2015年02月05日

20150205 I'm not ABE

 正確には覚えていないのだが、1999年に放送されたNHKスペシャルの「世紀を越えて」というシリーズのひとつに「世界は誰が守るのか」という番組があった。それは世界の紛争を概略的に取り上げて60分に編集したもので、そのなかでルワンダとコンゴ民主共和国も取り上げられた。当時、旧ザイール共和国のモブツ政権がクーデターで倒され、混沌の中でコンゴ民主共和国 (以下「コンゴ」と略する) が誕生した。一方、東の辺境ではルワンダの内戦が終結していたが、政権を握ったツチ人が巨大ツチ帝国の構想をもって、中央権力の行き届かないコンゴの東半分に侵攻し、南からはアンゴラがコンゴの鉱物資源を蹂躙しようとして、コンゴは国家存亡の危機に直面、紛争は周辺国を巻き込んでアフリカ世界大戦の様相を呈していた。一連の紛争での死者は、推計方法にもよるが、10年で500万人にも上るといわれており、これも推計方法にもよるが、何千年も続くユダヤ人とパレスチナ人の紛争の犠牲者をも遙かに上回ったといわれている。当時、世界最大規模の戦争がアフリカで起っていたにもかかわらず国際社会はこれをほぼ黙殺した。ちなみに2015年の秋に予定されているコンゴの大統領選挙で、三選を禁じた憲法を改正して続投を狙うカビラ大統領に対する反政府運動が始まっており、その混乱に乗じる形で東と南からの圧力が顕在化していることが報道された。これは、彼の父が倒したモブツ大統領の引き際と全く同じ構図だ。危機は再び惰眠から目覚めようとしている。コンゴを第二の故郷と考える私は、なんとか当時の実態を伝えようと外電を読み漁って下のようなものをまとめていた。

 「ザイールからコンゴへ」http://jakiswede.com/1congo/18notes/181RDC1998.html

 これを読んだNHKの知人経由で、番組の制作会社から現地取材のコーディネイトの依頼を受けとったのは、たしか1998年の事だった。そのとき、ルワンダの内戦の取材を終えたという後藤健二氏を紹介された記憶がある。私はプロのジャーナリストではなく、単なる音楽バカであるのでコーディネイトの話は断ったが、NHKに首都キンシャサの詳細な地図と、現地語であるリンガラ語について私がまとめたもの、その他コンゴに関連する資料を提供して取材に協力した。番組は完成して1999年に放映された。以後、私は折ある毎に後藤健二氏の報道に触れることがあった。
 「日本の悪夢」は、確かに始まった。さまざまな憶測が流れているが、日本人が囚われたのは、英米人は既に何人も殺したので、宣伝効果を考えて次の標的にされただけのことだ。日本人なら誰でも良かったのだが、後藤健二さんが優れたジャーナリストであっただけに、彼等にとっては殺す価値も高かった。彼等の期待通り、後藤さんを救出しようという世界的な運動は盛り上がった。世界は「イスラム国」に「情」を求めていたが、なぜ世界に恨みを持つ彼等が、その「情」に応えなければならないのかがわかっていなかった。交渉の余地などない。服従するか死か、服従しても、利用価値がなくなれば殺される。殺した方が宣伝になるなら尚更だ。後藤さんがそれを全く知らなかった筈はない。私の認識では、彼はバランス感覚をわきまえた一流のジャーナリストであり、紛争地域に於ける活動に伴う危険を熟知しており、慎重なネゴシエイションの達人であったからだ。しかし、彼は心が優し過ぎた。冷静な報道というより、人の心に触れる柔らかさがあった。それでこその後藤さんであった。しかし、そこにつけ入られた。話せば解ると思ったのかも知れないし、かつて「イスラム国」に接触した人の話を信じ、彼等が急速に変貌したことを知らなかったとしか考えられない。危険は承知していたが、まさか自分が殺されるとは思っていなかったに違いない。
