2016年02月28日

20160222 Santana Lotus

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Santana: Lotus (2CDs, Columbia, C2K 46764, re-issued, US/ Originally released in 1974)


CD-1

Meditation

Going Home

A-1 Funk

Every Step Of The Way

Black Magic Woman

Gypsy Queen

Oye Como Va

Yours Is The Light

Batuka*

Xibaba (She-Ba-Ba)

Stone Flower (Introduction)

Waiting

Castillos De Arena, Part 1 (Sand Castle)

Free Angela

Samba De Sausalito



CD-2

Mantra

Kyoto

Castillos De Arena, Part 2 (Sand Castle)

Incident At Neshabur**

Se A Cabo

Samba Pa Ti

Savor***

Toussaint L'Overture


*“Batukada”という表記もある。

** オリジナル3LPsではF (LP-3B) に単独収録されている。

*** 日本盤では”Mr. Udo”に差し替えられている。これは招聘元となったウドー音楽事務所に敬意を表してのこととされている。


 ジャズへ行く前に「Santana」を書いておきたくなった。というのは、ちょうど彼らの結成時期のアメリカではBoogalooが盛んに行われており、これがキューバ人からプエルト・リコ人へと手渡された”Son”が、ジャズやブルーズなどと混血していくなかで過渡的に通過したスタイルであり、それが一方ではSalsaへと、他方では「Santana」のようなラテン・ロックともいうべき系譜へと繋がっていくからである。事実、彼らが取り上げてきた曲にTito Puenteの名曲を含むラテン音楽が多く取り入れられているし、そもそもCarlos Santanaの弟Jorgé SantanaFania Allstarsに随行して「Zaïre ’74」に参加しているのだから、人脈としてはここに入れるのが適当だと思う。

 「Santana」は、もはやロック殿堂入りを果たした世界的ミュージシャンなので、私が何かを解説する必要などない。私にとって「Santana」のベスト・アルバムは、この「Lotus」につきる。これはまさに私の人生を左右したものである。19737月、大阪厚生年金会館で2日間にわたって行われたライブからの編集録音である。当時、私はまだ中学一年、日本の世の中は高度経済成長の真っ只中とはいえ、いたるところに「戦後」を引きずっていた。世の中の大人の多くは戦前の教育を受けていたので、学校で民主主義は教わっていたけれども、実際の世の中は戦前の価値観が色濃く残っていた。社会がそうであるから、家庭の内側に至ってはなおさらである。教育とは子供を勉強机に縛り付けておくことであると信じて疑わない風潮が蔓延し、思い込みの強い親の元では絶対服従しか生き延びる術のないほど過酷な牢獄であった。しかし、束縛が強ければ強いほど外の世界に対する関心も高く、圧力が大きければ大きいほど反発も強い。どこでどうして手に入れていたのかは私にも具に思い出せないが、私はアメリカのポップスやロックを知っていたばかりか、「Santana」の来日を知っていた。もちろん、「Santana」のアルバムも4作目の「Caravanserai」までは聞いていた。そのアルバムは私にとって非常に大きな衝撃だった。音楽というと、「歌」かクラシックの演奏しか知らなかったので、インストゥルメンタルでロックに使われる楽器類で宇宙的なイメージを奏でる音楽の世界などあるとは思ってもみなかったからだ。しかもなんという熱い音だろう。コンガやボンゴの音を聞くのも初めてだったし、ラテン的なコードや展開を聞くのも初めてだった。なにしろ、まだほんの13歳の子供である。何もかもが衝撃だった。思うに、当時まだ本当に珍しかったアメリカ衣料の専門店が宝塚にあって、何かのついでに通ることがあるたびに、用もないのにそこへ入り込んでいた覚えがある。おそらくそこのにいちゃんか誰かが聞かせてくれたか、ラジオで聞き覚えたものであろう。やがて、落ちているラジオなどを修理してベッドの下に仕込み、イヤホンで深夜放送を聞くようになった。当時センセーションを巻き起こしていたバンドだったから、かなり頻繁に曲がかかったはずである。イヤホンで耳が痛くなるのも構わず、朝どうしても起きなくてはならない刻限まで粘っていた。ハンダ付けなどできないので銅線をセロテープで貼り付けただけの修理であったため、接点が過熱してマットを焦がしたこともある。しかし何事も隠密に済ませなければならなかった。ジーンズを履いてきただけで親が呼び出され、みんなの前で履き替えさせられるような時代だった。ちょっとでもそんな音楽のことを話しでもしようものなら、誰に告げ口されて誰の耳に入り、そのあとどんな目にあわされるかわからない。電車でほんの30分そこそこで行われているライブのことを、知っていながら行くことができない悔しさを、今でもありありと思い出すことができる。

