2014年09月17日

20140905 野人暮し

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 ここに住み続けるか移住するのかで真剣に悩んでいる。私にとって、もはやこの集落は安住の地ではなくなった。しかし、ここを出て行くにもカネがない。どんなところへ出て行こうと、日本の集落なるものは、どこも同じようなものであろうので、行った先でまた同じ事を繰り返すくらいなら、集落でないところに住む事を考えた方が良さそうだ。誰か、山の中の一軒家で、割と近くに田んぼのあるところを、ただでくれるような奇特なお人はおられぬか ??

 ここが何故安住の地ではなくなったか ?? しかしそれを書こうと思えば、話の具体性から場所や個人が特定され、いまなおここに住まざるを得ない私にとっては危険である。しかし一般論から類推してもらう事は出来る。

 法律問題が解決した事は既に書いた。私は今ではここで合法的に営農している。しかし問題は終らなかった。法的要件を整えるのに三年もかかった事は、すなわち私の存在を合法化されたくない暗黙の力が働いていた事を意味する。私はそれに気付かなかった。結論から言うと、この集落は、自治会の意向として、新規入植者を受け容れたくない。しかし法的根拠がないので、自治会の持つ影響力を行使して、その合法化を阻止しようしたのであり、それは今も続いている。

 農地を利用するには農業委員会の許可が必要である。農業委員会は公的な行政機関でありながら、個々の農業委員は公務員でも何でもない一般の農家であり、自治会では上位に当たる人物である事が多い。したがって、新規就農者の農地利用を認可したり、集落への入植を認めたりする際に、自治会は暗黙の許認可権を行使する事が出来る。農業委員会へ提出する書類のうち、自治会の承諾書に判を押さなければ良い。これは、自治会長が交替するまで変わらない。

 法的要件をクリアしても、新規就農者には農地を有効に利用しているかどうかの審査があるので、そこへ圧力をかければ農地の利用権の継続を不利にする事が出来る。例えば、周囲との農法の違いを理由に、農業委員会に行政指導するよう働き掛け、それに従わなければ、それを理由に圧力をかける。すなわち、今年は水害の年であったのだが、いわゆる慣行農法通りの農地の管理のしかたをしていなければ、たとえば農地の法面が侵食されても保険はおりないので、慣行農法を徹底するようにと迫る。また、病虫害が周囲へ蔓延した場合に発生する補償問題も、その費用を負担出来ないのであれば慣行農法を徹底するようにと迫る。しかし残念な事に、新規就農を目指す人たちは慣行農法によって生産された農産物に不安を持っているからこそ、自分で作りたいと思っているわけである。そのような行政指導に従わずに自己の信念を曲げなかった場合、農法の如何ではなく、行政指導に従わなかったという事実を根拠にして、農地の利用権の継続を認めないという圧力をかける。これは、そのような意向を持つ人間が世代交替するまで変わらない。

 結局のところ、農家出身でなく、集落の出身でない者が農業することは、巷で「田舎暮らし」ブームが騒がれているにも関わらず、集落の現場では時期尚早である。識者やマスコミが、農業の将来について、不安をあおり立てているだけで、集落では誰も困っていないからだ。しかしお題目を唱えて行政は動く。集落では表立って反対する事は出来ないので、とりあえず様子を見る。心の中では「ウチには来てくれるな」と思ってる。しかし入ってくる奴がいる。しばらく泳がしておいて集落に溶け込んでくれればそれで良し。しかし波風立てるような事をしたらタダでは済まさぬのである。

 なぜそうなるのか。農村を構成している住民のほとんどは高齢者である。彼等は国の手厚い保護を受けてきたので、まだ貯えがある。しかも、彼等はずいぶん楽に暮らしてきたので、経済の逼迫について実感出来ない。従って現状を全く変えられたくないと考えがちである。

 また、歴史的に為政者というものは、農民にものを考えさせないように仕向けてきた。生かさず殺さず物を言わせず飼いならしてきた。また、ほとんどの農民もそれを受け容れてきたので、老若男女を問わず主体的に物事を考える習慣がない。他方、農的生活を目指すのは非農業者であって、彼等は主体的に食の在り方について考えた結果、農的生活を志向した。つまり、一方は持てる物の使い方を知らず、他方は無い物ねだりをしている。両者は価値観が全く異なるのである。農村集落というものは運命共同体であって、共同するには互いの信頼関係が前提になる。これを常に確認するために始終親密なコミュニケーションが保たれていなければならず、往々にしてこれがプライバシーの垣根を越えて、個人の価値観にまで干渉する。そこまでいかないと互いの信頼が得られないのである。いざというときに共同出来ないのである。しかし他方は価値観にまで踏み込まれたくないと思っている。波風が立つのは時間の問題であって、集落では、そのような問題を起す人物とは共存出来ないという裁定が下されて、これを排除しようとする。

 農村集落で生きるという事は、以上のような現状を耐え忍ばなければならないという事である。切先の鈍りきったなまくら包丁を振り回してもロクな料理は出来ぬ。いっそのこと全き自由を得て思う存分やりたいものである。狭い日本とはいえ、私の個性を存分に生かせる場所はあるはずだ。



posted by jakiswede at 00:47| Comment(0) | 移住計画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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