Rubén Blades: Diblo Filo (LP, Fania Records, JM 645, 1987, US)
No Hay Chance
Mi Jibarita
Sin Fe
Privilegio
Chana
El Cantante
Duele
Rubén Bladesのディスコグラフィを概観すると、1977年にWilly Colónとの共作「Metiendo Mano ! (LP, Fania Records, SLP 00500, 1977, US) 」でデビューし、翌年にやはりWilly Colónとの共作にして最高傑作「Siembra (LP, Fania Records, JM 00537, 1978, US) 」を発表、1980年の「Maestra Vida」二部作の発表の後、少々燃え尽き感の漂うアルバムを数枚出した後、1984年にそれまで在籍したFania RecordsからElektraへ移籍する。それに従うかのように「公式な ?? 」ディスコグラフィもElektraから発売されたもので構成されるようになり、それ以降Seis del Solar、Son del Solarという彼の理想を追求したグループを率いて大作を連発していくのことになる。しかし、その作品はすでにサルサの域を越えて世界を見据えたものになって、もちろんそれはそれで素晴らしいのだが、心の中では、私は場末の酒場で酔っ払ったしわがれ声でクダを巻く、万巻の書を読み尽くした穏やかな微笑みをたたえたインテリヤクザまがいの彼のサルサが好きなのである。1987年、Faniaに残った最後の約束を果たすようにして発表されたこのアルバムは、移籍後の陰に隠れて殆ど知られておらず、裏ジャケットには曲名の記載だけでミュージシャンの記載もなく、演奏も録音状態も、いささかぞんざいな感じは否めない。1987年といえば、もうサルサは体質が変わってしまって10年前のハングリー精神を失ってしまっていた。それを彼がどう見ていたのかはうかがい知れないが、少なくとも当時、Faniaの名歌手Héctor LaVoeがドラッグに溺れ、それでも歌手とした再起しようともがいていた頃、はからずも10年前にHéctorに提供した名曲”El Cantante”を、自演であらためて取り上げているのは意味するところがあるのだろう。おそらくは長い間に書き溜められ、温められてきた曲を集めたかのような、珠玉の歌ものサルサ短編集、普段着のRubén Bladesが堪能できる愛聴盤である。ニューヨークに出てきた頃にはFania Recordsの郵便物仕分けのアルバイト、書き溜めた曲が認められたことからミュージシャン、そして俳優という華やかな人生に漕ぎ出し、今や彼は故国パナマの国務大臣、彼所縁の多くのミュージシャンが早死にしていくなかにあって、まったく不思議な人物である。私は彼の声をこよなく愛する。あのダレっとしたしわがれ声で、さらりとゴージャスなサルサを、また歌ってほしいものである。
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