 湯川さんや後藤さんが、何故そこへ行っていたのか、ということに関して、様々な憶測が乱れ飛んでいる。しかし、トルコ航空でイスタンブールからトルコの東部へ、そしてシリア北部に入ることは極めて簡単だ。不安定な地域に絡む国境付近では、様々な人の往来があって、自称他称を問わず、ガイドや通訳を申し出る人がうようよいる。カネになるからだ。しかるべき報酬を払えば潜入取材は可能であり、実際に頻繁に行われている。湯川さんの一度目の渡航は、自由シリア軍系の武装勢力と同行する形で行われ、彼は多くの事実を見聞して無事に日本に戻った。彼のブログを読んでみると、その過程で拘束され、後藤さんに会い、彼に助け出された後は彼とともに行動していたようだ。後藤さんは通常の取材活動の途中だったと思われる。彼等は現地のガイドの意見に従い、慎重に「イスラム国」の支配地域を避けて行動したから無事に戻ることが出来た。刻々と変わる現地の事情は、ジャーナリストよりも現地ガイドが一番良く知っている。それだけに、本当に信頼出来るガイドを見つけることが、渡航の成否の鍵を握る。
 湯川さんの二度目の渡航はフリー・ハンドであった。亡くなった方のことを批判することは申し訳ないのだが、彼にガイドを見分ける「目」があったとは考え難い。彼が行方不明になっていることを、日本政府は把握していたという。しかし、その情報がどこからも漏れてこなかったのは不自然だ。とすれば、彼はトルコ国境で網を張る「イスラム国」のガイドに扮した工作員とともに直接「イスラム国」の支配地域に入って拘束されたと考えられる。というのは、カネになるガイドの世界にもシンジケートがあり、それぞれの勢力争いがある。仮に「イスラム国」直轄のガイドのグループがあれば、その情報は他者に漏れ難い。彼の渡航は、「イスラム国」に対する何らかの工作の任務を帯びていたという情報もあるが、これは全く信用出来ない。外国語をほとんど喋ることの出来ない彼に、どんな工作が出来るだろうか。もしそれが本当だとすれば、依頼者は人選を誤ったとしか考えられない。
 彼を救出するために中田氏と常岡氏が「イスラム国」に入ったが、シリア政府軍の空爆が激しくなって行き違いになったということが本人の口から語られている。話の全体からは、湯川さんを拘束しているグループではなく、別の比較的穏健なグループと接触して戻ってきたという印象だ。この時期から原油価格が暴落し、「イスラム国」内部での資金調達を巡って、過激派の勢いが増したのではないか。中田氏と常岡氏の話から受ける「イスラム国」の印象は、アサド政権と対立する民主化運動の一派で、イスラムの理想の国家形態を模索する武装グループである、という半ば思想的に一貫した主張を持つものであったし、出入りは自由で、実にウェルカムな雰囲気だったと述懐していることからして、現在の「イスラム国」の様子とはずいぶん異なる。つまり、彼等の黎明期のイメージで現在の彼等を語っているのではないか。かつてはそうであったのかも知れないが、この時期から、その性質が大きく過激化していったのではないか。彼等が交渉可能と言っていることにはそんな背景があると思う。
 その後、再び湯川さんの救出を目指して中田氏と常岡氏が「イスラム国」に渡航しようとしたが、その直前に公安に家宅捜索され、関係資料を押収された。これを、国家による陰謀と見る考え方があるが、私には検証する術がない。その考え方によると、政府は湯川さんの拘束を知っていたのでその救出策を練っていたが、中田氏と常岡氏が、独自に「イスラム国」と接触して交渉を進めてしまうと、「テロとの闘い」の一翼を担う政府の方針とのズレが生じる。そのため彼等の動きを封じるために、初めて「私戦予備および陰謀罪」を適用し、かわりに交渉役として白羽の矢を立てられたのが後藤さんというわけだ。実際の渡航プランを練ったのはNHKだという。何故そのような捨て身の策が採られたかというと、不用意な妥協を経て「イスラム国」とパイプが出来てしまうと、それを通じて日本との間でテロリストの行き来が出来るかも知れないので、その管理は国の手に一元化しておきたいとの意向が働いたからだという。それは「テロとの闘い」であり、日本の政策であり、すなわちアメリカの意向でもあるからだ・・・と、こうなると、もう一般国民の検証出来ることではない。どこまでウラ情報に通じれば正しい認識が得られるのか、いまは農閑期だから良いけれども、これが農繁期に発生していたらお手上げだ。
