2015年04月03日

20150321 Maya Acoustica

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 2015/03/21、今年の「摩耶山アコースティック・ピクニック」が始まった。これから毎月第三土曜、摩耶山掬屋台にて、淀みない気持で音楽的な一期一会を求めて、ここに通うことにする。この日に出会ったのは、たぶん12人ほど、そのうち歌を歌える人が7人・・・
 当初、マンボの名曲「Tequila !! 」をみんなで合奏、インタープレイの部分を代わる代わる即興、というアイディアでやろうとしたが、まあ最初の試みとしては失敗はしなかった。続けて行けば色んなバリエイションが出てきて面白いのではないかと想う。
 で、そればかりでなく、歌を歌える人たちが自曲を披露し、他のミュージシャンがそれをバッキングするという試みも行われた。このアイディアは、日頃一人でやっていたり、同じメンバーとやっている歌でも、伴奏がついたりメンバーが変わることによって、歌や曲が様々に変容し、思わぬアイディアに繋がることがある。そしてなにより、歌を作って曲にしてみたいが、具体的にどうしたら良いのかわからない人たちの助けになるだろう。色んな歌が生まれてくることを期待する。
 そしてまた、全くルールを決めない即興演奏の試みも行われた。それは、たまたま打楽器奏者以外のみんなが休憩に入ってしまった時に、私は常に手足を動かし続けている必要があるので、カホンを踏みながらボンゴを叩きはじめたのだが、そこにジェンベが加わったことでリズムに幅が出来、声で合わせてくれる人が現れ、そこに笛や鳴り物が加わって、ある意味フリージャズ的な、或いはプログレ的な、またはアンビエントな音の流れが出来、それは形のないエモーションの波動となって蠢いた。
 このように、どのようにでも展開出来るところが音楽の面白さである。これを限られた人たちの閉鎖的な自慰行為とせず、志さえあればどんな人にでも開かれた場所にしたいと思う。というわけで、私にとっても大変なごやかで有意義なひとときでした。ご参加頂いた皆様、来月からもどうぞよろしくお願いします。出来るだけ広めて下さい。集まり過ぎて収拾がつかなくなったら、どんどん分裂して良いと思います。
 掬屋台は広いので、あっちでジャズやってて、こっちでフォークやってて、向こうでブラジル音楽やってて、手前でジェンベ叩いてる・・・もちろん、こっちではシンガー・ソングライターの卵が、ぐっと年上のギタリストにコードを決めてもらってたり、よくわかんないけどオレの曲てヤツが、またよくわかんないけどなヤツとともによくわかんない音だしてたりとか・・・やったことないけどやってみたい人を私は最も歓迎したい。それぞれの間を渡り歩いても良し、アドバイスを求めに行っても良いし、それこそとても有意義な音楽的体験になるでしょう。初回でこれだけ腕利きのミュージシャンが集まられたのですから、あなたの鼻歌をCDに仕上げることも、全く夢ではない。バンドが巣立って行く事にでもなれば、素晴らしいと思います。
 満たされた感動を胸に山を降りたのですが、実はこの後が最悪だった。土曜日は夕刻よりバイト、しかも一人勤務の激務が待っているので、バイト先へは30分程度早めに着ける余裕をみて出発した。私は低賃金肉体労働に甘んじることによって、このような自由で幸せな時間を享受出来ていることを社会に感謝する気持を、つねに忘れずに持っているのでやなあ、その社会的責任というものはいかに最低賃金しか支払われないとはいえ、これを徒や疎かにすることはあってはならんと思うとるわけですよ。ところがやねえ、

