私がやりたいと思ってきた写真の作風のことを「ピクトリアリズム」ということを知ったのはずいぶん最近になってからのことだったが、このキーワードをたよって色々と写真を見て歩いているうちに、様々な作品と出会うことになった。最初に心酔したのは福原信三で、彼は言わずと知れた資生堂の初代社長である。しかしなんやねえ、社長が芸術写真家なんて、いまでは考えられんね。人の上に立つ人は、そういう秀でた素質を持っといてほしいもんや。まあええ、ないものねだりはやめよ。ほいでその弟に福原路草というひとがいて、これがその芸名の通り、どうせ社長は兄貴がやるんだろ、俺は一生路草食ってやるってんで写真撮りまくるんですが、その作品が実に良い。兄貴の精緻な作風とは全く異なって、直観的でぞんざいでその軽さが世を拗ねた諦観というか諸行無常の響きを感じるわけだ。
明治から大正にかけては、そんな作風の流れがかなりあって、いろんな写真家が出た。そのなかで最も感銘を受けたのは黒川翠山という京都の写真家で、作品を初めて見たのは、岩波書店の「日本の写真家 2 ・田本研造と明治の写真家たち」の最後に収録された図版である。1906年頃に撮影された題名不詳の写真で、霧のかかった山道を、笠を被り蓑をまとった男が、天秤棒に荷物をくくりつけ、杖をつきながら歩いて行く後ろ姿を追ったものである。ピクトリアリズムを扱った写真集には、かなりの確率で収録され、同テーマの写真展にも出展される作品で、彼の作品で知られているほぼ唯一のものと言って良い。その情感があまりにも素晴らしかったので、彼のことを調べはじめたのだが、作品集は一冊も発表していない。
作品が集約されているのは、京都府立総合資料館というところに「京都北山アーカイブス」というのがあって、そこに「黒川翠山撮影写真資料」があるのみ。そこへ行って、その作品のオリジナル・プリントを見せてもらえるかと訊ねたところ、写真資料は番号や撮影場所、撮影日時で分類されているので、図案を示されても検索できないという。仕方がないので片ッ端゜からデジタル化されたデータベースを捜していく。全部見た。が、目的の作品はおろか、およそ絵画的な写真には一枚も出会わなかった。全てが、街や世相の記録写真であって、ピクトリアリズムどころか、リアリズムそのものであった。そうなのだ。彼は芸術写真を目指したわけではない。たまたま撮ったものが絵画的傑作として世に知られた。逆説すれば、その頃の日本は、どこを撮っても絵画的であったということだ。
その後、2011年になって東京写真美術館で「芸術写真の精華・日本のピクトリアリズム珠玉の名品展」という企画展が行われることになり、ちょうどその頃、私の2010年の旅行の写真展も東京の友達の店でやってもらえることになった。トークライブのために上京するついでにその企画展も見に行こうと思って、店に来てくれるお客さんのお土産用のいかなごの釘煮を炊いている時、あれが起こったのである。2011.03.11のちょうど昼過ぎで、静かにいかなごの鍋にかぶせたアルミホイルの落し蓋を眺めていた。なんの異変もなかった。私は阪神淡路大震災以来、ほぼ確実に地震の前兆を予知できるようになった。しかし人に知らせる間もなく揺れが来るので実用的ではない。「緊急地震速報」よりも数十秒早い程度だ。その私が、なんの異変も感じることなくいかなごの釘煮を仕上げ、ほぼ来場者数に見合うだけの小袋に分け、翌日の出発の準備を終え、就寝前にメールのチェックでもしようとインターネットに繋いで初めて事実を知ったのだた。後日、その規格店の図録を東京写真美術館に注文した。その図録の最初のページに、くだんの黒川翠山の写真があった。見れば見るほど、そのオリジナル・プリントを見たくなった。しかし東京での企画展は、震災の影響で中止になった。
その企画展は、ほぼ同じ内容で京都で再開されることを知り、それを見に行った。展示の最初にその写真があった。写真展の展示としては、55x40cmと小さな作品だった。しかしゼラチン・シルバー・プリントのそれは、セピア色に少し変色し、独特の風合いと立体感、柔らかな中にも引き締まった輪郭があった。素晴らしかった。データを見ると、東京写真美術館所蔵とある。京都で探してもなかったわけだ。そして今回オークションで手に入れたのは、その美術館が1992年に開催した同じテーマの企画展の図録で、「日本のピクトリアリズム・風景へのまなざし」というものである。それにはまだ見たことのないピクトリアリスティックな彼の作品が4つ収録されているはずだった。そのうち2つが写真である。印刷を通してさえ、彼が写真表現の中で、霧や靄をうまく使っていることがよくわかる。さりげなく風景を捉えただけのようにも見えるが、霧に隠れる淡色によって、手前にくる主題を見事に浮かび上がらせている。これは全くブレッソンの数々の光の使い方をも凌駕するもので、日本の古い風景の中に生きてこそ成し遂げられる描写である。レンズや技術ではない。その光をとらえる決定的瞬間に、万全の態勢でその場に居合わせることができるかどうか、写真はそれに尽きる。
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