 さて、ブログその他の言及を見る限り、後藤さんの次の渡航は短期決戦であった。全行程で一週間、「イスラム国」支配地域滞在は2泊3日である。それまで慎重に避けてきていた「イスラム国」支配地域に初めて入るにしてはあまりにも短く、「イスラム国」内部での行動も、全て段取りが出来ていたと考えるのが自然だ。それを準備したのは日本政府に操られたNHKだというが、それはわからない。少なくとも、彼はお膳立てに乗った。自由シリア軍の検問所までは、彼と親しい互いに信頼関係のある熟練したガイドの手引きがあったが、そこから先は「危険過ぎる」として拒否された。後藤さんは「イスラム国」の支配地域へ別のガイドとともに消え、後日トルコにいる友人に「裏切られた」と連絡を入れたのを最後に行方が解らなくなった。これが事実なら、お膳立ては成功率の高いものと彼は認識していて、「イスラム国」の対応は全く想定外だったことになる。つまり、おびきよせられたと考えるのが最も自然だ。このような短期決戦には多額の費用がかかる。一介のジャーナリストが自力で手配出来るものではない。これはなんらかの組織的なウラがあって初めて実行に移されたことは確かだ。しかしそれが誰なのかは解らない。だから、少なくとも後藤さんに関しては、いわゆる「自己責任」論はあたらない。いまや「イスラム国」は、中東情勢に詳しい世界中の専門家にも予測出来ないほど急激に、過激になった。後藤さん自身もそれに気がつかなかったし、彼を派遣したとされる誰かも、そこまで認識していなかった。日本政府も交渉の余地があると考えていたが、何ヶ月も具体的な対策を打つことが出来なかった。全ては「裏切られた」のである。
 オレンジ色の服を着せられた後藤さんの目は、不当にも拘束され、全ての言葉が空しく消え、その意思も功績も、イスラムに対する深い愛情も報いられることなく、ただ彼等の宣伝のためだけに、自分は殺されるのだという、言いようのない哀しみと怒りとやるせなさを、ぐっと噛み殺したような目だった。その姿は、日本人の最期として誇らしく思う。そんな感情を持った私自身を意外に思った。「悪夢が始まる」というジョンの言葉と同時に彼は目を閉じた。その表情は「観念」そのものであった。私は一生忘れないであろう。ナイフが喉に当てられた瞬間、画面は暗転し、その後静止画が映し出されたのは、殺害そのものが別に行われたことを示している。他の処刑の場面を見て感じられたのは、自分の頭が切り落とされるというのに、皆意外に冷静だったことだ。つまり、あのナイフでは頚動脈などは切れても、頚骨までは切断出来ない。それにはもっと大きなナタかノコギリが必要である。一連のビデオは、複数のリハーサルのうちのひとつと考えるのが自然で、それらは宣伝効果を考慮して選ばれ、編集され、効果をつけられたものだ。テロリストであるから、恐怖を呼び覚ますことならなんでもやる。それによって他人を自分たちに従わせるためだ。そこには敵も味方もない。自分たちと他者があるのみだ。もはや、彼等は内戦の当事者ではなく、単なる皆殺し集団である。それがいつまでもつか、まわりがいつまでもつか、残念だがそこに落ち着くまで悲劇は繰り返されるだろう。「在庫」は未だあるようだし。
 シリアの内戦は、当初は民主化要求運動であった。それが全土に広がるにつれて、各地の有力者に乗っ取られていったと思われる。というのは、私がコンゴで見聞したり、世界史を繙いたりして概略理解していることは、独裁政権というものは、要するに国内に反乱分子が多数存在していて、それを力で封じ込めているだけだからである。封じ込められた側は、生き残るためにとりあえず鳴りを潜めてはいるが、独裁権力が動揺すれば必ず反撃に出る。場合によっては政権を倒す。倒されまいと真剣に考える政権であれば、徹底した管理を敷くであろう。国民をばらばらにし、骨抜きにしておいて、適当な娯楽と、苦痛のない程度の生活手段を、周到に継続的に調えてさえ置けば、政権の安全度は高まる。独裁政権という書き方をしたが、これは世界中の為政者に共通する。当然、日本もアメリカも同じである。従ってシリアも同じと考えて良い。
