Sandra Bessis/ Rachid Brahim-Djelloul: Cordoue 21, Sur les traces de Sefarad (CD, May Sol Music/ L'Autre Distribution, MS1854, 2014, FR)
À Grenade, Le dernier soupir du Maure
1. Romance de la Gran Perdida de Alhama
2. La Serena
À Cordoue, Les femmes aussi sont poétes
3. Morena Me Yaman
4. Ygdal
À Istanbul, Entre musique de cour et chants des rues
5. Kaminos de Sirkedji (feat. Jasko Ramic)
6. Bre Sarika Bre
7. M'ehis Berdemeno
Des Balkans à Salonique, ballades et tavernes
8. El Rey de Fransia
9. Yedi Kule
10. Nani Nani (feat. Arayik Bartikian)
Entre Tunis et Alger, années 40 et 50
11. Ya Behi el Djamel
12. Ya Oummi
À Paris aujourd'hui ≪L'homme n'a pas de racines, il a des pieds≫
13. Aman Minush
バック・オーダー待ちであったCDが送られてきた。アラブ・アンダルースの音楽に分類されるが、イスラム世界に離散したユダヤ人の伝統音楽復興の試みである。711年にウマイヤ朝イスラム帝国 (首都は現在のシリアのダマスカス) はイベリア半島に上陸し、キリスト教世界が初めてイスラムに占領された。しかしほどなく750年に首都で革命が起き、現在のイラクのバグダッドに首都を置くアッバース朝にとってかわられた。ウマイヤ朝の子孫はイベリア半島に逃れて"Cordoue" (コルドバ) に756年、後ウマイヤ朝を建てた。一方アッバース朝の時代はイスラム帝国が最も繁栄した時代であり、ムスリムであれば民族の別なく全く平等で、「クルアーン」に記されたイスラムの理想が実現されていた。しかしほどなく均衡は破れ、各地の勢力による分裂が始まる。イスラム帝国は、当初その発展の段階で周辺の国々を征服して拡大していったが、異教徒に対して改宗を強制せず、人頭税の支払いを条件に信仰の自由が認められるのが普通であった。ユダヤ人は主に紀元前300年ごろから、つまりギリシアのアレクサンダー大王から約300年のヘレニズム時代に、地中海を舞台に商業的に成功して各地に離散し、当時イベリア半島にも住んでいた。"Sefarad"の場所は特定されていないが、その形容詞または複数形である"Sefaradi"は、半島に居住していたユダヤ人及びその子孫を指す。半島を舞台にイスラム勢力とキリスト教勢力は攻防を繰り返すが、割拠していた複数のキリスト教勢力は異教徒を排斥する傾向にあり、特にユダヤ人は弾圧された。それに対して最後に残ったイスラム国家グラナダ回教国は宗教的に寛容であったため、半島内からムスリムとともにユダヤ人も多く移住して、文化は非常に栄えた。アルハンブラ宮殿が完成したのもこの頃である。キリスト教徒によるイベリア半島の奪還は1492年に完了するが、同時に異端審問によりユダヤ人は追放された。その受け皿となったのが、北アフリカまで勢力を伸ばしていたオスマン・トルコである。このようにして、イベリア半島出身のユダヤ人は、当時のオスマン・トルコ領内、北アフリカから中央アジアにまたがる広い地域に活路を見出して散っていくことになる。
この作品は、スペインに残るイスラム世界に於けるユダヤ人の音楽の系譜から始まり、チュニジア・バルカン・ギリシア・トルコに残された"Sefaradi"の音楽を、伝承された楽曲を独自のアレンジで、或いは古くから伝わる詩編を許に創造して様々に奏でてみせる。ユダヤ人の音楽とはいいながら、始まりの楽章はどう聴いてもアザーンの朗詠、それが深まるにつれフラメンコのカンタに似てくる。そこへアルメニアのドゥドゥックの物悲しい音色が絡んできたり、トルコのクラシック音楽に、ときにはアゼルバイジャンのマカームの世界に連れていってくれたりもする。歌は、主にスペイン系ユダヤ人の言語であるラディーノ語で謳われ、これはスペイン語・アラビア語・ヘブライ語の特徴を併せ持つ。また伝承された地域によって現地の言葉でも謳われる。アンダルシアであったり、マグレブであったり、サロニクであったり、テュルクであったり・・・しかしそれでもアラブやトルコ、コーカサス地方の保守的な伝統音楽の、型通りの分厚い職人芸には流れない。ウード奏者でありこの作品の総監督であるRachid Brahim-Djelloulのもと、メイン歌手のSandra Bessisの深くて低い声が生かされていて、静かで暗い中に、情熱の一本の筋がしっかりと通っている。これを聴くと、中東に産まれた三つの世界宗教が、各地に様々な文化をもたらし、歴史の中でそれらが混ざり合ったり、離反したり、あるいは熟成された後ぶちまけられたり、音楽的にも様々な流亡があったりして、ひとつの音楽の中に抱えきれない世界が広がっているのを実感する。彼等は変化を受け容れつつも、自分たちの伝統を飲み込んで新たに伝える。伝えるために、壊して創造する。それが生きた音楽になって、こうして聴くことが出来るすばらしさ。もとはひとつであったのだが、今は様々である。しかし、やはりよく聴くと、もとはひとつである。ものすごく良い演奏です。
