
Waed Bouhassoun: L'âme Du Luth (CD, Buda Musique, Musique Du Monde, 3792908, 2014, France)
Angoisse
Ana Man Ahwa
Loin De Ma Patrie
Ya Man
Deception
A Damas
Fatigue
Basmeh
Je Passe
Abadan
Je Crois En La Religion De L'amour
http://www.waedbouhassoun.com
http://www.budamusique.com/product.php?id_product=637
http://www.ahora-tyo.com/detail/item.php?iid=14349
前回に引き続き、最終的にジャケット写真の胸元に惹かれて購入したことを認めます。タイトルは「L'âme Du Luth (リュートの魂) 」とあるが、シリアの女性歌手によるÓud (Ûd ウード) のソロ弾き歌いである。全曲彼女自身の作曲であることが、このアルバム最大の特徴といえるだろう。なぜならアラブ世界の伝統音楽にあって、オリジナル曲で作品が発表されたという例は非常に珍しく、ましてや女性単独でのリーダー・アルバムはなおさらのことだからだ。自分自身の曲を自分で歌った伝統音楽 (とはいえないのかも知れないが) であるからこそ、伝統音楽でありながらまっすぐに心に突き刺さってくる。ウードの持つ低く豊かな音と彼女の繊細で深い歌声が、心に染み渡る良い作品だ。なによりソロであることが、このアルバムの静寂性を徹底させている。通常であれば、前奏で音世界が提示されるとテーマを重奏的に膨らませていくものだが、そのような展開はなく、ひたすらテーマについて掘り下げていくような演奏なのである。全曲そのような静謐な音世界の中に張りつめた緊張を帯びた内省的な曲調でありながら、演奏の細部、声の彩に至るまで、多彩な変化に富んでいて、全く飽きさせることがない。
Waed Bouhassoun・・・シリア出身で、現在はフランスを拠点にしている。音楽愛好家の家庭に生まれ、7歳の時に父から子供用のウードを贈られたのがきっかけ。全曲伴奏はオリジナルだが、歌はペルシャやシリアの古典詩や現代詩に彼女自身が曲をつけたもので、報われぬ恋に気が狂って砂漠に死んだ7世紀の伝説の詩人Qays Ibn Al-Mulawwahの物語や、12世紀の神秘主義哲学者Sohrawardiの言葉、13世紀アラブ・アンダルースのスーフィー詩人Ibn Arabiの詩、1930年生まれのシリア出身で現代アラブ世界を代表する詩人Adonis (Ali Ahmad Said Esber) の詩編などが扱われている。ウードのソロも2 曲ある。本作より前に、「A Voice for Love」というアルバムと、Jordi SavallのHesperion XXと共演したものが紹介されている。前者は、何人かの伴奏者が参加してはいるものの控えめなサポートで、ほとんどの曲はソロで演奏しており、全体としてはシンプルな仕上がりになっている。後者は、逆にオーケストラの一員としての共演であり、彼女の声とウードがフィーチャーされた曲が数曲ある。
ウードという楽器・・・起源は古代突厥帝国にまで遡る。突厥碑文に「コムズ」として現れる涙滴型で長棹の撥弦楽器がそれであるという説があり、非常に大雑把にいうと、中央アジアを源に、西に伝わったものがリュート、南に伝わったものがシタール、東に伝わったものが琵琶となる。それぞれの楽器は、伝わっていく過程で中継地に多くの子孫を残しており、そのひとつが西アジアから北アフリカに残るウードという楽器である。中央アジアにあった当初のウードにはフレットがあったが、13世紀頃に消失した。これはペルシャ・アラブ・トルコ系の音楽に於ける「マカーム」(広義な意味での音階の体系) で1/4音などの微分音階を弾き分ける必要に対応したものという。一方、西に伝わったテオルボやアーチリュートは絃やフレットの数や機能が複雑化する方に発展し、南へ渡ったシタールもまた絃やフレットの数や共鳴装置などが複雑化したが、日本に伝わった琵琶は全く逆に絃数フレット数ともに極端に切り詰められた。ちなみに「リュート」の語源はアラビア語の「al-ʿūd」であり、英語の「木」(wood) の語源でもある。ウードという楽器、実物の音色を聴くと良く解ることだが、ギターよりも遙かに音が小さくくぐもっていて、扱いが難しく現代的で効率的な楽器とはいえないが、その名の通り、木の音の深みが感じられて、地味ながら好きな楽器である。
シリア・・・内戦が始まる前、ましてや「イスラム国」が擡頭する前のシリアは、「地球の歩き方」があるほど安全に観光出来る国だった。宝石のつまったおもちゃ箱をぶちまけたようだと喩えられるほど、ダマスクスの町は活気に満ちていて魅力的だったはずだ。トルコからシリアへ、レバノンとヨルダンへも、特に問題のない観光ルートだったのだが、いまやそんなことは望みうべくもない。もちろん圧政に苦しんだ人たちもあったと思う。しかし内戦のために状況は更に悪化している。困難なエリアは、恐らく拡大するであろう。シリアの人々の暮しはどうなっていくのだろうかと思う。イスラムを騙って人を苦しめる勢力は、世界中の矛盾の受け皿となって、これからも拡大するだろう。周辺国への波及も時間の問題と思われる。新日国で最も旅行しやすくて美しいトルコも例外ではない。あらゆる宗教の本質は、慈悲と寛容であるはずなのだが、世界は今、排他と分断に傾いているようだ。この傾向は、宗教であれ、イデオロギーであれ、その求める方向性と真っ向から対立する。私は「神の実在」を信じないけれども、神があるとすれば、地球上の全ての生命の上にあって、それらを生かすものであろう。同時に私は「表現の自由」も信じないけれども、それがあるとすれば、自由によって人類は生かされる筈だ。人が人として尊重するものを、別の人が辱めれば、そこに対立が産まれるのは当然であり、それを「表現の自由」の名の許に守ろうと主張することには違和感を感じる。逆に、そこに連帯することが価値であるとアピールすることは、却って対立を煽ることになるだろう。価値観の違いを認めず、善悪二元論に民衆を煽動することは、なお一層の悲劇を生む。中東の歴史は重層的な混沌の歴史である。そこへ現代の武器や技術や情報力を以て対立を煽ることは、あまりにも危険が大き過ぎる。だから百歩譲って、私は「Je suis Charlie.」という言葉を「être」ではなく「suivre」の意味で捉えたい。私はテロリズムにもCharlieにも賛成出来ない。そればかりか、このような誤解を生むような表現が敢えて選ばれたことに危機感すら覚える。こんなに美しい音楽の生まれた国をこれ以上こわさんといて。
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