僕は「Je suis Charlie」という言葉の動詞「suis (英語のbe動詞) 」を「étre」の一人称単数現在ではなく、全く同形に活用する「suivre (従う・ついていくetc) 」の一人称単数現在ではないかと思い、フランス在住の複数の友人に確かめてみたところ、このスローガンが流布する前に、一時的に「Nous sommes Charlies」という言葉もあったので、あきらかに英語のbe動詞だという。フランス人は言葉遊びが好きだから、それにsuivreの意味を持たせたとしても不思議はないと・・・僕は率直に、多くの人が「私はシャルリだ」と宣言していることに違和感を覚える、というと、フランスでの空気としては、まさに「テロとの闘い」に高揚している、つまり、私を殺してもシャルリはフランス中に無数にいて殺し尽くすことなど出来ないぞ、という意思表示であって全くその通りだという。話をしていて、「私はシャルリだ」と言いきれないところが日本人らしいが、今は対決の時だというのだ。宗教批判が不適切かどうかということは、彼等にとって問題ではないらしい。というのは、私が「私はシャルリだ」と宣言していることに違和感を覚えるといったのは、宗教批判は信仰の自由を侵しているかも知れないのに、信者の崇拝の対象を風刺することまで表現の自由だとすることには違和感を覚えるからだと言うと、答えは、ならばそこから議論すれば良いではないか、という反応で一致していた。私は言葉を返すことが出来なかった。重ねて、多くの人が「私はシャルリだ」と宣言したとしたら、それは不適切な宗教批判に賛同する側に立つというメッセージを対外的に送ることになると思うが、それについてはどう思うかと訊いたところ、そのとおりだ、それでいいじゃないかという返事だったので、更に言葉を失った。フランス在住の友人は、日本人2人、移民2人(1人はムスリマ)、いずれも音楽を通しての友であるので、音楽の力で融和が図られたら良いのにねとフォロウしたのだが、だからさ、それで出来ないから対決せざるを得んのでしょうよって・・・確かにね、フランスはそういう長い歴史を経て今に至るわけだけど、ちょっと置き忘れてる物があるんちゃうかと思うてね、それをはっきり指摘できひんねんけどね・・・
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