パン工房「アルムリーノ」島根県奥出雲町へ移転 !!
私のパンの師匠・・・というより人生の師匠・・・その激烈な生き方、妥協のない品質、容赦のない批判・・・その全てが超一流で、唯一無二。
パンは旨かった。しかし残念なことに、日本の菓子パン文化のセンスのまま品質を向上させたものだったので、甘い具だくさんのものが多く、ハードなカンパーニュ系が好きな私の口には合わなかった。ヨーロッパや中東、中央アジアの、パンを主食とする味覚に馴染んでいただけたら、もっと買いに行けたのにと思う。
マスターとは30年のつき合いになる。妥協を知らぬ理論家で対象を潰すまで突き詰めるタイプである。この人とうまく付き合うには簡単なコツがある。両肩が同じ高さで、しかもこちらに対して正対しているときは、心は平静である。しかし話が進むうちに感情が高ぶってくると、このバランスが崩れてくる。特に、右肩がこちらに向かって突き出されるような態勢になると要注意である。これは戦闘態勢を意味するからだ。一旦火炎瓶に火がついてしまったら、たとえ安田講堂で最後の一人になっても機動隊に火炎瓶を投げ続ける信念の人である。
この建物で最も楽しかった思い出は2007年に行われたこのライブであろう。なにかのイベントの流れで、神戸に集結していたConjunto Roda de Choroをそのまま持ってきて、ついでに尼崎でバイトしていたおっさんを呼び出してPili-Pili Showをやったときのことである。このときの写真は彼の2枚目のCDの内スリーブの写真にもなっている。余りの歌のばかばかしさ加減に、呆れて失笑する観客と拍手するマスター・・・
凝りに凝った建物は3階建て。居住空間の台所は島型キッチンで、なんともおしゃれなものだった。
しかしもはやマスターも齢70にして足腰衰え、豪華な3階建てが裏目に出た。階段の上り下りにさえ難渋する二人を見かねて引っ越しを手伝った。あと20年もすれば、私自身も階段というものが障碍になることを痛感しながら、重いもの、大きいものを運び降ろし、仕分けし、片や処分、片や積み込み、別便を立てて荷造り、そして自分の車も出して出発。
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