Les Frères Déjean: Bouki ac Malice (LP, Rotel Records/ P-Vine, AC-10005, 1978, JP)
Arrette
Qu'est-ce Que La Vie
Mots Créoles
Debake
Zott
Bouki Ac Malice
「ハイチ」と書いたが、これは「Haïti」を日本語でローマ字読みしたものであり、この国は旧フランス植民地であったのでフランス語で読むと「アイティ」、独裁政治が長く続いたので、カリブ海を密航してアメリカに亡命する人が後を絶たず、彼等はマイアミやニューヨークにコミュニティをつくったので、亡命ハイチ人の間では英語も使われており、その読みは「ヘイティ」、「H」音が発音出来るスペイン語やポルトガル語でも「アイティ」である。「ハイチ」という発音は彼等には通用しないことを確認したうえで、以後「ハイチ」と表記する。「ハイチのコンパは1950年代にNemours Jean-BaptisteとWebert Sicotという2人の音楽家によって始められた」と前に書いたが、そのころまでのハイチのポピュラー音楽の主流は、隣国ドミニカ共和国を含めイスパニョーラ島を中心としたカリブ全域で流行していた「カダンス」や「メレンゲ」であり、これもドミニカ共和国などスペイン語圏では「Merengue (メレンゲ) 」と発音されるが、ハイチではフランス語「Méringue (メラング) 」と発音される。これは、そのリズムのテンポと音が卵の白身を泡立てるのに似ているからであって、速いものでは♪=150程度になる。イスパニョーラ島を分けたふたつの国家は、旧宗主国の言葉も違い、歴史的事情や戦争などの経緯があって、文化的にもかなり違った進み方をする。ドミニカ共和国の「Merengue」は更に過激にヒート・アップして行く傾向を見せるが、ハイチの「Méringue」はアコーディオンをフィーチャーし、そこへ管楽器のアンサンブルが入り、リズムにベース・ギター・ギロ・コンガを中心とした構成になる。ドラム・セットは未だ一般的でない。「Méringue」の表情に及ぼしたアコーディオンの効果は大変大きく、それは全くフランス人好みであり、つまり明らかに中世フランスに始まる舞踏音楽「Musette」に汎用されるアコーディオンの奏法の移植であって、それは音楽の全体に優雅で物憂げな彩りを添える。このことが、その後のハイチのポピュラー音楽の性格を決定づけることとなり、Nemours Jean-Baptisteは「Méringue」のテンポを♪=100程度にまで落として、その表情をより豊かなものにしようとした。これが「Compas Direct」である (以前、クレオールの表記により「Kompa」と書いたが、混乱を避けるために、以下「Compas」と表記する) 。
Compasを紹介するにあたって何から始めるか・・・普通は「Mini Allstars」からであろう。というのは、マイアミに1970年ハイチ人ミュージシャンのために設立されたレーベルの名を「Mini Records」といい、そこに所属するミュージシャンの緩やかな連合体を「Mini Allstars」と名付け、これがハイチ人によるハイチ音楽の国際的展開の草分けになったからである。「Mini」とは、ハイチがアメリカに占領されていた時代にビッグ・バンド・ジャズが流入し、当時の「Méringue」から「Compas Direct」になってもその傾向が続いていたのだが、その反動から、より小編成のコンボがもてはやされることになり、これを「Mini Jazz」と呼んだことに因む。その後、恐らく1976年には、ニューヨークのブルックリンに「Rotel Records」が創設された。1970年代から1980年代前半にかけて隆盛を極めるCompas Directは、主にこの二つのレーベルから発売されている。
