Malavoi (LP, Productions Georges Debs/ Sonodisc, GD003/ 4, 1982, FR)
Gram é Gram
La Filo
Quadrille C
Conversation
Pasillo Mat'nik
Amelia
カリブ海に浮かぶ島々のうち、地理的な並び順は前後するが、先にフランスの海外県であるMartiniqueへ参ろう。MartiniqueといえばZoukと呼ばれるジャンルの音楽があって、Zoukといえば「Kassav'」が最も有名なのだが、実は私はこのバンドがそんなに好きでないので、「Malavoi」という生粋のMartiniqueのバンドを紹介する。
その前にZoukについて少し説明しておくと、これは、もともとカリブ海全域に流行していたMéringueやCadenceがもとにあって、MartiniqueにはBeguineという洒落たダンス・ミュージックもあった。そこへ1960年頃にはHaïtiにCompasが発生して広がった。1970年代後半になると、それらのジャンルのクロス・オーバーも盛んになって、Compasの柔らかな感覚も次第にシャープに、テンポも速くなり、Zoukに酷似した演奏も聞かれるようになった。1979年にフランスのパリで結成された「Kassav'」が、当時パリで流行していたカリブやアフリカの音楽に影響されて、電気的電子的でシャープでロックっぽい独特の演奏をしはじめたのだが、これが後にZoukと呼ばれるようになったのである。
語源は、おそらくMazurkaというポーランド風の舞曲の名前であろう。中庸より少し速いテンポで、第1拍に付点がつくことが共通する。リズムのアクセントはCompasと同じ、ルンバ・クラーベ「3-2」の前半のみをとった2拍子だが、テンポは♪=110-130くらいが多く、それはCompasより速くMéringueよりやや遅い。旧来のこれらの音楽との根本的な違いは、まさしく都会的な洗練の度合いであって、それは奏法にも現れ、例えばドラムの基本奏法は、MéringueやCadenceのようにスネアを撫でるように柔らかく連打するものや、Compasのようにミュート・クラッシュを基本とするものから、本格的にハイハットをタイトに使うことが始まった。これはあきらかにコンゴ (当時はザイール) のSoucousの影響である。そしてカウベルとフロア・タムを、アクセントとしてドラマーとは別のパーカッショニストが叩くこともなくなった。これにより第2拍半にドーンと響く独特のラテン的重さがなくなって、リズム全体がタイトで軽快になった。それにあわせてベース・ラインもシンプルになり、ホーン隊はシンセサイザーに置き換えられ、ギターが強調されコード展開も変化して全体の曲調が軽快になった。打ち込みも多用された。
これはフランス的な洗練感覚に見事に共鳴して世界中に広まった。1980年代後半になると、既にアフリカ大陸をほぼ席巻していたコンゴ (当時はザイール) のSoucousとZoukの融合が始まり、これはSouk-Zoukと呼ばれて大流行した。またブラジル北東部の多様なアフロ系ポップスや、Cabo VerdeのColadeiraやAngolaのKizombaなどとも融合して、ポルトガル語圏のアフリカ諸国やそのコミュニティを中心に広がって行った。しかし、これらは様々な要素を取り込んで発展したのではなく、むしろ収斂して分かりやすくなったのがウケただけで、旧来の音楽に比べて最大公約数的に平板であったことや、音楽媒体がレコードからCD主流になったことで粗製乱造を招き、やがてマンネリズムが蔓延たことなどが重なって、熱狂は嘘のように消えた。旬は、Compasより遅い1980年代前半のわずか数年だった。私はこの音楽がそんなに好きではないので、Zoukについての言及は以上で終る。
