「今年の自分へのご褒美は、なし」と言いながらiMac (MK142)を買ってしまいました。愛用中のMacBook 1.1 (2006) の冷却ファンがいよいよ抜き差しならない状態になってきたらしいので、こいつが生きているうちにファイルを整理してバック・アップを取り、来年からiMacに必要なものだけを移植して新年のスタートを切りたいと思ったのです。どうしても調べものにインターネットは欠かせないし、どんどん新しい技術が入ってきて、端末がそれに対応できないようでは、実際に困るからです。まあしかしMacBook生活も10年、酷使した割には良く動いてくれたと思います。来年からはOSを10.3に落とし、CPUの負担を軽減した状態で、インターナルな作業専用にしようと思います。
で、未整理の音楽ファイルを整理していましたら面白いのが出てきました。Cyrano de Bergeracの話が出てきましたが、当時17世紀の宮廷サロンでの音楽詩の朗読を紹介したもので、「L'autre monde ou les Etats et Empires de la lune (もう一つの世界、あるいは月の諸国と諸帝国)」の冒頭の部分を器楽の伴奏とともに演出したものです。当時の宮廷では、フランス語の正しい発音や抑揚を大切にすることが良いとされていて、それが貴族のステータスだったようです。このようにフランス語特有の話し方が誇張され、後の歌劇やオペラへ発展して行ったものでしょう。17世紀のヨーロッパの音楽は、中世における典礼音楽一辺倒の世界から、徐々に宮廷音楽が盛んになってきた頃です。ルネサンス以前においては、音楽は、人知の及ばぬ神に近づくための手段として位置づけられ、それとは別に庶民の音楽があって、教会の権威というものは絶対的なものとして、庶民の生活にも深く君臨していたものと思われます。だから典礼音楽には、仮にそれが作為であったとしても、神への畏敬の念に満ちた真剣な気持、人に媚びていない清純な響きが聞かれます。しかしルネサンス期以降になると、徐々に科学の目や論理学の目が宗教的価値観の中にも向けられ、神の権威を現実的なものと捉え、あるいは世俗の権威と神の権威を分けて考える、すなわち今で言う政教分離の考え方が産まれたことによって、音楽も典礼音楽とは別に、宮廷音楽というものが発生してきます。世俗権威の象徴である宮廷におけるサロンでは、音楽や演劇、詩の朗読などの文化が発展し、古楽からバロックへと時代は進み、やがて大演奏家たちの時代になって、今に引き継がれるクラシック音楽のひとつの大きなジャンルを形成することになります。私は基本的にクラシック音楽が嫌いで、その理由のひとつに「クラシックくささ」があると思います。それが臭いはじめるのが、ちょうどこの17世紀の宮廷音楽からで、もちろん教会と密接に結びついて活動していた当時の作曲家たちの典礼音楽にも、その手垢は練り込まれていて、そうじて17世紀以降の西洋音楽は、一部の例外を除いて聴くに堪えないものになって行きます。まあ、そうして限界線あたりの音というのは、なかなか意味深長なもので、わりとどのように表現されてたりもするので、ファイルの整理にも時間がかかるというわけです。まあこういうことをやってる時間が最も平和ですな。
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