2015年04月03日

20150310 Garifuna

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Andy Palacio & the Garifuna Collective: Wátina (CD, Cumbancha/ Stonetree Records, CMB-CD3, 2007, BLZ)

Wátina (I Called Out)
Weyu Lárigi Weyu (Day by Day)
Miami
Baba (Father)
Lidan Aban (Together)
Gaganbadibá (Take Advice)
Beiba (Go Away)
Sin Precio (Worthless)
Yagane (My Canoe)
Águyuha Nidúheñu (My People Have Moved On)
Ayó Da (Goodbye My Dear)
Ámuñegü (In Times to Come)

http://www.cumbancha.com/the-garifuna-collective-biography-eng

 2007年です。いきなり40年近く時代が下ります。小アンティル諸島を西の端まで降りた後で、極端ですがカリブ海沿岸の中米ベリーズという国の、Garifunaという民族のポップスです。ベリーズという国は、メキシコの南、グァテマラの東にあるカリブ海沿岸の小さな国です。Garifunaという民族は、1635年に座礁した奴隷貿易畝かの生き残りとインディオとの間に出来た混血民族で、ベリーズ・グァテマラ・ホンジュラス・ニカラグアのカリブ海沿岸に約60万人が暮らすと言われています。
 Andy Palacioは1960年生まれなので私と同じ年だが、このアルバムを発表した翌年に亡くなっている。彼の功績は、StonetreeのプロデューサーであるIvan Duranとともに4カ国に散在するGarifunaの歌を集めて録音し記録したこと、それらをもとに次なる音楽の姿を描いたことである。その業績の一部は、翌年に発表された「Umalali, the Garifuna Woman's Project (CD, Cumbancha/ Stonetree Records, CMB-CD6, 2008, BLZ)」に収録されている。これは各地に残る一般の女性歌手の歌の録音を集めて、後でバッキングを付けたもので、足掛け10年もの歳月をかけて取り組まれた貴重なプロジェクトなのだが、真に残念なことに、歌と伴奏の録音が全く別に行われたことで、音楽的な一体性が致命的に損なわれており、プロジェクトの重要性には最大の敬意を表しつつも、出来上がった作品には納得出来ないので割愛させていただいた。
 一方、Andy Palacioのこのアルバムは全曲彼のオリジナルで、現地ミュージシャンとの長いセッションやリハーサルを経て仕上げられた一貫性のある作品になっており、アフリカ系歌手のソロ作品としては非常に良いと思う。Garifunaの音楽といっても、形式として特有のものがあるわけでなく、カリブ海の様々なポップスの影響を受け、更に近年のZoukによる色付けが明らかに残っている。特長があるといえば、先に紹介したGuadeloupeのGwokaに使われる大小の樽型の太鼓の音色、それも打面側に紐を張って、一種のスネア的効果を出していることが上げられる。これはフラメンコ風のカホンの感触に近い乾いた音色である。歌詞は英語から派生したクレオールであるから解らないのだが、音の処理の簡潔さや寂寞感は特筆に値する。
 それもそのはずで、Stonetree Records傘下のCumbanchaレーベルの創立者は、Putumayoというワールド系快適音楽のアンソロジーをシリーズで出版したレーベルの敏腕プロデューサーのJacobs Edgarという人物である。おそらくそのためか、全体に物悲しいエキゾチシズムに満ちた繊細な音感が充満しているのだが、その間にAndy Palacio本人の声と思われる力強さが光る瞬間があって、それが彼の本質なのだろう。その芯の強さは、AngolaのRui MingasやElias Dya Kimuezuに通じるものがある。この色付けというものをどう感じるか、評価の別れるところだと思う。
 さて、以上にてキューバとプエルト・リコ以外のカリブ諸国の音楽の紹介を終る。もちろんTrinidadのCalypsoをやっていないし、カリブ海沿岸という切り口で捉えるならば、コロンビアのCumbiaを取り上げるべきところだが、それは後のSalsaとの関連で言及した方が良いし、そもそも良い音源を持っていたかどうか、聞いてみないとわからない。
 Calypsoについては、Mighty Sparrowというミュージシャンが有名であるが、たしかに1960年代の彼の作品は良い。しかしCalypsoという音楽は、もともとTrinidadの炭鉱労働者のブルース・ソングとして発祥した経緯があって、実は私はこうした音楽が苦手なのだ。なぜなら音楽の比重が演奏よりも歌詞に置かれており、歌詞が解らないことには楽しめないものが多いからだ。1920年代以降の初期の録音を聞いても、解説を読んで初めて全体を把握するという状態なので、とても音楽的に楽しんだとは言えない。その点、Mighty Sparrowの時代になって、ようやくソウルフルなものが感じられるようになるが、それも1960年代の限られた時期である。それとほぼ同時に、廃棄されたドラム缶を加工して作ったスティール・パンを使って演奏するPan Calypsoが産まれたが、これはブルース・ソングとしてのCalypsoとは全く別物である。日本では「カリプソ」というと、これを指すことが殆多い。
 キューバとプエルト・リコ以外、言い換えれば「ルンバ・クラーベ」を基調とするラテン音楽以外のカリブ諸国の音楽とよく似た感触を持つ音楽は、南米大陸の東海岸沿いに多数存在するが、その最たるものは、ブラジル北東部に起ったFrevoであろう。これは非常に速いテンポを持つ2拍子の音楽で、大変奥行きが深いのだが、ご紹介申し上げるのはキューバと北米大陸をやったあと、南米大陸の最後にブラジルを訪問する予定であるので、半年ほどお待ち頂きたい。ここで申し上げたいのは、たぶんこれらの音楽はカーニバル用のダンス・ミュージックとして発祥し、ポピュラー音楽にまで発展、定着して行ったものと思われるということである。ひとつの傾向としてこれらをまとめて捉えると、様々な音楽の共通点や相違点が整理出来て、楽しみの道標になるであろう。ほなキューバへ行きましょか・・・




posted by jakiswede at 01:10| Comment(0) | 変態的音楽遍歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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