カリーナちゃんとの旅も今日が最終日。30年近く乗り続けているこの車、外観は満身創痍の弩迫力、しかし中身はほとんど更新されて新品同様、まだまだ走り続けてくれそう。カリーナちゃんの中で過ごす夜は、不思議なほどに安らぐ。海辺に止めた車の中で聞く潮騒の音、夢の中に擬人化されたカリーナちゃんが現れて、私を遠い海の波間に連れていってくれる。それは、永遠に時を止めてくれそうなほど無機的で完璧な反復・・・大いなる安らぎ・・・そして目覚めたたびの最終日は、台風一過の抜けるような青空であった。
牛丼の特盛りかと思うたが、「こっとい」と読む。
断崖絶壁を競り合うように伸びたこの鉄路を、かつては大阪発福知山線山陰本線経由博多行き特急「まつかぜ1号」が毎日駆け抜けたと思うと、実に感慨無量。
帰途につかなければならぬ。本州最西端の道の駅で休憩したあと、下関まで南下。そして中国道に乗り、行きしなに寄り損なった赤碕へ向けてひた走る。ときおり現れる中国地方の山村風景を記憶に留め、休憩も取らずにひた走る。なぜなら、赤碕の塩谷定好写真記念館は16時に閉まるからである。
三次東から松江道を北上する。途中、疲れたので「雲南吉田」という道の駅で遅いランチを摂る。・・・セルフ・サービスのうどんのトレイにイラストマップを印刷した紙が敷いてある。・・・吉田 ?? ・・・実は「カーリー・ショッケール」のリーダーの福丸和久とその兄の故郷は吉田村といって、島根の山奥の、冬は雪に閉ざされ、夏は蝉ばかり五月蝿い、隣の村からは竹下もと総理大臣が出たくらいで、他にはなんにもないところだと聞いていた。ボロクソである。食器を返すとき、私はおばちゃんに訊ねた。「この地図にある吉田というのは、旧の吉田村の事ですか ?? 」「そうですが」「そこはここから車でどのくらいですか ?? 」「5分とかかりません」「地元の方ですか ?? 」「そうですが」「ではそこに福丸デンキという店はありますか ?? 」「ありますよ、もう閉めてはりますけど・・・」・・・Go !!
福丸兄弟がボロカスに言うてた吉田村は、こんなに静かで気品に満ちて落ち着いていて美しい村だった。旧の福丸デンキは中心部の川沿いにあって、今ではカフェに改装されていた。思いっきり宣伝しとこ・・・この村とっても良いですよ、お洒落に鄙びた旅館もあるし・・・こじんまりとした風情は越中八尾にも勝る智男と欄、空家も適度にあるし、ここに住もうかな・・・カフェのねーちゃん奇麗やし・・・いやホンマ、年に2回は確実にリンガラ・セッションも出来る事やし・・・
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そしてなんと、福丸兄弟のお母様とご対面 !! 私は敢えて日本全国に発信する。「リンガラ・ポップス」と呼ばれたコンゴの音楽を世界に伝えた大いなる日本の発進地がこの家である。私は世界を旅して、コンゴの音楽はその在り方からしてが根本的に違うと書いた。何がどう違うかを言葉で説明するのは難しい。それは生きかたであるからだ。彼等福丸兄弟の生き方は、それそのものがリンガラであった。だからこそ「カーリー・ショッケール」はあり得た。彼等がいなかったら、あのバンドは実在しなかったし、もしかしたらPapa Wembaが日本に来る事もなかったかも、極言すればピリピリがキンシャサを訪れる事もなく、コンゴの音楽が世界に発信される事も、ひょっとしたらなかったかも知れない。それほど生きかたの根幹に関わるものであるからだ。だから説明しにくい。しかしこのお母様の鋭い眼差しを見よ。これが全てを物語っている。このお母様から彼等兄弟が生まれ、その精神はこの地で育まれた。ここは、日本に於けるコンゴ音楽研究の精神の源である。
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