2015年01月10日

20150103 Motion/ G.Oban

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Motion: Motion (LP, Double D Records, DDLP4, 1979/ CD, Creole Stream Music, CSMCD-028, 2014 re-issued in Japan)

Walk On By (Bart Bacharach and Hal David)
Rainbow (George Oban)
No Man is an Island (Alex Kramer, Joan Whitney)
Basshoven  (George Oban)
I'm Coming Home (Thom Bell, Linda Creed)
Love Uprising (Eugene Record)
Let Go (George Oban)
Crazy Beat (George Oban)
You Love Me Only (Patrice Rushen)
Hawian Hi! (George Oban)

 百姓をしていると、早春から初冬まで農作業に忙殺されて、じっくり音楽など聴く暇がない。夜間にバイトなどしていてはなおさらのことである。聞いている間に寝てしまうので、レコードはまずかけられない。しかし私は痩せても枯れてもミュージシャンの端くれ。ミュージシャンの食い物は良い音楽作品である。そう信じて貯め込んでしまった音源は膨大になり、それを農閑期に整理したり観賞したりする。いわば音楽のための贅沢な長期休暇が毎年4ヶ月程度あるのが百姓生活の良いところだ。しかし貯め込んだ音源を毎日5つずつ聞いていっても1年で終らないことが分かってがく然とした。だが世界を広く旅して素晴らしい音楽に出会ってそれを集めてきたのであるから、もっと多くの人たちに知らせるべきだと思う。コレクターは音源を死蔵する事なかれ、何らかの形で衆目に晒すべし。ここに紹介していくものは、正真正銘、聴くに値する音楽であることに間違いない。これを辿ってゆけば、音楽的に心が救われるであろう。気が向いたら応援してちょうだい。
 今シーズンの農作業を終えた自分へのご褒美に、以前から興味のあった音源で入手出来ていなかったものを、良く調べて選んで買い集めることにした。禁欲生活の解禁である。その過程で、とんでもない音源が復刻されているのを見つけたので紹介したい。ひとの人生を変えてしまうような音楽作品というものは、現実に存在する。私にとってこの作品は間違いなくそのひとつである。これは、現在も活動を続けるブリティッシュ・レゲエの代表的なバンドであるAswadの創立メンバーの一人であり、ベーシストであったGeorge Obanがものした、Motionというユニットの唯一のアルバムである。1981年にLPで発表されて以来 (オリジナルLPのラベル表記はAriola Records Ltd.,1979) 、まったく簡易な別ジャケットで1985年に一度復刻されたが、それ以来市場から姿を消し、ブリティッシュ・レゲエやAswadのファンの間ですら、ほとんどその存在が知られていなかった。それが、なんと世界初のCD化、本格的な復刻が日本で実現したのである。やはり知る人は知っていて、聞く人は聞いているものだ。蛇の道はへび、進む人生裏街道、抑圧と閉塞、そこから生まれる楽園への夢、しかしイバラや草に覆われた足許は危険で空虚なケモノ道・・・

