2016年02月10日

20160116 Maestra Vida II

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Rubén Blades: Maestra Vida, Segunda Parte (LP, Fania Records/ Sonodisc, JM577 Series 0798, 1980, FR)


Epílogo

Manuela, Despues... (La Doña)

Carmelo, Despues... (El Viejo DaSilva)


El Velorio

El Entierro

Maestra Vida

Hay Que Vivir


 Angel Canalesに次いでサルサ界で好きなアーティストがRubén Bladesである。これは1980年に発表されたLP2枚シリーズの一大音楽詩「Maestra Vida」の後編、前編も持っていたはずだが見当たらないところを見ると、阪神淡路大震災で埋没してしまったようだ。レゲエを含む中南米の箱がことごとくやられてしまったのだから仕方がない。一部の愛聴盤だけが別棚にあって難を免れた。

 さてこの”Maestra Vida”第一集は、同じ絵柄のジャケットで色合いが異なり、空はオレンジからイエローへのグラデーションになっていて色調は明るい。この第二集はピンクからグレーへと暗い色調になっている。このことからも想像できるように、この作品の前半は喜劇的、後半は悲劇的な内容になっている。ところが、サルサ界屈指の名盤として知られている割には資料が少なく、おそらく信用と重要性に足る情報は下記のリンク程度だろう。昔持っていたラテン音楽の専門書にはアルバムの内容が詳しく出ていたはずなのだが、その本も震災で失ってしまった。当時の記憶やリンク先の資料を総合して判断すると、だいたい次のようなものだったと思う。

 作品は、Rubén Bladesの故郷Panamáのとある街の二人の若者ManuelaとCarmeloの出会いと死、一人息子のRamilloの出奔と帰郷を歌うことを通じて、当時のラテン・アメリカ人の置かれた苦境や悲劇を描き出す。1枚目が二人の出会いから息子が生まれるまでで、時代背景は1920年代、打って変わって2枚目は1970年代、1曲目が”Epilogo”・・・すなわちManuelaの死から始まり、失ってしまった妻の幻を追い続けるCarmeloの心中、そして息子の経験する不条理・・・しかしそれらは直接的に語られることはなく、歌は時間の流れのごく一部を切り取って描写され、しかも歌詞の内容は言葉遊びなどに置き換えられているので、事情を知らない私などにはその真に意味するところはわからない。同時代を生きた現地の人には、それとわかる符牒のようなものなのかもしれない。

 この作品に惹かれたのは、それまでに接したサルサのほとんどが、いわば享楽的で現実肯定的なものだったのに対して、抜きん出てシリアスで、実に洗練された印象だったからである。そしてRubén Bladesの作品に興味を持ち、いくつかを聞いた。そこには、言葉がわからないながらも、非常に強いメッセージ性と、精悍な音楽スタイルが感じられた。それもそのはず、彼はもともと政治家志望で、ミュージシャンののち俳優や映画監督を経て、現在故国の官公庁大臣を務める政治家である。

 1980年といえば、その前年末にソ連のアフガン侵攻があり、年が明けて来日したポール・マッカートニーが大麻所持で成田空港から強制送還され、モスクワ・オリンピックを日本その他西側諸国がこれをボイコットし、韓国では光州事件があった。そして音楽活動を再開させていたジョン・レノンが射殺された事件で幕を閉じた。米国は、着実に中米を自国の聖域にしつつあり、あちこちの国で反米レジスタンスが起こり、米国の傀儡勢力による軍事クーデターがそれを覆したりした。いまのことばでいえば、レジスタンスは「米国によるテロ」との戦いそのものだった。一方で米国内の経済発展は凄まじく、世界中から政治的経済的理由によって移住してくる移民たちにも門戸が開かれていた。中米からの移住者もその例外ではなく、米国はその旗印である自由・平等・民主主義がいかにも実現されているかのように見えた。サルサという音楽を見てみれば、1970年代初頭に隆盛を極めたのも、そこから多種多様な音楽と融合して様々な発展を見せたのも、確かに米国の自由・平等・民主主義の賜物だった。しかしすぐ南の国外では、全く異なる窮状が繰り広げられていた。例えばRubén Bladesの故国Panamáの有名な運河の利権は米国が握っている。このたった一例をとっただけでも米国の民主主義は、常に国内外でダブル・スタンダードであることがわかる。Panamáの社会的現実は、沖縄の現状に象徴される日米地位協定と全く同じように、米国の「すり替えられた帝国主義」のもとにひれ伏すことによって、国民に甚大な苦痛と憂鬱を被らせているのではないか。

 世界の不条理に敏感に反応していた20歳前後の私にとって、そのプレッシャーの中で奏で続けられる音楽に、次第に引き寄せられていった時期である。なぜこのように世界は狂っていくのだろう。視野が広がるにつれて深まる疑問、移り変わる世相、越えられない壁・・・そんな心境のなかでこの”Maestra Vida”後編は、トータルに彼一流の洗練を感じさせてくれる愛聴盤となった。


http://www.beats21.com/ar/A06120402.html

http://www.maestravida.com

 サイト名はMaestra Vidaだが、実質的にはRubén Bladesをトータルに紹介するオフィシャル・サイトのようなもので、特に1997年にPanamáで上演された実劇には英語の翻訳が付いており、これは非常に貴重な資料である。


https://www.youtube.com/watch?v=GcUBkLVyMOQ

 言葉だけでは足りるまいから、おそらくPanamáで上演された当時の音楽ステージの模様、シビレます。


posted by jakiswede at 12:10| Comment(0) | 変態的音楽遍歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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