2015年01月11日

20150110 Jadranka Stojaković

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Jadranka Stojaković: Svitanje (LP, Diskoton, LP-8018, 1981, Yugoslavia)


Što Te Nema

Osjećam Da Neko Dolazi

Ako Me Ikada Nađeš

O Tom Potom


Predosjećanje

Kad Nisi Znao Ništa Bolje

Davor

Čarobnjaci


 https://www.youtube.com/watch?v=X1hG3Yy-pwk


 今回買い集めたもののうち、最も欲しかったもの、最も入手の難しかったレコードである。旧ユーゴスラヴィア・・・ティトー率いるパルティザンによってドイツの占領からソ連の支援を受けずに独立し、独自の社会主義路線と東西両側に対して非同盟という外交を貫き、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ1つの国家」は奇跡的な平和を永きわたって維持した。もちろんタブーがなかったとはいえまい。その後、ユーゴスラヴィアは長い内戦に突入し「6つの共和国」は全て独立した。スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア (コソボ自治州を含む) ・・・ティトーが夢見た理想的な連邦国家は彼一代で終った。1960年生まれの私にとって、ティトー大統領という英雄の名と、その後のユーゴスラヴィアが辿った激動の歴史は、重苦しくやるせないものだった。アドリア海の対岸で起ったこの激動を、イタリア人たちはどんな気持で見守ったのだろうか。結局のところ、理想主義は一過性の発熱のようなもので長続きせず、熱が冷めると人間というものは保身に憂き身をやつし、抗い難い濁流となって紛争へ流れ落ちてしまう。底を打った時に、多くの人は目が覚めて、自分たちがしてしまったことのおぞましさに嫌悪する。そしてそこから這い上がろうとして、再び理想を求めるようになる。歴史はそんなことの繰り返しだ。

 同じことは個人に対しても起る。考え方の違い、住んでいる地域の違い、外見の違い・・・それらによって人は人を排除したり憎んだり蔑んだり攻撃したりする。あるいは排除されまいとして長いものに巻かれていく。排除された者は生死の狭間を彷徨う。辛くも命ばかりは助かっても、そこから先は全く一人で生きていかなくてはならない。全て自己判断、自己責任、感覚を研ぎ澄まし、人にも制度にも頼らず、世間の不条理と闘い続けなければ生きては行けない。私自身も子供の時からうんざりするほど経験した。友達同士で、大人と子供で、親子で・・・帰る家などない、そこは私の家ではない、なにものにも侵されない自分を守るために、壁を高く厚くし、爪と牙を研ぐ毎日。息絶えた者への思い、喪失感、ひとりの人間がいなくなると、その人を中心に出来上がっていたネットワークが、一人の力では到底出来ないほどの大きな可能性が失われ、破壊され、それは復元することが出来なくなる。その可能性は、もしかしたら人類を救うほどのものだったかもしれない。しかし、やはり抗い難い濁流によって跡形なく破壊される運命にあったのかもしれない。かけがえのないものが無数に破壊される。歴史はそんなことの繰り返しだ。

 同じことは民族に対しても起る。バレスティナ人とユダヤ人は何千年も戦争している。無数の愛も生まれ、引き裂かれている。コンゴは、アフガンは、シリアは、クルドは、トルコは、チベットは、東トルキスタンは、北朝鮮は、いったいどないなっとんねん ?? 私も内戦直前のキンシャサで市街戦を突破した経験がある。コントロールが効かなくなった社会というものは・・・恐怖しか存在しない。ライフルの音はおもちゃの機関銃のように乾いていて軽い。ラタタタタタ・・・突然、通行人がものすごい血しぶきを上げて転がりながら死んでいく。どこから、誰が狙ってるかわからない恐怖・・・中国は、日本は、韓国は・・・もうええかげんにせいや。わかるやろ、憎悪を繰り返していったら民族浄化にまで行ってしまう。よう見たら解るやろ、内政が行き詰まってきたら国民の不満をそらすために戦争してきたのが人類の歴史や。

 それは個人にもあてはまる。自分の限界に負けそうになったら人を攻撃する。世界は不条理と矛盾に満ちあふれてる。それは無数にあるのに、なぜあんたが彼等を攻撃する ?? 何故、あんたというかけがえのない人間が、世界中に無数にある矛盾のなかから、取り立てて彼等のことを攻撃せねばならないのか、答えはあんた自身がわかってるはずや。しかし社会が住みにくくなっていく中で、誰かをスケープ・ゴートに仕立てた方が社会がまとまりやすい。だからみんなそうする。そっちへ流れる。見て見ぬふりを続けていると無神経になる。それがあたりまえになる。しかし、その贖罪の山羊は生贄として死んでしまうんやで。やりたいこともあったやろ、幸せにもなりたかったやろに、不本意なことに、むりやり殺される。痛いやろな・・・だから、もうこんなことやめよ。

 「Što Te Nema」というのは、ボスニア語で「何故あなたはここに居ないのか ?? 」という意味である。ティトー大統領が亡くなったのは1980年、彼の事を指しているとは言わない。誰にも、そういうべき人があるだろう。なぜ、私は政治的に不安定な国の音楽に引かれるのであろうか ?? 追いつめられ、退路を断たれ、打ちのめされて、路上に転がる。しかし、それでもあなたを信じて微笑みかける。その気持が歌に出ているからだろう。ちょうど、クロアティアからこのレコードを送ってくれた、丁寧な梱包と美しい字を書く見知らぬ人のように・・・ぼちぼちキムチを漬ける季節や。俺のキムチは鰯とアミエビと塩以外は全部自分で栽培したものを使って仕込む。これをまた自分の田んぼで採れた米でご飯炊いて食べる。うまいで。今から楽しみや。


 https://www.youtube.com/watch?v=8Pk7w0wknII


posted by jakiswede at 03:14| Comment(0) | 変態的音楽遍歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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