 http://creolestream.com/

 ブリティッシュ・レゲエを簡単に説明すると、第二次大戦後に英欧の植民地が解放されていく歴史の中で、旧宗主国は旧植民地からの移民を受け容れていくのだが、それは旧宗主国の社会にとって様々な問題を引き起こすことになる。イギリスでは、世界中の旧英領植民地からの移民が流入し、LondonのNotting Hill地区には旧英領カリブ海からの移民がコミュニティを持つに至った。世界中のいわゆる先進国で同じようなことが起るのだが、旧宗主国民である白人と旧植民地出身者である有色人種が対立し、しばしば衝突する。Notting Hillでは1958年に大規模な暴動が起り、その反省から、民族融和を目的とした恐らく英欧では最大規模のcarnavalが行われている。この地区を支えるコミュニティには、このようにエネルギーを音楽に転嫁していく土壌があったと思われる。そのなかにJamaica人のコミュニティもあり、それが本国Jamaicaと連動しつつも異なるレゲエを育てていくことになる。その違いははっきりと音に出ている。本国Jamaicaはいわゆる途上国として取り残され様々に押し付けられた形の矛盾が社会に蔓延り、それを打破しようとして社会運動が起り、音楽もそれとともに生まれてくるのだが、あくまで気候はカリブ海、脅威は海の向こうに間接的に存在するので、音楽の感触は緊迫しながらも、どこか牧歌的でトロピカルである。しかしロンドンは寒く、曇っていて、コンクリートに囲まれたシチュエイションにある。脅威は具体的に直接的に、地区の通りを挟んだ向こうに存在する。何かが起れば銃口は目の前で火を噴くかも知れない。その張りつめた冷たい緊張感がブリティッシュ・レゲエの背後に顕在する。本国Jamaicaで早くからスタジオでの実験の中で生み出されていたダブの手法も、緊迫したその状況をより効果的に表現するのに役立ったし、またそれとはまったく逆に、のんびりした美しいラヴァーズ・ロックなども産まれた。
 AswadはJamaica移民2世のグループで、このような状況の中で、コミュニティをベースとしたグループとして始まった。結成は1975年とされており、1976年にグループ名を冠したデビュー・アルバム、1978年に「Hulet」、1981年に「New Chapter」と、1976-80年の音源6曲を集めた「Showcase」というLPを発表している。特にGeorge Obanの在籍した初期Aswadの2枚半の録音には、厳しいルーツ・ロック的な音世界とは対照的な、ジャズやフュージョンに影響を受けたイージー・リスニング・ミュージックを追い求めたかのような実験的トラックや楽章が多く聞かれる。なかでも「Hulet」のタイトル・チューンはその白眉であって、アルバムの他の曲とは、まったく一線を画している。それまでのAswadは様々な音楽性を内包していたが、ここへ来てひとつの要素を切り離すことになる。Aswadはその後も活動を続け、1983年ごろまでは、コミュニティに根ざした硬質なレゲエを演奏し、何度か来日もしていたが、徐々にポップな路線に変化してゆき、通算21枚ものアルバムを発表して現在も活動中ときく。
 「Motion」は、オリジナルLPのラベル表記が1979年となっていること、AswadからAngus Gaye (Drummie Zeb) を初めとした「Aswad Friends」の何人かが参加していること、LPの裏ジャケにある言葉 (CDにはインナー・スリーブに収録されている) 「・・・George Obanは、2枚のAswadのアルバムに参加したあと、新しい音楽の道を求め、彼自身のアイディアを追求すべくグループを去った・・・」から判断して、1978年の「Hulet」発表後、翌年にAswadのコミュニティとの関係は維持しながらも、それとは別に録音され、アルバムが完成して発売にこぎ着けた1981年までに脱退したことになる。音の感触は、ルーツ・ロック・レゲエを基礎にしながらも、それとはまったく異なるフュージョン・ミュージックで、イージー・リスニングに近い。1曲目にバート・バカラックの名曲を持ってくるところにその意思が見える。しかし聞き込むうちに、なんのためのイージー・リスニング・ミュージックなのか、肥えた白豚のための慰みなのか、何故この音を求めたのかがはっきりと解ってくる。緊張に押しつぶされそうになりながらも、必死で気が変にならずに済むように、自分自身を守るために、藁をも掴む思いで、楽園を夢見る。その夢の表現こそが究極のイージー・リスニング・ミュージックたり得る。地獄を知らぬ者に天国の見えるはずがない。ダブの手法にしても、往々にしてリズム・ハーモニー・メロディという音楽の融和を完全に壊してしまうことによって、まるで砲撃で手足をふっ飛ばされた人がそれでも立ち上がり歩き出そうとするかのような状況の厳しさを暗示させるものだが、その手法でさえここではきらめく流れ星のように美しく配置されている。まったく奇跡としか言いようがない。音楽は楽園である、ということをなにより音を以て教えてくれた作品、だからこそこの作品は私にとって生涯忘れ得ぬものになった。もとはLPを所有していた友達に頼んでカセットにコピーされたものを聴いていた。そのカセットは、生きることの困難であった若き日の私を精神的に支えた。1989年と1991年に当時のザイールを旅したときにも持っていった。さらに2010年の第三の旅にもmp3に落として携行した。これは苦難と悦楽の交錯する三つの旅の最中でも、泥沼の中にめげてしまいそうな私をすがすがしく支えてくれた命の恩人である。光あるうちに光を浴びて下さい。





 
posted by jakiswede at 00:01| Comment(0) | 変態的音楽遍歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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