2014年11月19日

20141022 網干の提灯祭

KIF_3391.JPG

 網干の魚吹 (うすき) 八幡神社の秋祭、いわゆる「網干の提灯祭」に来ている。農繁期だというのに毎週遊んでていいのだろうか・・・夜だから良いのさ。姫路の白浜の宮の「灘のけんか祭」よりも知名度は低いのだが、参加する村の数とその範囲は遙かに大きく、屋台練りのバリエイションや芸能も多様である。ところが一般の人には地理的に行き難い。というのは、JRや山陽電鉄の最寄り駅からかなり遠く、しかも広い田園の真ん中にある小さな集落の神社であるので場所を特定しにくい。公共交通機関もそう頻発していないので、成り行きで車で出てしまう。ところが、この近辺は普通の農村に工場がチラホラあるだけで特に駐車場というものがないから、ついついそこらの田んぼの畔に勝手に駐めて、音のする方向へさまよい出るのである。初めてこの祭に来たときは、得意先の人に案内してもらって良い隠し場所を教えてもらったのだが、やがてそこも開発されて駐められなくなった。列をなす駐車車両は、明らかに周辺の交通を阻害していて、その片棒を担ぐのも嫌だったので、最近は電車とバスで行くようにしていた。

KIF_3395.JPG

 ところが、今年も前もって調べていたら、なんと、初めての試み、近隣の大きな工場の駐車場から巡回シャトルバスが運行しているという。これはええわってんで、地図をプリントして出発、例によって懐かしい例のコースで1時間半で難なく近くまで来た頃にはもう暗くなっていて、周りは果てしない田んぼだから、さて道が解らん。目を凝らして交差点名を確認して曲がったは良いけれど、集落の細い路地へ連れ込まれてきつねにつままれてもの世界。そこを脱出して警備に当たっている警官に訊いてみたら、暗闇を指さして「あそこだ」と言う。・・・略・・・結論から言うと、来年も同じ工場の駐車場が使われるとするならば、余部北 (よべきた) 交差点を東に入ると、道なりに集落に向かっていくが、途中南側に大きな工場の門がふたつある。その二つ目、つまり東の方の門の奥が駐車場である。なぜこれがわからなかったか、それは道には看板が出ていないからである。「臨時駐車場」とか「シャトル・バス乗り場」とか書いてあると普通思うやん。そんなのが全くないのである。道理で、その道をうろうろしている車が非常に多く、諦めてそこらの田んぼの土手に駐める人も多くみられた。ようやく探し当ててバスの隣まで行くと、暇そうなおっさんが赤いランプで導いてくれるのだが、他に車が見当たらない。当惑しつつバスの隣に駐めると、無人のバスに導かれ、乗り込んだ途端に発車した。貸切である。なんでも広報が間に合わず、本宮の今夜は私が初めての利用者だという。バスは10分ヘッドで運行される予定だが、無人で走っても意味がないので、発着点で連絡を取り合いながら、客が来たら走るようにしているという。なんちゅうこっちゃ。バスは、工場と魚吹八幡神社の御旅所広場とを結んでいる。

KIF_3400.JPG

 まあいい。祭である。着いた頃はちょうど屋台の宮入りも終って一休み、壇尻の舞台で様々な園芸が披露されているリラックス・タイムであった。境内に入ると、本田の両側と右奥にずらっと電飾を施した屋台が並んでいる。夜店もたくさん出ていて、いや祭である。その雰囲気を味わい飽きた頃、「やぁぁぁぁっ !! 」と大きな掛け声が上がって、一台の屋台が担ぎ上げられた。宮出しの始まり。網干の祭では、白浜の祭と違って、屋台を担ぎ上げるのにぎっこんばったんとシーソーをやらない。「やぁぁぁぁっ !! 」という掛け声一発ですっと上げるのである。「ヨーイヤサァァッ」の掛け声や練り合わせをするのは同じなのだが、全く異なるのは、「チョーサァァッ」という掛け声とともに、屋台を上へ放り上げる事である。これに至る一連の動作はこの祭一番の見せ場であって、宮入りの時や宮出しの時、更に要所要所に設けられた「チョウ場」という地点で、あるときはわぁぁぁぁぁぁっと走ってきて「アレワイサァノサァッ、コレワイサァノサァッ、ソリャッ !! 」という掛け声と同時に、担いでいた屋台を地面すれすれまで落とし、それをすぐさま担ぎ上げ、再び「ソリャッ !! 」の掛け声と同時に両腕を伸ばして屋台を差し上げる。太鼓の間合いを取ってその姿勢のまま「チョーサァァッ」という掛け声とともに屋台を上に放り上げ、その姿勢で受ける。これを2回やるのである。この一連の動作がふらつく事なく、「チョーサァァッ」が高ければ高いほど大きな拍手がわく。これは村の境や交差点、広場などでも行われ、あるときは槍回しをしながら、また回転しながら放り上げる事もある。このとき、絶対に屋台を地面につけない事が、屋台を地面に打ち付ける白浜とは対極的な、網干の人たちの美徳なのであろう。「ヨーイヤサァァッ、ヨーイヤサァァッ、アレワイサァノサァッ、コレワイサァノサァッ、ソリャッ !! 」ドンドコドン「ソリャッ !! 」ドンドコドン、ドンドコドンドコ「チョーサァァッ、ソリャッ !! 」ドンドコドン「ソリャッ !! 」ドンドコドン、ドンドコドンドコ「チョーサァァッ」ドーン、ドーン、ドーン・・・2回目の「チョーサァァッ」が終ると、太鼓のテンポは急に落ちて、担ぎ手たちは差し上げていた屋台を肩にうけ、すっと歩きはじめる。この動と静のコントラストがたまらん。こういう美的感覚は「灘のけんか祭」にはみられない。これこそが「網干の提灯祭」の醍醐味である。

KIF_3401.JPG

 もうひとつ「灘のけんか祭」と異なるのは、太鼓叩きが子供である事だ。「灘のけんか祭」では大人が叩くのであるが、ひとつの太鼓を四方から囲み、先頭に座る者が「ドンドコドンドコ・・・・」と拍子を取り続け、ほかの三人は拍子の頭だけを「ドーン」ととっている。そのかわり、左右交互に、空いた手を肩から上に高く伸ばす・・・まあこれは映像を調べてよく見てもらったほうが分かりやすいのだが、その動作を太鼓が鳴っている間中続けるわけだからごくろはんなこっちゃ。網干の場合、子供は太鼓を叩きながら一定の文句を唱和している。それが担ぎ手への合図にもなっていて、所作の次第を決めているようである。しかし子供である。なんどもなんども「チョーサァァッ」をやられているうちに酔ってしまい、本宮の夜ともなると、太鼓のリズムもなにもかもへろへろに失速していて呼吸が合わず、なかなか「チョーサァァッ」が上がらない屋台も見かけた。子供は祭の間中地に足を付けてはいかんのであろう、交代の時は大人が肩車して交代するのを見かけた。「網干の提灯祭」、「灘のけんか祭」と異なって激しさと情緒、芸能の豊かさを味わえる播州オススメの祭である。


posted by jakiswede at 21:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。