À Grenade, Le dernier soupir du Maure
1. Romance de la Gran Perdida de Alhama
2. La Serena
À Cordoue, Les femmes aussi sont poétes
3. Morena Me Yaman
4. Ygdal
À Istanbul, Entre musique de cour et chants des rues
5. Kaminos de Sirkedji (feat. Jasko Ramic)
6. Bre Sarika Bre
7. M'ehis Berdemeno
Des Balkans à Salonique, ballades et tavernes
8. El Rey de Fransia
9. Yedi Kule
10. Nani Nani (feat. Arayik Bartikian)
Entre Tunis et Alger, années 40 et 50
11. Ya Behi el Djamel
12. Ya Oummi
À Paris aujourd'hui ≪L'homme n'a pas de racines, il a des pieds≫
13. Aman Minush
バック・オーダー待ちであったCDが送られてきた。アラブ・アンダルースの音楽に分類されるが、イスラム世界に離散したユダヤ人の伝統音楽復興の試みである。711年にウマイヤ朝イスラム帝国 (首都は現在のシリアのダマスカス) はイベリア半島に上陸し、キリスト教世界が初めてイスラムに占領された。しかしほどなく750年に首都で革命が起き、現在のイラクのバグダッドに首都を置くアッバース朝にとってかわられた。ウマイヤ朝の子孫はイベリア半島に逃れて"Cordoue" (コルドバ) に756年、後ウマイヤ朝を建てた。一方アッバース朝の時代はイスラム帝国が最も繁栄した時代であり、ムスリムであれば民族の別なく全く平等で、「クルアーン」に記されたイスラムの理想が実現されていた。しかしほどなく均衡は破れ、各地の勢力による分裂が始まる。イスラム帝国は、当初その発展の段階で周辺の国々を征服して拡大していったが、異教徒に対して改宗を強制せず、人頭税の支払いを条件に信仰の自由が認められるのが普通であった。ユダヤ人は主に紀元前300年ごろから、つまりギリシアのアレクサンダー大王から約300年のヘレニズム時代に、地中海を舞台に商業的に成功して各地に離散し、当時イベリア半島にも住んでいた。"Sefarad"の場所は特定されていないが、その形容詞または複数形である"Sefaradi"は、半島に居住していたユダヤ人及びその子孫を指す。半島を舞台にイスラム勢力とキリスト教勢力は攻防を繰り返すが、割拠していた複数のキリスト教勢力は異教徒を排斥する傾向にあり、特にユダヤ人は弾圧された。それに対して最後に残ったイスラム国家グラナダ回教国は宗教的に寛容であったため、半島内からムスリムとともにユダヤ人も多く移住して、文化は非常に栄えた。アルハンブラ宮殿が完成したのもこの頃である。キリスト教徒によるイベリア半島の奪還は1492年に完了するが、同時に異端審問によりユダヤ人は追放された。その受け皿となったのが、北アフリカまで勢力を伸ばしていたオスマン・トルコである。このようにして、イベリア半島出身のユダヤ人は、当時のオスマン・トルコ領内、北アフリカから中央アジアにまたがる広い地域に活路を見出して散っていくことになる。
この作品は、スペインに残るイスラム世界に於けるユダヤ人の音楽の系譜から始まり、チュニジア・バルカン・ギリシア・トルコに残された"Sefaradi"の音楽を、伝承された楽曲を独自のアレンジで、或いは古くから伝わる詩編を許に創造して様々に奏でてみせる。ユダヤ人の音楽とはいいながら、始まりの楽章はどう聴いてもアザーンの朗詠、それが深まるにつれフラメンコのカンタに似てくる。そこへアルメニアのドゥドゥックの物悲しい音色が絡んできたり、トルコのクラシック音楽に、ときにはアゼルバイジャンのマカームの世界に連れていってくれたりもする。歌は、主にスペイン系ユダヤ人の言語であるラディーノ語で謳われ、これはスペイン語・アラビア語・ヘブライ語の特徴を併せ持つ。また伝承された地域によって現地の言葉でも謳われる。アンダルシアであったり、マグレブであったり、サロニクであったり、テュルクであったり・・・しかしそれでもアラブやトルコ、コーカサス地方の保守的な伝統音楽の、型通りの分厚い職人芸には流れない。ウード奏者でありこの作品の総監督であるRachid Brahim-Djelloulのもと、メイン歌手のSandra Bessisの深くて低い声が生かされていて、静かで暗い中に、情熱の一本の筋がしっかりと通っている。これを聴くと、中東に産まれた三つの世界宗教が、各地に様々な文化をもたらし、歴史の中でそれらが混ざり合ったり、離反したり、あるいは熟成された後ぶちまけられたり、音楽的にも様々な流亡があったりして、ひとつの音楽の中に抱えきれない世界が広がっているのを実感する。彼等は変化を受け容れつつも、自分たちの伝統を飲み込んで新たに伝える。伝えるために、壊して創造する。それが生きた音楽になって、こうして聴くことが出来るすばらしさ。もとはひとつであったのだが、今は様々である。しかし、やはりよく聴くと、もとはひとつである。ものすごく良い演奏です。
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