「SADL/ 戦争法案に反対する関西大行動」に参加してきた。バイトがあったので集会開始の16時過ぎには退散したが、それまでのあいだに、何人かの参加者や友人と出会い、いろんな話をすることが出来た。立場が共通するから当然なのだが、賛成派の人との対話とは根本的に話の通じ方が違う。そこで感じたことは、デモの主催者も参加者も、事態を極めて冷静に見ていることだ。法案は可決されるであろう。デモによってそれを変えることは出来ない。なぜなら、皮肉なことに日本は民主主義国家であり、その手続として立憲制を採っているからだ。だから反対運動は、法案の成立後を見据えている。
集会の実際は、報道などで伝えられている映像とはずいぶん違う。報道では、デモ行進の最も盛り上がった瞬間や絵になる構図を切り取って使うので、見る人はかなり強烈な印象を持ってしまう。しかし、実際には公園のあちこちに話の輪が出来上がり、たぶん見知らぬもの同士であろう、意見交換が穏やかに広がっている様子が見られた。その空気を妨害したのは、大音響で街宣車を乗りつけ、公園だから自由だと言いながら徒党を組んで無差別に暴言を吐き散らす右翼団体であった。毎度のことだが、警官隊に阻止されてあっけなく出ていった。
日本の平和が国際社会の安定の上に成り立っていて、その秩序を守る為に貢献することは当然である。誰もそんなことに反対しているのではない。安倍政権が、アメリカの権益を擁護するために日本国民を働かせようとする意思を、国際貢献の話にすり替えて呑ませようとするから反対しているのである。例えば、世界の治安を維持する為に止むを得ず行使される抑止力としての集団的自衛権と、安倍政権が安保法案で想定しているアクションプランとしてのそれとは全く異なるから反対しているのである。国会や報道などで浮かび上がってくるのは、アメリカの外交政策の変更によって二転三転する説明、法案の持ち出し方、憲法解釈の変更、成立ありきで動く政府の諸機関など、明らかにアメリカの意思によって操られる安倍政権の姿である。日本を内側から売り飛ばそうとする安倍政権を退陣させる為に、自分たちは声を上げているのだということが明確になっていた。右も左もない。自分たちはただの日本人で、自分たちの生活を守ろうとしているだけのことだ。
法案に賛成している人たちの意見の内容を良く考えてみると、実は彼等も安倍政権に利用されていることに気付くであろう。純粋な気持で愛国心や国際貢献について考えを実践し、祖国防衛と世界秩序の安定の為に献身しているあいだに、安倍政権はアメリカ政府を養護することで得られる蜜の味に酔いしれる。その味はよほど甘いらしい。賛成派の一般国民に分け前を与えるつもりなどない。自分たちが手を下さずに反対派と闘っているのを高見の見物としゃれこむだけだ。
法案は可決されるだろう。自民党には落ちるところまで落ちて、底を打ってもらった方が良いのかも知れない。地元に帰った国会議員のうち法案を推進するものは徹底的な落選運動に曝されるであろう。示威行動や国会議員に対する直接行動は、法律が廃止されるか政権が交代するまで続く。野党は、今度こそ真剣に大同団結して政権を担当出来る状態を準備しなければならない。それが出来なければ、民間人による暫定政府がこれに取って代わるかも知れない。
私の日常生活は、農作業とアルバイトに忙殺されている。それでも努力して、正しい認識を得ようとしてきた。それは間違いではなかったのだが、そうすることを続けることによって、自分がなんとはなしに深刻な気分にとらわれていた。もう半年以上も気分が晴れなかったのだが、集会に参加して、その空気を感じて、なんだかかなり気が楽になった。もう少し人生を楽しもう。今日会って話してくれた皆様に心から感謝します。
2015年09月15日
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