 シリアとイラクには政権が存在するが、かつてとは比べ物にならないほど弱体化している。権力の空白域では、地元の有力者が割拠する。現在、所謂「イスラム国」が実効支配している領域では、「イスラム国」による独裁が進んでいると思われるが、支配された地域の勢力は、自分たちが生き残るために彼等に忠誠を誓ったまでであって、完全な一枚岩ではないと見て良い。すなわち、各地各勢力は、自分の得意分野を巧妙に利用して延命を図り、独裁者はそれを利用し得る限り泳がせる。密輸など資金の調達に長けた勢力にはその仕事をさせ、科学者には兵器の製造と研究の場を与え、クリエイティブな仕事をしてきた者には「国策」ビデオの制作をさせる。旧体制の役人には社会的インフラを整備させ、教育や福祉などの行政サービスをそのまま維持させている筈だ。農民には農業を続けさせ、これらが渾然一体となり、最寄の有力者同士が連絡、或いはその上層部に「イスラム国」のエリートが君臨する形で全体を統治していると思われる。内部には、覇権争いや、民族による対立、イデオロギーの違いもある筈だ。だから、極めて過激なテロリスト集団もあれば、イスラムの理想を掲げて国造りをしている集団もあり、それらは緩やかな連合体としての「イスラム国」に利用される形で併存している。しかも、これらの現象は、恐らくここ一、二年の間に、急速に形になってきたのであろう。その時々に様々な側面が国際社会の目に触れる。そして2014年の秋ごろからの数ヶ月で原油相場が急落し、密輸を主な資金源としてきた彼等の財政が緊迫した。苦境に立つと過激に走るのは人の常である。それまで穏健なグループも残っていたのであろうが、ここへきて急速に過激な恐怖政治が幅を利かせる形に変わってきたのではないか。「イスラム国」に接触し、そこから戻ってきた人たちは、おそらく恐怖政治がここまで徹底する以前、または過激なグループに遭遇することなく、イスラムの理想に共感出来る面に触れて戻ってきた可能性が高い。
 さて人類というものは、どんなに富める者でも、どんなに貧しい者でも、地下資源も含めて地球上の資源を消費することによってしか生き存えることが出来ない。資源は有限だが、人類は膨張し続けている。「ノアの方舟」というものがあるとすれば、そこに資源の獲得競争に勝ち残った人類の幾許かが乗船しているであろうが、その中に自分がいる可能性は低い。その可能性を少しでも上げようと思えば、資源を有利に確保する以外に道はない。しかし、勝者があれば、必ずその何倍もの敗者がある。現状として、人類のエネルギー源は専ら化石燃料であり、その大部分を中東に依存している。中東地域というものは、部族社会の影響力が堅固に残る地域であって、そこから利益を得ようとすると、その勢力に何らかの形で取り入ることが不可欠である。その利権を巡って大国の思惑が錯綜する。アメリカとEUはほぼ手を組み、ロシアはEUや中国とバランスを取りながら独自のルートを開拓し、ちょっと遅れたが、中国はこれらの目の届かないところで利権の拡張と影響力の強化に邁進する。世界の陣取りゲームのプレイヤーにとっては、独裁政権の存在は、実は便利でありがたいのだ。
 帝国主義の時代が終って植民地が解放され、その国々が独立した後も、旧宗主国たちが影響力を維持し得るために、巧妙に仕組まれた構造が独裁政権であって、独裁政権は旧宗主国のために、群雄割拠する国内の部族勢力を鎮圧し、旧宗主国に利権を売り渡す見返りに莫大な私腹を肥やす。この植民地時代の主従関係は、世界にたった7つか8つしかない「先進国」と、その他200近い「途上国」の関係に引き継がれ、世界の富の偏在を固定化してきた。この富の偏在の上に先進国の生活は構築され、国民の多くは善悪の判断を保留して、あるいはそうとは知らずにその恩恵にあずかった。だから社会全体をそれ以前に後戻りさせることは非常に難しく、先進国は、自国の民主主義は促進するけれども、途上国での民主主義の伸長は制限しようとする。また、富の偏在は先進国の国内でも貧富の差を広げていて、深刻な社会問題を引き起こす。こうして出来た世界中の貧困層や、制度的差別の犠牲になった人たちは、善悪の判断ではなく、自分が生き延びるために、ある者はテロリズムに走る。イデオロギーに洗脳されて行動する者も一部にはあるだろうが、大半は生活手段としてテロリスト集団に所属して生活の糧を得る。