 「Santana」は1966年結成のSantana Blues Bandに端を発し、1969年に「Santana」と改称してデビュー・アルバムを発売、第二作「Abraxas」で評価を不動のものとする。そのなかに彼らの代表曲”Black Magic Woman””Oye Como Va””Incident at Neshabur” が含まれる。その次の「Santana III」までは、便宜上「The Old Santana Band」と呼ばれる。この三作の内容はBlues Bandを引きずっていて、1970年前後のカリフォルニアのサブ・カルチャーの匂いがプンプンし、実に自由爛漫で多様な曲があり、要するにサイケデリック、演奏も勢い一発のものから、単なる曲想のデッサンそのままという感じのものもある。土臭くラテンくさくBoogalooも多く取り入れられている。のちのCarlos Santanaに比べて、バンド内での彼自身の役割も、バンドの一ギタリストとしてのバランスが保たれていて、メンバー同士の演奏の駆け引きも対等で闊達で面白い。この三作は、彼独特の、ディストーションとハーモニックスを極端に強調した、あの「泣き」のフレーズこそ際立っていないが、その後の彼らの演奏を象徴するアイディアがすでに散見されて聞きごたえがある。

 しかし彼はその状態に満足できなかったようだ。「Santana III」発表後、彼はバンドを再編成し、「The New Santana Band」と称するようになる。そのいきさつにはいろいろあった模様だが、結果的に彼は宗教色と独裁色を強めていくことになる。第4作「Caravanserai」はインド哲学に題材をとった瞑想と宇宙に関するロック的アプローチを試みており、これは当然その頃ロック界を席巻していたプログレッシブ・ロックの流れに影響されたものである。次作「Welcome」では宗教色がさらに推し進められ、音楽は宗教的境地に達した者から見える平和や安楽や天国を表現したものになる。ちょうどこのアルバムが制作された後に行われたのがこの日本公演であって、オープニングは「Welcome」のそれである。自由気ままな「The Old Santana Band」とは異なり、コンセプトの明確なプロ集団としての「The New Santana Band」は、彼の宗教色を音楽的な核として、彼の独裁が全体を引き締める、統制された場における表現の自由ではあったが、結果的に演奏能力や技術、表現の豊かさは、格段に向上することになる。それをライブという場で凝縮しえたのが、この「Lotus」であり、もうはっきりいって、どこをどう切り取っても文句なし。緻密なアレンジ、演奏のディテールの細やかさ、音の美しさ、音圧のダイナミクス・・・1970年代、まだまだ暗い世の中、日本中が、何か新しい価値観を求めてさまよっていた。どんなに苦しくても、努力すれば必ず報われるという、何の根拠もない希望を持ち得た。そこへ全く新しい世界がまばゆいばかりの光と音を放って、猛然たる迫力で迫ってきたのである。全編ハッタリとコケオドカシとド派手なパフォーマンスと陶酔したフリで埋め尽くされているが、それを「ああ本当にそうだ」と信じてやってる側と、「ああ本当にその通りだ」と思って聞いている側が、一つの空間で貴重な体験を共にしたことは間違いない。圧倒的な音圧が、実は単なる電圧の高さだけのことであったとしても、当時の日本人は、そんな音を聞いたことがなかったのである。その場に居合わせなければ体験できなかったのである。エンターテインメントとは、そういうものである。

 全体としての音量バランスは、極端にCarlos Santanaのリード・ギターに集中している。ほとんどメドレー形式で矢継ぎ早に繰り出される長尺の曲を、ほぼ全編休むことなく7人のメンバーが緻密なアレンジに従って、その枠内で実に生き生きと演奏し掛け合う様子は、全く音楽の楽しさを見事に体現している。ギターとメロディを交代するキーボートセの音色の美しさ、そのストーリー・テリングの見事さ、ブリッジに入れるアクションの巧みさ、ラテンならではの雰囲気を強調するコンガやティンバレスのアレンジの見事さ、そしてなにより、音楽の屋台骨を支え、平常時はじっと縁の下でバランスを取っているだけだが、節々の決めるべきところにシャープなフィルを決めてくるドラミングの見事さ。外に向かっては熱狂を発し、ステージの中ではクールそのもの・・・音楽のアンサンブルの全てを、この作品から学んだと言っても過言ではない。ライブとして、これほど何度も聞き返したアルバムはない。オリジナルのLP3枚組で、横尾忠則の豪華22面ジャケット、それも複雑に組み合わされたポップ・アップ・ジャケットの幾つかの場所にレコード盤が入っているという凝った造りのものだった。もちろんそんなものを買うカネはなかったので、友達に借りてカセットに録音したものを今でも持っている。

 さて、この後「Santana」は、「Borboletta」という、宗教的な穏やかさを残しつつ、幾分ポップなアルバムを発表した後、天下に悪名高き「哀愁のヨーロッパ」を含むアルバム「Amigos」を発表して墜落、その頃には肝胆相照らす仲であったはずの多くのミュージシャンがその元を去り、カネだけが目的の阿諛追従の輩ばかりが残って、もはやなんの空想的無限性も音楽的意外性もない、ただドギツイだけのつまらんバンドに成り下がってしまった。思えば「Lotus」の頃が、結成当初からの情熱に裏付けられた勢いと、独裁を始めた頃のコンセプトの明確化が、うまくバランスが取れて良い結果を生み出したものと思われる。合掌。

posted by jakiswede at 12:43| Comment(0) | 変態的音楽遍歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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