「Les Frères Déjean」・・・4人のDéjean兄弟を中心とした実に複雑怪奇で雑味充分なゴキゲンのグループである。強烈で分厚いホーン、派手なシンセ・ストリングス、多彩で頻繁なストップとブレイク、レゲエ・ファンク・ジャズ・サルサもさらっとアレンジに組み入れる見事さ、それらを包み込むようなフランス系クレオールの柔らかく滑らかな歌声、その優雅さや物憂げな空気感、狂おしいまでに湧き出て演奏の合間に溢れる夥しいアイディア、全体を支配する雑味と腰から突き上げてくるようなダンス・グルーブ・・・完璧です。奇想天外なのか無節操なのか、器用貧乏なのかオールマイティなのか、それは聴く人によってまさに賛否両論。それで結構。好きな人には堪らん音世界なんよね。別に無理に好きにならんでも良いが、ちょっと興味を持ったならば、曲全体が長くて繰り返しが多くてコテコテで、しつこくてうざったいのんだけ慣れてもろたら、だんだん味わいが出てくると思います。1970年代前半までのCompasは割と穏やか、しかし後半になるにつれその定石を打ち破るバンドが続出してきますが、彼等もそのうちのひとつ。いくつか味わいの異なるバンドがあって、それぞれに良い。個人的には、黒人音楽のエッセンスを全てブチ込んだ、真っ黒なエグい系の、もうひとつのフュージョン・ミュージックの究極だと思っとります。
「Bouki ac Malice」・・・なんと日本盤 (原盤は1977年) です。当時の「P-Vine」は、果敢にも中南米やアフリカの実に味わい深い作品を良く選んで日本に紹介していました。シリーズ物で結構まとめてリリースされたので、カネが追いつかなかった。当時としては、「またかまたかもう鬱陶しい」と思てましたが、今になって全体を振り返ってみますと、よくぞまああの時代にこれだけのものをリリースしたと感心します。迷ったら「P-Vine」レーベル丸ごと買っても良いくらいです。よくぞ残して下さった。しかしそれにしても、このダサいジャケット、いなたいというか、もうそのまんまCompasの本質を物語ってる。大好きです。これは「Les Frères Déjean」の3作目、Rotel Recordsのリリースとしては4作目にあたり、これが好きなら1982年ごろまでの彼等及びこのレーベルのリリースは全部「買い」です。破竹の勢い、疾走感と意外性、はちゃめちゃさ加減が全然違う。次から次へと白昼夢を見さされてるような、奇妙で美しい陶酔に浸れます・・・好きならね。
Arrette
Qu'est-ce Que La Vie
Mots Créoles
Debake
Zott
Bouki Ac Malice
「ハイチ」と書いたが、これは「Haïti」を日本語でローマ字読みしたものであり、この国は旧フランス植民地であったのでフランス語で読むと「アイティ」、独裁政治が長く続いたので、カリブ海を密航してアメリカに亡命する人が後を絶たず、彼等はマイアミやニューヨークにコミュニティをつくったので、亡命ハイチ人の間では英語も使われており、その読みは「ヘイティ」、「H」音が発音出来るスペイン語やポルトガル語でも「アイティ」である。「ハイチ」という発音は彼等には通用しないことを確認したうえで、以後「ハイチ」と表記する。「ハイチのコンパは1950年代にNemours Jean-BaptisteとWebert Sicotという2人の音楽家によって始められた」と前に書いたが、そのころまでのハイチのポピュラー音楽の主流は、隣国ドミニカ共和国を含めイスパニョーラ島を中心としたカリブ全域で流行していた「カダンス」や「メレンゲ」であり、これもドミニカ共和国などスペイン語圏では「Merengue (メレンゲ) 」と発音されるが、ハイチではフランス語「Méringue (メラング) 」と発音される。これは、そのリズムのテンポと音が卵の白身を泡立てるのに似ているからであって、速いものでは♪=150程度になる。イスパニョーラ島を分けたふたつの国家は、旧宗主国の言葉も違い、歴史的事情や戦争などの経緯があって、文化的にもかなり違った進み方をする。ドミニカ共和国の「Merengue」は更に過激にヒート・アップして行く傾向を見せるが、ハイチの「Méringue」はアコーディオンをフィーチャーし、そこへ管楽器のアンサンブルが入り、リズムにベース・ギター・ギロ・コンガを中心とした構成になる。ドラム・セットは未だ一般的でない。「Méringue」の表情に及ぼしたアコーディオンの効果は大変大きく、それは全くフランス人好みであり、つまり明らかに中世フランスに始まる舞踏音楽「Musette」に汎用されるアコーディオンの奏法の移植であって、それは音楽の全体に優雅で物憂げな彩りを添える。このことが、その後のハイチのポピュラー音楽の性格を決定づけることとなり、Nemours Jean-Baptisteは「Méringue」のテンポを♪=100程度にまで落として、その表情をより豊かなものにしようとした。これが「Compas Direct」である (以前、クレオールの表記により「Kompa」と書いたが、混乱を避けるために、以下「Compas」と表記する) 。