 http://www.ktv.jp/news/sphone/douga.html?bctid=869275932002

ちょうどこの火災が発生した時に現場の近くまで来ていて突然車列が止まった。場所は山中の細い一本道で封鎖されてしまった。状況に見切りをつけて前方で転回出来た車は対向車線を戻って行ったが消防車が逆行して来て、その車も後退させられ前方へ去って行く。ただならぬ事態が起ってるのはわかったが、どうすることも出来ず、やがて対向車線も車で埋まり、約30分後に後端から車の排除が始まった。丁子が辻まで戻って公衆電話からバイト先に電話を入れたが、先述の通り私は「戦力外通告」を受けた謹慎中の身、受話器の先の沈黙が全てを物語っていた。六甲山メイン・ルートの東半分が通行止めになっていたので、西廻り「小部峠」谷上経由で先を急いだが、到着したのは45分遅れで、あとは推して知るべし。ここのバイトはトラブルを起さなければ半年はながらえる。今回の一件をどう判断されるかは数日後には解るだろう。
 たしかに遅れた私に弁解の余地はない。バイトだからといって甘える気持もない。しかし、私がここへ来てから経費節減で人員は半減している。売上も下がっているが半分になっているわけではない。一人当たりの作業量はほぼ倍増していて、もともと無理な状況で業務を回していることは誰にも明白だ。バイトであっても社員並の根幹的な業務をこなさなければならない。全員が強烈なストレスに曝されていることは理解する。そこへほくほく顔で乗り込んでこられたら気を悪くするという空気も読める。しかも、それが原因で遅刻するなどもってのほか・・・いくらリカバリーしようと努力しても報われない壁が出来てしまう。この状況って、日本の農村に良く似てると思った。農民は土地に縛りつけられて苦しめられてきた、という意識が少なくとも彼等には刷り込まれている。そこへブームに乗って都会から移住してくる奴らが来る。屈託のない笑顔でもって、友達なんか呼んできて楽しげに暮らしとる。癪に障る。だから絶対に仲間になんか入れてやらない。いくらこちらから理解しようと努力しても、ダメなものはダメ、無駄なことは無駄。都会と違って農村では、村八分にされると事実上、生きては行けない。
 思えば、私は世界の音楽に親しんでいるのだが、ひとつだけ、というか、一定の傾向を持つ音楽だけは総じて受け容れられない、というものがある。それは「ブルース」だ。「ブルース」は世界中にある。私は、それは純粋に土着的であった民謡や仕事歌などの民俗音楽が、工業化とともに農村などから都市への出稼ぎ労働者や流浪の民が流れ込んで出来てきた、都市型の音楽と考えているのだが、その根本的な部分に、誰かに聴かせるというよりは、自分を慰めるために歌う、すなわち「ブルース」が存在すると感じている。何故受け容れられないのかはわからない。特段に個人的にこれに危害を加えられた覚えもない。悪意はないのだが、どれを聞いても、全部同じに聞こえてしまって、全く良いとは思えない。しかし知識としては、ブルースがジャズの源であり、R&Bの、そしてロックの根源であることは理解している。だから、ロックについて語ることがあっても、ブルースについての感性が欠如していることを見抜かれてしまうと、「まったく理解してないじゃないか」などと言われて返す言葉もなくなってしまうのだ。そう、私にはわかりません。この歳になってもわかりません。その「わからなさ」が、農村と関わる時の「わからなさ」と酷似しているのだ。
 こうした「壁」は至るところに屹立して、言わば私を取り囲んでいる。独身でいるのも、結局のところ、そもそも女性がどんな生き物なのか解らないためだ。もちろん50年以上も男をやってきて、どうすれば女性とうまくいくかくらいは解ってる。でも、そんなことできません、おっしゃるようにはやれません、そうしようというきもちになれません、すみませんごめんなさいできません。このように現実の私生活ではボロボロの私だが、ブルースも人情も女も解らん私のような人間にも、もしかしたら世の中の役に立つことがあるんかも知れんと思うてね、どんな目に遇わされようとも後指さされようとも、めげずに好きなようにやっとるわけですわ。だからさ、文章ながいけど、あんまりまじめに読んだらあかんよ。






posted by jakiswede at 01:14| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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