「テロとの闘い」が、現存するテロリストとの闘いで済むのであれば、勝敗はいずれつくであろう。しかしテロリズムは貧富の格差が解消しない限り生まれて育ち、新たなテロリストを生み出して世に蔓延る。市場原理によって、社会の経済発展の速度が加速度的に増すにつれ、取り残される人たちとの格差は埋めがたいものになるので、経済発展がテロリズムを生むことになる。これは市場原理に則った社会の宿命であって、徹底的な富の再分配が行われない限り解消に向かうことはない。しかし、現在既存の富の再分配だけでは問題は解決しない。なぜなら、これらの富はほとんど化石燃料によって作られたものであるので、動力によって得られるエネルギーを前提に社会が回っている限り、その恩恵にあずかることの出来ない人たちとの格差が解消しないからである。
 唯一の完全な解決方法は、全人類が抜けがけなしで悉く地球上から消えることだ。その前に、人類が作った全ての人工物を自然に戻してからではあるが・・・しかしそんなことは不可能だ。人間が採り出した自然界に存在しない物質のひとつであるプルトニウムひとつをとっただけでも、放射能の影響が半減するまでに8万年 (この場合数字を口にするのもナンセンスだが) もかかるからである。では原始時代に戻れるか・・・せめて産業革命前夜に戻すか・・・あるいは第二次世界大戦直後にしておくか・・・「テロとの闘い」を掲げるのであれば、テロリズムが起きない社会へ少しでも近づけるための哲学が必要である。自分たちの生活の水準は下げずに温存しておいて、貧困層にはその境遇に甘んじろと言っても無理だ。世界中の富を世界の人口で割って、一人当たりの年間可処分所得を割り出し、現在の生活水準をそこへ軟着陸させるための勇気を、全人類が共有出来るかが問われている。それを行動で示し得ない限り「テロとの闘い」を掲げることはできない。
 こんな話を真に受けて自給生活を始めた者こそ深刻な貧困に陥ることは、私の生活の現状を見れば明らかである。しかし、全人類が自給生活に少しずつシフトしていけば購買量が減り、あまり金を使わなくなる。これが世界規模で行われれば、資本主義は深刻な打撃を被るであろう。それが私の考える革命だ。しかし当然、世界がそのように動く筈はない。自分たちの生活の水準を温存するために、貧困層を虐げる構造は変わらない。世界は、より一層残忍な殺戮に明け暮れるだろう。テロリズムによる世界転覆は現実的だからだ。なぜならテロリスト予備軍は世界中に潜伏しているし、テロリストを殺してもテロリズムはなくならないからである。世界の覇権争いの攻防の過程で、強大な資金力と軍事力に対抗するために考え出された方法がテロリズムだが、テロリズムにはインフラの整備はほとんど要らず、目的地までの交通費と爆薬、正確な情報さえあれば、戦車も基地も、戦闘機や空母も要らないからだ。費用対効果は絶大なものがある。おまけにテロリズムに走るのは貧乏人だけではなく、社会に恨みを持っていたり、テロリズムを利用して権力を得ようと諮るパトロンも世界中にいる。おまけに彼等は、死んで天国へ行くものだと信じ込んでいる。条件さえ揃えば、テロリズムは雑草のように芽吹き、瞬く間に畑を占領する。農夫は打ちのめされ、生きていれば畑を放棄して難民キャンプへ逃れるしかない。
 テロリズムの基本は、自分たちが伸長しようとする地域を不安定化させてつけ入る糸口を掴み、そこから個別的なテロを積み重ねていって巧妙に拡大し、支配地域の既存勢力を、老若男女を問わず親族の女性も子供も含めて徹底的に根絶やしにすることだ。そのためには、むしろ部族や集落単位の結束を抱き込んでしまうのが効果的である。「イスラム国」は、どこをどう突けば既存政権の体制が揺らぐか、どんな切り口で強さを誇示すれば、世界の覇権争いの犠牲者たちの恨みに響くかを良く知っている。しかも、方法論だけでなく、テロリズムの行き先も明示している。すなわち、彼等はイスラムの原点に立ち戻り、かつて預言者ムハンマドが征服した東トルキスタンからイベリア半島までを、唯一のカリフによって支配されるひとつの国家とすることが理想であるとしているからだ。それ自体は私も同感だ。なぜなら聖クルアーンにはそのように記されているからだ。