実を思い知るのを先送りし、影響を過小評価しようとする。「不安」だからだ。だから、様々な形で息の掛かった国々を巻き込んで同盟しようとする。そのひとつがTPPだ。中国も、もちろんプライドと不安があるので自分の苦境を世界で共有してくれなんて言わない。すなわち裏庭の東トルキスタンで、チベットで、モンゴル高原や中央アジアで、インドで中東でアフリカで、つまり欧米の監視の目が行き届きにくい世界中の全てのエリアで、独自に極秘裏に着実に資源確保に暗躍している。世界が北朝鮮を見て見ぬふりするのも、シリアの内戦を止められないのも、コンゴの紛争が終らないのも、パレスチナ人とユダヤ人が互いの平和を願いつつ殺し合いを続けるのも、日本の原発を止められないのも、全て「不安」が原因である。先日、私の友人が、日本の放射能汚染を怖れてブラジルへ移住すると言い出した。助言を求められたので、私は彼自身のその「不安」と先ず向き合うべきだと答えた。しかし彼は現地調査に旅立ってしまった。


 つまり、みんなカネがなくて腹が減ってて、状況が更に悪化することを怖れて「不安」に駆られている。たとえば、戦争になったら怖いという「不安」がある。しかし、戦争そのものよりも、この「不安」という心理が、さらに「不安」を呼び起こし、連鎖していく。これが本当の「テロリズム」である。しかし歴史を学べば、戦争が避けられないことは明らかで、世界は戦争を中心に動いていると考えて差支えない。第二次世界大戦後の日本が例外だったわけではない。世の中は理不尽である。本当に平和を望むのであれば、先ず70億の人口をどうやってコントロールするかの哲学が必要だ。つまり、自分がどのように食うかの哲学のことである。


 私の考えと行動はこうだ。日本の農地は456万ha、つまり4560万反、人力で無農薬無肥料で米や野菜を栽培出来る面積は1人1反、つまり日本の人口1億3千万人のざっと3分の1が手作業で営農すれば耕作放棄地はなくなる。田んぼ1反当たりの米の平均収量を400kgとすると、4560万反で18240000000kg、1人が年間100kg消費するとすると1億8240万人が自給出来ることになる。しかもそこには化石燃料も原子力も必要ない。例えば原子力発電に反対するのであれば、それが必要ない暮らしを実践しなければ反対する資格はないと思う。特定秘密保護法であれTPPであれ、全ては同じこと。30年前に反原発運動の示威活動で豚箱にぶち込まれたときにつくづく思った。示威活動ではなにも変わらない。破壊活動でも変わらない。哲学でしか変わらない・・・が、それが最も困難なことも事実だ。反対であれ賛成であれ、連帯する以前に思想と行動があるべきだ。

posted by jakiswede at 00:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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