2015年07月17日

20150708 新名神高速

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 ふと南を見はるかすと、建設中の新名神高速が見える。上に乗っているのは工事用の足場 (?) で、実際の高架橋はその下に水平に伸びている高さである。奥はかすんでいるが六甲山系、雲に隠れて山頂と、その下におぼろげに有馬温泉が見える。新名神高速は、右手が神戸JCTで左手が高槻方面になる。宝塚や猪名川、箕面、茨木の奥の山間部を切り崩して来年度中には開通予定という。子供の頃遊んだ長尾山系の美しい渓流や穏やかな森林は既にない。これからひとも車も減少していくというのに、年に数回おこる程度の深刻な渋滞を回避するためのバイパス道路としてのためだけに、二度と戻らない自然を壊し莫大な予算をかけての大工事、事業計画から50年以上が経ち、今見えている範囲だけでも村人の深刻な利害の対立を引き起こし、人の心を裂き、平和で協力的であったろう集落同士を、妬みあい憎しみ合い、互いの足を引っ張りあって、複雑な境界線で分断してきたこの事業、その上に構築される利便性、走ってしまえば数十分のこと、しかしその根元では何世代も消えない遺恨を確実に残す。恐らく沿線の全てでこのようなことが起ったであろう。公共事業と称しているが、利益を得るのはごく一握り、その事業の完遂のために住民を分断し、賛成派を囲い込んで砂糖漬けにし、買収予定地に山を持っていた家の床の間には隠しきれないほどの札束が積み上がり、有力者の一言でことがどうにでも動くムラ社会を固定化してしまう。誰が望んだわけでもない、事業によって儲かる者と一部の地権者のためだけの工事、いまさら止めることも出来ず間もなく完成する。数十年後には必要なくなるが、使われなくなった橋脚の膨大なコンクリートや鉄骨を解体して処分し、美しかった渓流や穏やかな森林をもとに戻すための事業など、想定すらされていない。原発だけではない。日本の公共事業は、後始末は考えず、行けるとわかれば突っ走る。後日、晴れた日に撮影したのが下の絵。

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posted by jakiswede at 15:37| Comment(0) | 新名神高速予定地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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