自分がの後継者を指名し忘れたがために、現代までもイスラム教徒同士が殺し合うことをムハンマドが望んだ筈がない。「イスラム国」は現在のイスラム世界について、本来のイスラムの理想に反して派閥を争い、イスラム教徒が平等に享受すべき利益を背教者に与えることによって私腹を肥やすいくつもの堕落した国家に分断されていると主張する。この論法は、そのまさに堕落した政権の制度的差別、或いはそうとは知らずに出来上がった健康で文化的な社会から落ちこぼれてしまった者の心に希望を与える。理想の社会の国造りに参加しないか・・・これは北朝鮮が日本人を勧誘する時に用いた科白である。
 しかし彼等はそうは思わない。それとこれが同じであることに気づかない。盲目のうちに忠誠を誓ってしまい、その集団は長い物に巻かれていく。それらは権力の狭間に雑草のように根を張り、割れ目を広げて連帯していく。その連鎖は、まさに東トルキスタンからキルギスを経て、ちょっと飛んでアフガニスタンの山間部を通り、「パキスタン・タリバン運動」の援助を得るだろう。そしてカスピ海油田を睨みながらイランの北部辺境に潜伏した後、クルド人を警戒しながら「イスラム国」にたどり着く。その後、シナイ半島を横切って片やリビアからモロッコを目指し、片やスーダンの赤土に車輪をとられながらもニジェール川にたどり着くだろう。そこには「ボコ・ハラム」が笑顔で待っている。もしかしたらその頃には、巨大ツチ帝国がコンゴ盆地の東半分に成立していて、南西のアンゴラと握手してたりなんかするかも知れない。とすれば、東の果ての中国が黙って見ているわけがない。玉門関から西を眺むれば、イスラム教徒が平等に享受すべき利益を背教者に与えることによって私腹を肥やすいくつもの堕落した国家ではなく、「イスラム国」という単一の国家によって、苦労と犠牲の大きかった開発途中のアフリカ、13億の中国人を食わせるための資源の源アフリカ大陸の最深部まで、面倒な手続なしでアクセス可能になるのである。畑の土が、耕され畝を立てられるのを待っているようなものだ。世界人口の5分の1を占める中国と、3分の1を占めるイスラム教徒が、仮に地球上の資源を牛耳るために大同団結したら、世界の覇権争いの形成は、完全に塗り替えられるだろう。これは、そんなに非現実的な話ではない。「西側諸国」とロシアが、最も怖れる事態だ。より広範囲で徹底的な戦争が起るだろう。「イスラム国」は滅亡するかも知れない。しかし、また別のテロ集団が勃興し、或いは同時多発的に連帯するかも知れず、「テロリズム」そのものはメンバー・チェンジを繰り返しながら生き続ける。そしてそれこそ、アフリカ大戦とは比較にならないほどの膨大な犠牲が払われるかも知れない。また、互いに互いを爆破する猛烈なエネルギーの空費によって、地球の温暖化どころか、地球資源の根本的な枯渇を招くかも知れない。
 それに対してどのように対峙するのか、アメリカの態度はシンプルである。テロリストを殲滅すれば「テロとの闘い」は勝利に終る。しかし残念ながら、この勝利は、それによって殺されたテロリストの家族や友人たちの恨みを買い、更なる過激なテロへ彼等を駆り立てるだけである。それはここ数年の歴史を見れば明らかだ。イラクに派遣された兵士が、村に潜伏しているテロリストを捜索するために、結果的に村人を射殺する。村人にとっては、アメリカ兵こそがテロリストである。結果的にテロとの闘いは、テロの連鎖を生み、テロを増殖させるだけであって、そもそも人が人を裁くことが間違っている。テロリストと闘っても意味がない。テロリストが村にやってくれば手を上げて投降するしかない。無抵抗非服従で対応するしか方法はないが、すぐに殺されるだろう。これは、テロを増殖させないための手段であるが、実際には、それが徹底するとは考え難い。おそらくこれからの世界は、殺戮に明け暮れることになる。穏健な態度は、その穏健さゆえに凶暴さの餌食となり、やがて絶滅する。凶暴な態度は、その凶暴さゆえに殺し合い、やがて絶滅する。それによって地球上から人類が減少して、地球は健全な環境に近づく。ノアの方舟はどこかに現れるだろう。ただ、そこに誰が乗船しているかは解らない。心の奥底にテロリズムの種を宿した子供が乗っているかも知れない。しかしそれも神の御意であろう。
