2015年06月01日

20150527 命と向き合う

KIF_0165.JPG

 今週は「とらいヤルうぃーく」といって、中学生が体験学習で一週間ここに滞在しているのである。体験学習とはいいながら、半分は家主が自分の屋敷を片づけるのを手伝わせるのであるが、先日来納屋に猫が住み着いていると思っていたら、二階の藁置き場の中で子を産んでいた。家主はそれを嫌って産まれたばかりの子猫を引きずり出し、段ボールに入れて放置した。みいみい啼いている声を他所に体験学習は続けられ、彼等は畑の除草に駆り出されていった。今月に入ってからというもの、夏のような季節外れの暑さである。炎天下に放置された段ボールの中は灼熱地獄であった。家主がこれをどうするのかはわからなかったので、私は様子を観察して、少なくともこれを日陰に移し、箱の底に草でも敷いてやることにした。それらは恐らく生まれたてで、目も開いておらず、毛も乾ききっていなかった。親猫は、人間の手にかかることを怖れて姿を隠したのであろう。とすれば夜まで出てこない。それらの柄からして、母親はいつも私に天気を教えてくれる、近所の顔見知りの猫であろうが、産まれたばかりで親から引き離されては生きては行けまい。彼等は、それらのことをいくらか気にかけている様子だったが、家主は全く無頓着に行事を進めるばかりであった。私の実家は旅の猫の通り道であって、よく宿無し猫が草鞋を脱いで数年を過ごしていった。掌ほどの大きさの子猫が瀕死の状態で迷い込んできたこともある。私はそれを、小さなスポイトを使って牛乳を飲ませ、親に隠し通して自立出来るまでに育ててやったことがある。その猫とは親友になった。今回、その経験を活かしてスポイトを使ってみたり、スポンジに含ませてみたりして、なんとか牛乳を飲ませようと試みたが、産まれたばかりで母の乳を探すことしか出来ず、どんな試みにも反応しなかった。やがてその日の行事は終り、彼等は去って行った。それらは全く忘れ去られた存在となって中庭に放置された。私はこの命を放置するに忍びなく、死を待つしか仕方のないことを覚悟し、ならば死ぬまでの間だけでも出来るだけその苦痛を和らげてやろうとして、箱を日陰に移し、草を用意し、箱に風穴を開け、ミルクを入れたトレイを傍において、親猫が現れるのを祈るように待った。夜になってもか細い声が親猫を呼んでいたが、翌朝それらは全て動かなくなっていた。死後硬直が始まっていた。私はそれを見晴らしの良い川の斜面で焼き、花を手向けた。私はそれらの死と向き合うことにした。家主は宗教家である。中学生を受け容れて、彼等に様々な体験をさせ、社会教育の一環を担うことは良いことだと思う。しかし、彼等は、それらの行く末を気遣っていたのだが、家主は自分でしたことを忘れてしまったかのように見えた。彼はこの田舎にあって比較的リベラルな考え方の人だとは思うが、ときとして極めて閉鎖的保守的な面をみせる。それが、地主・家主としての彼であり、自分のものを守るためには他者を厳しく排除するその態度である。猫に住み着かれては困るという気持は理解する。しかし、教育の一環として行われている場で、彼等の目の前であれば尚のこと、この小さな命に対する思いやりの心が当然あってしかるべきである。彼等は、彼がこの小さな命を放置するのを見た。そこに大人としての、家主としての、百姓としての彼にどんな姿を見たか、その彼の言葉に一週間従って行動する自分を、どのように捉えるか、その指導的な言葉、教育に携わる者としての、宗教指導者としての彼と、目の前で行われた事実とを、彼等はどのように整合して受容するのであろうか。そして最後にこの経験を、彼等は社会の縮図を理解する事実のひとつとして、どのように位置づけて記憶の中にしまい込むのであろうか。


posted by jakiswede at 10:39| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2015 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。