「アフリカ音楽だから良い」のか、「良い音楽がアフリカに多い」のか、「アフリカ人のように演奏するのが良い」のか、「良い演奏を心がけていたらアフリカ音楽みたいになってた」のか、これは非常に重要な問題だと思うのです。
私は1960年生まれ、ロックに飽きてしまったのが1978年頃で18歳、そこからいろんな国の音楽に興味をもったが、それらはあくまでポピュラー音楽であって、決して民族音楽ではなかった。幸運なことに、ちょうどその頃から欧米以外の国々でポピュラー音楽の録音が多くなる。
それ以前、民族音楽は、いわばその国のポピュラー音楽に関する理解を深める助けにはなっても、興味の対象にはなる事は殆どなかった。当時のポピュラー音楽は、多かれ少なかれロックやジャズやキューバ音楽などの影響を受けている。つまり多くの場合、彼等はそれらの音楽を聴いて、自己表現として演奏しはじめたものだ。
顕著な例が、コンゴ人が普通にロックをやった結果が「リンガラ・ポップス」だという事実である。つまり、彼等は「アフリカ音楽」を演奏しているのではなく、ロックをやっているのだ。私が20年前までやっていた「カーリー・ショッケール」も同じである。この価値観の共有があったからこそ、私は彼等と深く交友することが出来た。
従って、私は「アフリカ音楽だから良い」と思ったことはない。良い音楽は、アフリカに「も」多いし、ブラジルに「も」多いし、ペルーにも、アルゼンチンにも、ベネスエラにも、アンゴラにも、トルコにも、アルメニアにも、アゼルバイジャンにも、シリアにも多い。世界は多様な音楽に満たされているからこそ楽しいのであって、その楽しさに夢中になって様々な音楽を聞き込んでいくうちに、その広大さを意識して演奏を心がけるようになり、自然にアフリカ音楽みたいになってたこともあり、ブラジル音楽みたいになってたこともあるというわけだ。決して「アフリカ人のように演奏するのが良い」などと思ったことはない。「脱国境音楽」という言葉を使って、この音楽性を表した私の心の師匠がいるのだが、この言葉は非常に良くこの気持を代弁している。音楽が湧き上がってくるのは、あくまで自分の内側からであり、決して他者ではない。
しかしこれは音楽へのアプローチのひとつの姿であって、現実には全く別のアプローチもある。ひとつは伝統を「習いに」入るという行き方で、そこに自己表現の介入する隙間はない。上のような在り方とは全く逆だ。例えば、ギニアのジェンベを習っているグループがあって、彼等はよく現地へ行くそうなのだが、「Bembeya Jazz National」という、ギニアが世界に誇る、有名なオルケストルの名前を知らない。これは、実は全く驚くべき、というか呆れる事態で、この、ギニアの伝統美の上に、キューバ音楽の影響を受けた、全く独自の美しい音楽を彼等は知らないどころか、ギニアのジェンベに専念するためにそれに耳を傾けようとはしないのである。彼等の価値観では、「アフリカ人のように演奏するのが良い」のは自明であり、「良い音楽がアフリカにも多い」などという考え方は、師匠に対する冒涜になるらしい。それは彼等の師匠の周囲だけに通用する、ごく狭い価値観といわざるを得ず、私には彼等が何故そう判断するのかが、さっぱりわからない。
いまひとつは、国際交流や慈善事業の一環で例えばアフリカに興味をもって、その音楽も演奏するようになったという例である。この場合もともと音楽に関心が強かったわけではないので、「世界は多様な音楽に満たされている」といってもピンとこない。むしろ自分の関わっている事業など、音楽以外の要素との連関の上に音楽が位置づけられていればそれで良いのだ。彼等の場合、「アフリカ人のように演奏する」ことは、現地の人たちとの関係を良好にするというメリットがある。それで充分なのだ。しかし日本人である彼等が、慈善事業として「上から目線」でアフリカに関わり、現地人たちがそれを「外国人にしてはよくできた」と褒める。それで認められたと錯覚して「社交界的」なコミュニケーションに満足する。私には到底受け容れられないことだ。ここでもやはり、「良い音楽がアフリカにも多い」などという考え方は全く埒外である。
要するにこれは価値観の問題で、当人が良ければそれで良い。それをとやかく言う気はない。ただ私は、それを公の場で演奏するということに率直な違和感がある。しかも先日のイベントでは、「それで良い」当人たちで満たされていて、あれほど多くのアフリカ音楽に関心または関わりのある人たちが集まっていながら、自分の内側から沸き起こる歌や演奏に出会えなかった。「カーリー・ショッケール」活動期に頻繁に催されたこのてのイベントでは、自己表現としての「脱国境音楽」を演奏する様々なグループの、強烈な個性のぶつかり合いの場であって、それが当たり前のことだった。そもそも「習う」とか「慈善」なんて言葉は我々の辞書にはなく、間違っていようが独断と偏見であろうが、思うがままを音楽にしたはずである。今は、現地の音楽が多く紹介されるようになった代わりに、それに捕らわれてしまった人も多く、それがそのままの状態で公に出てくることも多くなった。それらは「習う」人にとっても「慈善」の人にとっても、「守ってあげるべきひ弱な存在」だから、当たり障りのない表面的な優しさで繋がってしまうのではないか、参加者の殆どがそんな笑顔を全ての人が浮かべているような空気に、私は自分の理解を越えたどうしようもない違和感を禁じ得なかったのである。誰が言ったか忘れてしまったが、「カバーとは、すなわち原曲に対する仁義なきケンカである」という言葉があって、これは名言だと思う。こんな話にもう少し付き合ってみようと思う人は、下をクリックしてみて下さい。ずいぶん前に書いたものだけど・・・
http://jakiswede.com/2music/21acts/213karly/2130karly_fr.html
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