「Malavoi」はZoukのバンドとして分類されているが、少なくとも私の持っている音源で彼等はZoukを演奏していない。演奏しているのはBeguineが中心で、Méringue、Cadence、そこへ感傷的なBoleroやValse、さらにキューバ音楽やサルサなどが加わる。もちろんこれらは互いに溶け合っており、流行に従ってZouk的要素が入ることはあったかも知れないが、中心的ではない。
彼等はMartiniqueを拠点にしたアマチュア・バンドであり、そのほとんどが公務員であるという。ホーン・セクションが入っていた時期もあったが、特色は分厚いストリング・アンサンブルで、これが彼等の音楽の優雅さと豊かさを決定づけている。あきらかにクラシック音楽の専門教育を受けてきたキャリアがあって、きわめて緻密でアカデミックな作曲とアレンジが基礎にあり、その上に情熱的で自由なエネルギーの発露があり、カリブ音楽特有の躍動的なリズムがそれを支えている。その醍醐味はVenezuelaのEnsamble Gurrufíoや、その室内楽団であるCamerata Criollaを彷彿とさせる。Compasが黒人音楽の可能性をカリブ的に大きく広げたものであるとすれば、「Malavoi」の音楽は、カリブのあらゆる音楽の可能性をクラシック的に大きく押し広げたものといえるかも知れない。
彼等の音楽はひと括りにジャンル分けが出来ない。こういうクロス・オーヴァーが可能となった要因には、おそらくBeguineやValseという音楽の構成が関係するのではないかと思う。これらはペア・ダンス用の音楽であって、適当な時間を置いて相手を交代するのだが、特にValseでは、それを促すために曲を短い楽章で区切る。演奏は解りやすいブレイクで終り、曲のテーマで再開される・・・ということを繰り返す。しかも、これがダンス・パーティーに参加したペアの数だけ繰り返されるとなると、全ての楽章で同じ演奏をしていたのでは、さすがに踊る方も演るほうも退屈するので、そこに様々な要素を即興的に入れるようになった。これらに限らずヨーロッパの舞曲でも、変奏という形で様々な要素が取り入れられることはあるのだが、カリブ海は音楽の宝庫であるので、そのインター・プレイの中身を、そっくりそのまま別ジャンルに入れ替える例は珍しくない。Beguineのリズムでテーマが始まって、インター・プレイになると拍子が変わってBoleroになったり、その部分だけSonになったりということはよくある。そのような遊び心と即興バトルが、彼等の音楽的センスを磨いたのではないだろうか。
さて、「Malavoi」の作品のなかで選ぶとすれば、この2枚組LPである・・・ダブル・ジャケットの内側にしか曲名も時間も書いてないから、たっぷり2枚分聞けると思てたら、A面B面が1曲ずつC面とD面が2曲ずつで全体で45分、B面なんか7分ちょいで終るんやで、こんなもん1枚に入るやろ、これで値段は2枚分やったから買うたときは怒ったよ。でもね、そのB面を占める「La Filo」を聞いた時、その演奏の緻密さ、畳みかけるようなアレンジと演奏の勢い、心に染み入るような音の襞の深さ、表情の豊かさ、ストリングスの繊細さ・・・とにかく美しくて情熱的で、参りました。もしかしたらこの曲だけは、他の曲の続きでなく、単独で聴かせたいがために、わざわざ2枚組にしたのかも。ちなみにその次の作品も2枚組。残念ながらこれらのLPに収録されている中期の彼等の曲をはじめ、ごく初期の音源やブレイクする前までの作品群は、ほとんどばらばらにCD化されており、版権の多くを持つSonodiscが倒産しているので、再録されていない曲も多数ある。再録された曲も、データを見る限り時間が短縮されているものがあり、必ずしも良好な状態ではない。それは、彼等がアマチュア活動にこだわったからでもあろうが、演奏が素晴らしいだけに残念である。特にこれと同じジャケットで再発された編集盤のLPやCDが複数あり、それらは収録曲が一部異なり、相互に重複しているので、必ず曲名を確認して購入されることをお奨めする。上のLPは、外観から曲名の確認が出来ないので開封する必要がある。
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