2015年07月08日

20150706 田植え終了

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 今年は6/22に開始しているので所要15日、昨年は6/25-7/09であったので全く同じ日数かかっていることになる。昨年は、初めて作ることにした品種の特性が解らず、苗作りや圃場作りに失敗して作業が二度手間になったり、その後の発育が予測と全く合わなかったりで、田植えは難航を極めた。今年はその点はクリア出来たはずなのに、結局同じ日数がかかっている。田植えを始めた当初の予測では、一週間ないし十日の行程の筈だったのだが、三日目からそれが狂いはじめ、後半には二度のダウンをとられ、終末には割れた腰を浴衣の帯で縛り上げ、火を噴く肩甲骨を保冷剤で冷やしながらの作業であった。まさに命がけ、田植えは何度やってもわからないこと、辛いことの連続である。しかし、雨の中で苗取りをしている最中、ふと見上げると霧雨の向こうから薄日が差す、辺り一帯が不思議な乳白色の光で満たされ、夢か現か、雲の中を彷徨うような浮遊感に包まれることがある。また、静寂の中で腰の痛みに耐えながらひたすら植え続けていると、突然カエルの合唱が始まり、それがいくつかのグループの掛け合いとなって、複雑に錯綜する周期的なリズムを刻みながらグルーブを伴って飛翔していくのを聴くことも出来る。とりあえず田植えは終った。が、15日かかっているということは、植えはじめた部分は既に苗が草に埋もれている。畑は応急措置以外は放置したので、これも全体が高い草に覆われている。明日からは、まず畑の作物を救い出さねばならない。夏が来る前に、夏野菜が実るための手当てを終えなければ収穫は期待出来ない。

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 これが、農薬や肥料はおろか、農業機械すらも使わない栽培の実際である。化石燃料の枯渇は数十年後に迫っている。あるいは、その頃には今のように安価に調達出来なくなっているだろう。ということは、食糧を調達するには、誰もがこれをやらなければならない、避けて通れない道である。今の時期が農作業のひとつのピークである。農薬・肥料・農業機械を使わずにやるとすれば、私が現在利用している1反5畝の平坦な農地で精いっぱいであろう。人力のみでは、一人当たりこれ以上は無理だ。しかし実態はどうだ。こんなことをやるバカはどこにもいない。集落内でも、私は変人の爪弾きである。田植えは大型機械で一反あたり15分、日本の穀倉地帯を見渡してみるが良い。機械がなければ到底出来る筈のない圃場整備がなされてしまっている。機械はいずれ使えなくなる。化石燃料が無くなれば、農薬や肥料も生産出来なくなる。数十年後に迫るその事態に、農村が全く危機感を持っていないのは、一体どういうわけだろう ?? 私は数十年後に生き残っている可能性は低い。私には妻も子もないが、多くの同年代の友人たちの子供は、数十年後をどう生き延びるのだろうか ?? そのことを親たちはどう考えているのだろうか ?? 私は、慣行農法の欠点を批判して自然農を始めたわけではない。慣行農法を支える前提が崩れた時に為す術がないから、それに頼らないやり方をするとこうなる、ということを身をもって体験してみたいと思っているだけだ。日本人なら誰もが米の飯を食う筈だ。しかしそれを生産するということが、これほど命がけになるということを、一体どれほどの人が感じているだろうか ?? 日本の食糧生産という、日本人が生存するための最も基本的な部分を、硬直した制度で部外者を排除し、一握りの農家に押し付けてアメとムチで飼いならす、一方の「消費者」も全く別世界の出来事のようにそれを傍観している。誰も切り込まない。手をこまねいているうちに気がついたら食べるものがなくなってしまうだろう。これはどこからどう見ても現実だ。

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 だから、私は引き篭もって孤高の仙人を気取ったり、収穫物に付加価値を付けて高値で販売したりすることに全く興味はない。農作業をレクリエイションではなく、生きるための命がけの手段との認識を共有していただくために、機会ある度にご案内申し上げているのは、私のやっていることが一定の社会性を保つための細いパイプであり続けたいと願うからである。しかし、そこで実際に見ることは、残念なことに余りにも非力な人の心と体、「自然」や「農」を美談として語るための体験、それに応えなければならない自分がいることである。田植えでも、五葉期の稲苗の状態で、稗との区別がつかなければ田植えは出来ない。なぜなら純粋培養された苗を購入しているわけではなく、苗代とはいえ自然環境下で様々な草にまみれて苗は育つからである。畑の除草も同じ。作物となるべき植物は至るところに芽吹いている。その形を知らなければ、除草をしている筈が作物を葬り去っていることになる。全てを予見して予め対策をとることは不可能だ。覚えなければならないことは無数にあって、それを作業前に伝達することは出来ないし、想定外の事態も頻発し、それに対処しきれないからだ。全く私の不徳の致すところ、常々、毎度のことだが、私の試みに共感して下さり、応援して下さる方々に対して、私はなんと心無い態度を採ってしまうのであろうか、しかし、何ヶ月もかけて見守ってきた作物や、何ヶ月も先の状態を想定して作り込んである圃場の設備を、何の気なしに破壊されてしまうその瞬間を、心穏やかに見ることは不可能だ。「あっ、そこは・・・」でも殆どの場合、時すでに遅く、しかも修復不可能である。そうして、その人たちとの関係も修復不可能になる。私はどうすれば良いのか、嵐の過ぎ去った後に、憂鬱の夏が来る。
posted by jakiswede at 00:37| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2015 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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