2014年09月05日

20140904 ムラハラ 2

 急ぎ旅から戻ってみると、厳しい現実が私を待っていた。「やっぱりな」・・・集落から少し離れたところに住む、普段から仲良くしてもらっている農家の人が、農機具の展示即売会場を訪れたときの事、休憩室の中は、言わば自治会の寄り合いのような状態になっていて、主立ったメンバーが顔を揃えていたという。そこでの話題は主にふたつ・・・と、まあ、これを明らかにしてしまうと、私もここで生活している以上、いろいろとまずい事があるので、これ以上具体的な事は書けない。

 以前、このブログに、隣家の息子が帰ってきて家業を継ぐというのに、地域住民がそれに反対しているという話を書いた。集落内の農地にわりと大きな施設を建設する事に対する反対運動である。そのなかで、私にも一緒になって反対せよという理不尽な圧力がかかって、私はそれを受け容れずに中立的立場をとったのだが、集落住民の大勢から言えば、それは隣家の息子に手を貸した事になる。何度かもたれた寄合の席でも、またその後でも、有象無象の圧力がかかっている事は意識していた。まあ、図らずも先日の農機具展示会の場で、私の懇意にしている人が、集落で持ち切りになっている一連の話題について、忌憚なく話しあっている様子をつぶさに聞いてしまったというわけだ。

 要するにこういう事である。私はここに農業をしたくて移住してきたのであるが、正式に農地を耕作する権利が得られない状態が続いた。それは全く理不尽な処遇だったのだが、法律を知らなかった私には為す術もなかった。このとき、頑強に私の農家登録を妨害したのは、すぐ近くに住む農家の人で、去年まで農業委員を務めていた人物である。しかも、私はそんなことを露程も知らなかったので、ご高齢の彼が三反田に牛糞を撒く重労働を毎年見かねて手伝ってきたのである。感謝の言葉も受け、時々野菜を分けて下さるなど、関係は良好だと信じていた。しかし、彼は実に強硬な排外主義者だという事である。とにかく集落に外部の人間を入れる事には絶対反対、入ってきた場合には徹底的に妨害する、というのが彼の信条のようだ。もちろん、それは彼に限った話ではなく、集落の、およそ6割程度が同じような意識を持っているという。

 私は農地の利用権の設定が出来ずに3年間も苦しんだ挙句、農水省に問い合わせて法律の規定の詳細を知り得た。それをもって農業委員会と掛け合ってこの春に新規就農者としての仮の資格が得られたのであるが、このことが彼にとっては面白くない。そこへ、今回の施設建設の話が持ち上がった。集落の現状を変える事には、いかなる事にも反対するというのが彼の立場であり、それはおそらく集落の半数以上、隣保に至ってはほとんど全員が反対の立場であった。専門知識のない村民が、わからんことをわからん者どうしであーだこーだ言ってるのを見かねて、私は客観的な解決方法を提案したのだが、これが彼の逆鱗に触れてしまったようである。私は直接自分と関係のない反対運動のどちらに与する事も出来ないとして、自治会長に事情を説明して協議から抜けた。まあいろいろと嫌がらせもあって、協議は物別れに終ったらしいのだが、今度は燻った非難の矛先が私の方に向いて火を噴いたという事である。

 農地の利用権設定は3年ごとに更新されるのだが、新規就農者の場合は、初回更新までの間は毎年審査を受けなければならない。最終的には自治会が農地の利用計画を承認しなければ、審査にも通らないし更新も出来ない仕組みになっている。彼はここに目をつけて、自治会が私の農地の利用計画を承認しないように働きかけるという事だ。実はこの展示即売会場は農協の敷地の中にあって、なんとその一角に農業委員会もある。つまり、農民・農協・行政はいっしょくたに癒着しているわけだ。本来、自治会というものは任意団体であり、その決定にはなんの法的拘束力もない。しかし、行政がその許認可業務の一部を自治会という任意団体に委託している実態があって、自治会が許認可権を持ってしまっているのである。ちょうど風致地区の町内会の承認が得られなければ、家の壁の色すら決められないのと同じことだ。その自治会の半数以上が「何も変えて欲しくない」と思っているのであれば、口先でいくら日本の農業を守れ救えと言ったところで、要するに「他の村でやってくれ」と言っているようなものである。

 この実態は、おそらく日本中のどの集落へ行っても同じであろう。なぜなら、農村人口の大半を占める老人の農業者は、実に手厚い保護政策に守られて、自分たちの生活にはなんの心配もないからである。この集落でも、地元の農民は、ほとんどのひとが本当になにもしないのだ。大半が米農家であるが、田植えも稲刈りもほとんどが農協か業者が来てやっている。本人は、後ろ手に手を組んでそれを見ているだけだ。それで日本の食糧生産に寄与しているわけだから、国から生活が保証され、実態はそれ以上の所得を得ている。そういう人生を送ってきた人に、時代が変わったと言っても、なんのことかわからんであろう。農業をカネで保護する時代はとっくに終っているのだ。これから農業をやる人は、徹底的に価格破壊された農産物で日本の経済レベルに対抗しなければならない。それはとてつもないことだ。農薬・肥料・機械・施設・・・あらゆる手段を駆使しないとそれだけの所得に届かない。具体的には、もうコメ農家は食っていけないので、大規模な施設園芸に賭けざるを得ない。しかし、そんなことを想像も出来ない老人たちにとっては、施設建設は環境破壊と行き過ぎたカネ儲けとしか映らない。老人たちの価値基準は護送船団横並び平等だから、独り勝ちは許さんという判断に行き着く。いくら国の方針通りだ環境基準だと言ってもダメなものはダメ、それでもやるなら徹底的に妨害する。

 私に対しても同じだ。習わしも知らずにのこのこやってきて田んぼや畑は草ぼうぼう、それを恥じるどころか自慢気に吹聴して商売に結びつけようとする。ともすれば集落の方針に反対して、若造のくせに教科書に書いてあるような正論を吐く。泊だけでなく実行して法的権原まで手に入れてしまった。こういう人間に入ってこられると困る・・・と、だいたいが展示会場で話されていた事らしい。もちろん私に面と向かっては言わないから、私としては確かめようがない。しかし、実際に田植え以降、既に農業委員会から近隣のクレームとしての忠告が3回、自治会の回覧物の不配もチラホラ、挨拶の無視、ヒソヒソ話など・・・事実上の村八分状態と思われる。まあね、自治会に所属しても得るところはないんでね、それはむしろありがたい限りなんやが、問題は農地の利用権と新規就農審査やな。ここだけは石にかじりついてでもやらんと、これまでの苦労が水の泡や。いやもう、どうしても物別れというんやったら、ホンマに山の中の一軒家で野人と化すしかないんかな・・・俺の安住の場所は、どこにあんねん・・・





posted by jakiswede at 01:24| Comment(0) | 移住計画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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