Compasを紹介するにあたって何から始めるか・・・普通は「Mini Allstars」からであろう。というのは、マイアミに1970年ハイチ人ミュージシャンのために設立されたレーベルの名を「Mini Records」といい、そこに所属するミュージシャンの緩やかな連合体を「Mini Allstars」と名付け、これがハイチ人によるハイチ音楽の国際的展開の草分けになったからである。「Mini」とは、ハイチがアメリカに占領されていた時代にビッグ・バンド・ジャズが流入し、当時の「Méringue」から「Compas Direct」になってもその傾向が続いていたのだが、その反動から、より小編成のコンボがもてはやされることになり、これを「Mini Jazz」と呼んだことに因む。その後、恐らく1976年には、ニューヨークのブルックリンに「Rotel Records」が創設された。1970年代から1980年代前半にかけて隆盛を極めるCompas Directは、主にこの二つのレーベルから発売されている。
「Les Frères Déjean」・・・4人のDéjean兄弟を中心とした実に複雑怪奇で雑味充分なゴキゲンのグループである。強烈で分厚いホーン、派手なシンセ・ストリングス、多彩で頻繁なストップとブレイク、レゲエ・ファンク・ジャズ・サルサもさらっとアレンジに組み入れる見事さ、それらを包み込むようなフランス系クレオールの柔らかく滑らかな歌声、その優雅さや物憂げな空気感、狂おしいまでに湧き出て演奏の合間に溢れる夥しいアイディア、全体を支配する雑味と腰から突き上げてくるようなダンス・グルーブ・・・完璧です。奇想天外なのか無節操なのか、器用貧乏なのかオールマイティなのか、それは聴く人によってまさに賛否両論。それで結構。好きな人には堪らん音世界なんよね。別に無理に好きにならんでも良いが、ちょっと興味を持ったならば、曲全体が長くて繰り返しが多くてコテコテで、しつこくてうざったいのんだけ慣れてもろたら、だんだん味わいが出てくると思います。1970年代前半までのCompasは割と穏やか、しかし後半になるにつれその定石を打ち破るバンドが続出してきますが、彼等もそのうちのひとつ。いくつか味わいの異なるバンドがあって、それぞれに良い。個人的には、黒人音楽のエッセンスを全てブチ込んだ、真っ黒なエグい系の、もうひとつのフュージョン・ミュージックの究極だと思っとります。
「Bouki ac Malice」・・・なんと日本盤 (原盤は1977年) です。当時の「P-Vine」は、果敢にも中南米やアフリカの実に味わい深い作品を良く選んで日本に紹介していました。シリーズ物で結構まとめてリリースされたので、カネが追いつかなかった。当時としては、「またかまたかもう鬱陶しい」と思てましたが、今になって全体を振り返ってみますと、よくぞまああの時代にこれだけのものをリリースしたと感心します。迷ったら「P-Vine」レーベル丸ごと買っても良いくらいです。よくぞ残して下さった。しかしそれにしても、このダサいジャケット、いなたいというか、もうそのまんまCompasの本質を物語ってる。大好きです。これは「Les Frères Déjean」の3作目、Rotel Recordsのリリースとしては4作目にあたり、これが好きなら1982年ごろまでの彼等及びこのレーベルのリリースは全部「買い」です。破竹の勢い、疾走感と意外性、はちゃめちゃさ加減が全然違う。次から次へと白昼夢を見さされてるような、奇妙で美しい陶酔に浸れます・・・好きならね。
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