事後処理はまだまだ続く。今回の移転は、アルムリーノ起死回生の最後のチャンスである。日本の天然酵母パンの草分け、妥協を知らぬ彼等には、この店舗兼住宅の規模は余りにも大き過ぎ、ランニング・コストがかかり過ぎた。おまけに「自分が法律」の独善的批判主義に就いていけたスタッフはなく、たった二人で膨大な数のパンを毎日焼いては発送していたのだ。
その強烈な個性ゆえの社会性と常識の欠如、しかし、だからこそ日本の天然酵母パンの地平を切り開き得たのであり、それだけでなくパン一筋で、なんと1億数千万といわれる借金のほとんどを返済したのである。まったく、常人に出来る仕事ではない。
しかし引っ越し作業は難航を極めた。自分の健康を顧みない情熱家であるから、自分たちの住空間さえ満足に省みないのは、考えてみたら当然のことである。その結果分別不可能な雑多なゴミがヤバいほど溜まって明らかにオーバー・ワークである。いくら情熱があっても、見るからにげっそりと痩せ衰えた老体を放置するに忍びなく、いつもの悪い癖で、とにかく奥出雲の店舗のオープンに専念してもらうことにした。
なぜなら今回の話は先方からのたってのお招きであって、恐らくこれを逃すと引退以外に道はない。おとなしく引退出来る気性も財産も持ち合わせていないので、この話には乗る以外にないのだ。だから急な話だったのである。このGWを逃すと、島根の山奥の観光地には夏まで人が来ない。後片づけなどしている場合ではないのだ。とにかく店を開けることだ。
なぜそこまでするのかというと、やはり私にとって彼等、特にマスターは人生の師匠であり、生き方の手本であるからだ。わざわざ他人のところに出向いてまで、初めから徹頭徹尾批判する態度は流石にいかがなものかとは思うが、その明晰な論理展開は、田んぼの泥に曇った眼を洗い流してくれる。しかも、単なる天然酵母ではなく、いまや自家製糀菌を使って酵母すら自給し、そのノウハウによって、私もこの写真前面に広がる自家製小麦によるパンの自給に成功したといえるからだ。
一緒に来ないかというお誘いもあった。行きたい気持はやまやまであったが、折角三年越しの懸案に決着をつけた今、そう易々とここを離れる気にはなれない。なぜなら、ここは大阪平野から最も近い本格的な農村であって、農業を続ける環境が全て整っており、しかも過疎の問題を抱えている。私の目的は、引きこもって農業をするのではなく、都市生活者と農業を結びつけることにある。都市は都市、農村は農村と、まるで消費者と生産者のように二手に分かれて責任をなすりあっているようでは、物事は絶対に解決しないからだ。私は解決を望んでいる。
なにより六甲山周辺は私の故郷だ。古くからの友達も多いし、気が向けば訊ねてきてくれる。都市と農村がほど良く混じっていて、悪くいえば中途半端な田舎なのだが、多様な好奇心をまだまだ捨てきれない私にとっては、いくらでも楽しみ方がある。盆地なので、駅へもバイト先へも自転車で行くことが出来るし、殆ど全ての人間関係は極めて良好だ。永年の懸案も解決し、ここまで揃った好条件を捨てて、全くゼロからやり直す気にはなれないのだ。木の灰は土壌の酸性化を中和するという。これが冷えたら撒いてみよう。アルムリーノの再起を天に祈るばかりである。
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