 そんな不安を抱えてインターネットでウラ情報を探る。しかしどこまでいっても陰謀とやらの全貌を個人が掴み得るものではない。しかも陰謀も増殖するので、原理的に世界に対する正しい認識を、人間は持ち得ないという結論になる。だから、もうやめよう。そんなことに費やす時間はないはずだ。私は畑を耕し、田んぼを整え、種を蒔いたり苗を植えたりして生きていく。現在、いろんなものに不自由はしているが、命に別状はない。好きな音楽も存分に聴けるし、なにより食材は自分で作っているので体調はすこぶる良い。それで充分ではないのか。繰り返しになるが、人類というものは、どんなに富める者でも、どんなに貧しい者でも、地下資源も含めて地球上の資源を消費することによってしか生き存えることが出来ない。地下資源の枯渇が現実問題となっている今、土から育つものを得ることしか、生き存える持続的な手段はあり得ない。つまり自給的生活を基本にすることにしか、問題の解決はあり得ないではないか。いずれ乱世がやって来て村が襲撃された時、私は闘って死ぬであろう。しかしそれは戦車に丸腰で立ち向かうようなものだ。それでもやるしかない。そしてどんな思想も略奪されて葬り去られる。残念ながら、私の描く未来の社会は絶望的だ。

 ーーただ気にかかるのは、軍人を憎み過ぎたために、彼等をあまり激しく攻撃したために、そして彼等のことを考えすぎたために、連中とまったく同じ人間になってしまったということなんだ。これほどの自己犠牲に値する理想なんて、この世にないと思うんだがね。ーー(銃殺される直前にホセ・ラケル・モンカーダ将軍がアウレリャーノ・ブエンディーア大佐に残した言葉・『百年の孤独』ガブリエル・ガルシア・マルケス/ 鼓直訳)

 さあ、音楽の話に戻ろう。

posted by jakiswede at 21:56| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 いろいろ気になって自分の書いたものを検証しておりましたが、湯川さんが二度目の渡航で拘束された経緯について、事実誤認がありました。シリア反体制派「イスラム戦線」と行動を共にしていた最中に、フリーハンドになったところを拉致されたというのが事実と思われます。憶測で書いてしまった部分がありましたことをお詫び申し上げます。
 また、「かつて預言者ムハンマドが征服した東トルキスタンからイベリア半島までを、唯一のカリフによって支配されるひとつの国家とすることが理想であるとしている」いうくだりで、確かに彼等はそのように主張しているようなのですが、預言者ムハンマドが征服したのはアラビア半島だけで、シリア・エジプト・イランを攻略するのが初代カリフ、その後のウマイヤ朝の時代にイベリア半島からトランス・オクシアナまでを征服し、8世紀のアッバース朝が中国の唐と争った「タラス川の戦い」(751) で、版図を確定した。これをきっかけとしてイスラム教は「回教」として中国に伝播し、かわりに製紙法がイスラム帝国に伝わり、サマルカンドに製紙工場が出来る(757) 。これがイスラム帝国最大の版図、つまり大雑把にいって中央アジアまでで、東トルキスタンがイスラム化されるのは、10世紀のカラ・ハン朝 (テュルク系) になってからです。
 それに続く私の文章が、上のイスラム帝国の見解を肯定しているようにとれますが、そうではなく、私が肯定しているのは、「唯一のカリフによって支配されるひとつの国家とすることが理想である」という考え方であって、ちょっと指示する範囲が曖昧だったので、ここで補足させていただきます。蛇足かも解りませんが、だからといって私が侵略戦争によって単一国家を建設するという考え方を肯定しているわけではなく、あくまで、ムスリムによる派閥争いのない平等な平和国家が出来れば、彼等にとってそんな幸せなことはないという意味で、その理想を肯定したまでです。
Posted by 自己レス at 2015年02月09日 01:25
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